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2014/01/10

日本その日その日 E.S.モース(石川欣一訳) 第十章 大森に於る古代の陶器と貝塚 43 もーす、帝都東京ノ火消トナル語(こと)

M295
図―295

 

 とうとう、私は、家を五、六十軒焼いた、かなり大きな火事を見る機会に遭遇した。晩の十時半、スミス教授――赤味を帯びた頭髪と頰髭とを持つ、巨人のようなスコットランド人――が、私の部屋に入って来て、市の南方に大火事があるが見に行き度くないかといった。勿論私は行き度い。そこで二人は出かけた。門の所で一台の人力車を見つけ、車夫を二人雇って勢よく出発した。火事は低い家の上に赤赤と見え、時々我々はその方に走って行く消防夫に会った。三十分ばかり車を走らせると、我々は急な丘の前へ來た。その向うに火事がある。我々は人力車を下り、急いで狭い小路をかけ上って、間もなく丘の上へ来ると、突然大火が、そのすべての華麗さを以て、我々の前に出現した。それ迄にも我々は、僅かな家財道具類の周囲に集った人々を見た。背中に子供を負った辛棒強い老婆、子供に背負われた頼りない幼児、男や女、それ等はすべて、まるで祭礼でもあるかのように微笑を顔に浮べている。この一夜を通じて私は、涙も、焦立ったような身振も見ず、また意地の悪い言葉は一言も聞かなかった。時に纏持(まといもち)の命があぶなくなるような場合には、高い叫び声をあげる者はあったが、悲歎や懸念の表情は見当らなかった。スミスと私とは生垣をぬけ、上等な庭を踏み、人の立退いた低い家々を走りぬけて、両側に家の立並んだ長い通へ出た。これ等の家の大部分は、燃えつつある。低い家屋の長い列の屋根は、英雄の如く働き、屋根瓦をめくり、軽い杮(こけら)板をシャベルで落し、骨組を引張ったり、切ったりしてバラバラにしている消防夫達で、文字通り覆われ、一方、屋の棟には若干の纏持が、ジリジリと焦げながら、火よりも彼等や消防夫に向ってよりし屢々投げられる水流によって、消滅をまぬかれて立っている。破壊的の仕事をやっている男が四人乗っていた広い張出縁が、突然道路に向って崩れ、彼等は燃えさかる木材や熱い瓦の上に音を立てて墜落したが、一人は燃えつつある建物の内部へ墜ちた。勿論私は、この男は助からぬと思ったが、勇敢な男達が飛び込んで彼を救い、間もなく彼はぐんなりした塊となって、私の横をかつがれて行った。死んだのかどうか、私は聞かなかった。この場所からスミスと私は別の地点へ急ぎ、ここで我々は手を貸した。一つの低い張出縁を引き倒すのに、消防夫達の努力が如何にもたわい無いので、私は辛棒しきれず、大きな棒を一本つかんで、上衣を破り、釘で手を引搔きながらも飛び込んで行った。私が我身を火にさらすや否や、一人の筒先き人が即座に彼の水流を私に向けたが、これはドロドロの泥水であった。私は私の限られた語彙から、出来るだけ丁寧な日本語で、彼に向ってやめて呉れと叫んだ所が、筒先きは微笑して、今度は水流をスミスに向けた。すると彼は、若し私が聞き違えたのでなければ、スコットランド語で咒罵した。だが我々の共同の努力によって、建物が倒れたのを見たのは、意に適した。かかる火事に際して見受ける勇気と、無駄に費す努力との量は、若く程である。勇気は十分の一で充分だから、もうすこし頭を使えば、遙に大きなことが仕遂げられるであろう。纏持が棟木にとまっている有様に至っては、この上もなく莫迦気(ばかげ)ている。彼等は勇敢な者達で、屢々彼等の危険な場所に長くいすぎて命を失う。この英雄的な行為によって、彼等は彼等の隊員を刺激し、勇敢な仕業(しわざ)をさせる。私はまた、彼等が立っていた建物が類焼をまぬかれると、彼等が代表する消防隊が金員の贈物を受けるのだということも聞いた。図295はこの火事のぞんざいな写生である。消防夫の多くは、この上もなく厚い綿入りの衣服を身につけ、帽子は重い屋根瓦から頸を保護する為に、布団に似ている。図296はかかる防頭品のいくつかを示している。火事で見受ける最も変なことの一つは、消防夫が火のついた提灯を持っていることである。

M296

図―296

 

