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2014/02/24

中島敦 南洋日記 補注

[やぶちゃん注:一月五日から十六日までの日記は記されていない。この間、一月七日附たか宛葉書(旧全集「書簡Ⅰ」番号一五五)と同じくたか宛の非常に長い書簡(同書簡番号一五六)が残る。以下に示す。多くの太字は底本では傍点「ヽ」(一部例外は文中で注した)。

   *

〇昭和十七年一月七日附(消印パラオ郵便局一七・一・八。南洋パラオ島南庁地方課。東京市世田谷区世田谷一の一二四 中島たか宛。葉書)

 菓子だのタオルだのパンツだの、今、着いた所。タオルもパンツも丁度ほしかつた所だが、何といつても、お菓子は有難いな。ほんたうに有難いな。今度は罐(くわん)もこはれず、カリントウもあまり濕(シメ)らず、之で、當分たんのうできる。フクちやん人形も有難う。たゞ、手紙の來ないのが物足りないな。もう五十日も、たよりを見ないわけだから。

   *

〇同年一月九日附(消印パラオ郵便局一七・一・九。杉並区神明町一一九。市内東京市世田谷区世田谷一の一二四 中島たか宛。封書)

 別に横濱東京に來てゐる譯ではないが、便宜(ベンギ)上、かう書いた迄だ。この手紙は、内地に歸る人に託(タク)して、東京か横濱でポストに入れてもらふからだ。戰爭になつてから、凡(すべ)て、南洋・内地間の手紙は、開封(カイフウ)して、中を、しらべられることになつてゐる。僕は、別に、國家の機密に關することを書きはせぬが、しかし、一家の私事を一々他人に讀まれるのはイヤだから、内地に歸る人に賴むんだよ。今は飛行便でも檢閲(ケンエツ)にひまがかかるので、一(ひと)月もかかるらしいから、恐らく十二月になつて僕の出した手紙(三四通ぐらゐ出した)も、そちらでは受取つてゐないらしいのではないかと思ふ。或は、僕がサイパンからパラオに歸つて來たことも、まだ知らないのではないか。もつともパラオから電報爲替(ガハセ)を二度送つたから、それで大抵は分つてもらへたと思ふが。パラオへ歸つて來たことを電報で打たうと思つたんだが、そんなことの(人の生死に關すること。商賣の取引に關することなら許される)電報は今の所、扱(アツカ)つてくれないんだ。仕方がなく、電報爲替を打つたわけだ。これからも電報爲替の振出(フリダシ)局の名を見て、オレのゐる所を承知してくれ。これからは先づ、パラオ以外に出ることはあるまいと思ふが。所で、十一月十日付のお前の手紙を受取つて以來、ずつと、そちらからの便(たよ)りを見てゐない。これも途中でひつかかつてゐるか、或ひはサイパンに行つてゐるのかと思ふ。どちらにしても、いづれはこちらへ着くに決(きま)つてゐるが、相當時日がかかるらしいな。

 戰爭とは言つても、こちらは至つて靜か。敵の飛行機は、一向(イツコウ)、やつて來さうもないし、全く有難い話だ。内地では相當こちらのことを心配してゐるかと思ふが、その點は安心してもらひたい。たゞ内地からの船が一向來ないので、色々不便だ。(食物その他の物資が)それで十日ばかり前の飛行便で「菓子だの、手拭(ヌグヒ)だの、海苔(ノリ)だの、新聞だのを送つてくれ。飛行便小包で。」と書いたんだが、その手紙も勿論とどかないだらうし、又、今の所、飛行便では小包を扱(アツカ)はないやうだから、話にならない。又、その手紙の中に、別に急がないが、エフェドリンが買へたら送つてくれと書いたが、その後パラオの町の或る小さな藥屋で、「喘息エキス」といふ藥が相當澤山(タクサン)見付かつた。この藥で間に合せることが出來るから、エフェドリンは當分いらないだらう。しかし、東京の町で、みつかつたら、買つておいてくれ。毎晩、管制の暗い夜がつゞくので弱る。空襲される場合のことを考へたら、ゼイタクはいへないが。窓に黑い紙をはりつけて、戸をしめて了へば、明るい電燈もつけられるんだが、内地の冬と違つて、何しろ南洋は暑くて暑くて、部屋をしめ切つては、とてもがまん出來ない。つい、部屋をあけつぱなしにして、電氣を消す、といふことになる。本も讀めないので、毎晩土方(ひぢかた)さんの所へ行つては、無駄話ばかりしてゐる。土方氏は最近獨身宿舍を出て、一軒の官舍を持つやうになつたんだ。此の間も、この家で純粹(ジユンスヰ)の島民料理を御馳走になつた。土人がこしらへたものだ。雞のむしたもの。魚の燻製(クンセイ)。タピオカ(芋(イモ)の一種)のふかしたもの。タピオカで作つたチマキ。タロ芋のゆでたもの。タピオカで團子をつくつて、椰子蜜(ヤシミツ)に漬(ツ)けたキントンみたいなもの。指でつまんでタベル。箸(ハシ)は使はない。そんな風な料理が出た。中々ウマかつたよ。土方氏の所へ集まつてくるのは、みんなカハツタ人ばかり。熱帶生物研究所の人で、鰹(カツヲ)の腦(ナウ)の中の水分の分量について、研究してゐる人や、目高(メダカ)の心臟(ツンザウ)の研究をしてゐる學者などがやつて來る。中々面白いよ。土方さんの家の屋根裏の部屋に[やぶちゃん注:「屋根裏」は底本では傍点「◎」。]、一人、面白い藝術家(工藝の方をやる人)が住んでゐる。この人と仲良くなりさうだ。この人は草花のことなんかトテモ良く知つてゐるので、話が合ふんだ。屋根裏に住んでるなんて中々いいぢやないか。

 パラオでは、毎日雨が降るんでね、カラリと地面の乾くことがない。之では喘息に良くない譯さ。内地の五月から十月迄の方が、パラオよりは、ずつと喘息に、いいよ。戰爭が終る迄喘息と戰ひながら、こんな所で頑張るのでは、身體がもつか、どうか怪(アヤ)しいから、なるべく東京出張所勤務にして貰つて、上野の國書館へ通はして貰ふやうにしようと考へてゐる。全然參考書も何もなしでは、僕の仕事は出來ないから。しかし、この時節がら、何時になつたら東京へ廻して貰へるやら見當(ケンタウ)が付かない。