[やぶちゃん注:当時の消防組織については、「日本消防協会」公式サイトの「消防の歴史」に以下のよう記されてある。

   《引用開始》

明治維新に伴い、定火消や大名火消は廃止になりましたが、町火消は東京府に移管され、明治5年(1872年)「消防組」に改組されました。消防事務は、東京府、司法省警保寮、東京警視庁などと所管が転々としましたが、明治14年(1881年)警察、消防の事務はいっさい東京警視庁に移管となり、これが明治時代の消防の基礎になりました。しかし、まだ全国的には公設の消防組は少なく、ほとんどが自治組織としての私設消防組であり、それも名前だけというのが多かったのが実情でした。そこで政府は、消防制度を全国的に整備して効率的な消防組織を育成するため、明治27年(1894年)勅令で「消防組規則」を制定し、消防組は知事の警察権に入り、費用は市町村の負担とされました。

   《引用終了》

ここで描かれるのも、そうした素人の「自治組織としての私設消防組」と考えられる。

「スミス教授」Robert Henry Smith(英文サイトでも生没年は調べ得なかった。滞日は明治七(一八七四)年から明治一一(一八七八)年であるらしい)は機械工学教授でモースの加賀屋敷内教師館五番館の三つ東にあった八番館に住んでいた。

「三十分ばかり車を走らせる」ネット上からの孫引きであるが(dotuitare56氏の「箱根じんりきとACC(芦ノ湖カヌーイスト倶楽部)なのだ!」の人力車の速度)斉藤俊彦「くるまたちの社会史」によれば、人力車は計画速度で8~10km/h、実際の運行速度で6~8km/hとあるから、平均値を7km/hとすると、三十分で達する距離は3・5キロメートルほどである。但し、単純に東大前から南下するとこの距離では皇居にぶつかるから、皇居の東または西側と考えられ、とすれば現在の日本橋の北辺りか、皇居の東北の靖国神社附近が想定される。「急な丘の前へ來た。その向うに火事がある」という描写がヒントであろうが、東京に詳しくないのでここまでである。何方か、この生き生きと活写された火事場を特定出来ないだろうか? よろしくお願い申し上げる。

「纏持(まといもち)」原文“the standard-bearers”。陸海軍の旗手や政党・運動などの首唱者・唱導者を指す語。

「咒罵」「じゅば」と読んでいよう。聞き慣れない語であるが、現代中国語でも立派に他者を軽蔑し、罵って責めることを言う。

「図296はかかる防頭品のいくつかを示している。」この部分の原文は“Figure 296 represents a few of these head protectors.” なお、図―296の下のモース自筆(恐るべき悪筆であることが分かる)のキャプションは、珍しく辛うじて判読出来、どうも“firemen’s huts”と書いてあるようである。江戸時代の町火消の盛装は印半天・腹掛。股引などであったが、火事場へはさらに刺子頭巾(猫頭巾:目の部分だけが開いているもの。)を被ったとウィキ火消」にはあるから、これらはその刺子頭巾の目の下の覆いを外したものででもあるのかも知れない。

「火事で見受ける最も変なことの一つは、消防夫が火のついた提灯を持っていることである。」この部分、原文は“One of the oddest things about a fire is that the firemen carry lighted lanterns!”と感嘆符が附いている。]

 

 火事が鎮った時、我々は加賀屋敷まで歩いて行くことにした。その上、広い水田をぬけて、近路をすることにした。我々には大約の方角はついていたのだが、間もなく、小路の間で迷って了った。我々は路を問う可き人を追越しもしなければ、行き合いもしなかった。この地域は完全に無人の境だったのである。暗くはあったが、星明りで、小路はおぼろ気に照らし出されていた。最後に向うから提灯が一つ近づいて来て、午前二時というのにどこかへ向う、小さな男の子と出会った。我々は彼に、屋敷への方向を尋ねたが、私は彼が落つき払って、恐れ気もなく、我々――二人とも髯(ひげ)をはやし、而も一人は大男である――の顔へ提灯を差し上げた態度を、決して忘れることが出来ない。静に方向を教えながら上へ向けた彼の顔には、恐怖の念はすこしも見えず、また離れた後にでも、我々を振り返って見たりはしなかった。

[やぶちゃん注:「大約」は老婆心乍ら、「たいやく」と読む。無論、おおよそであること、あらまし、大体の謂いである。このエンディングも素晴らしい。これらは一篇の美事な火事場小説である。]

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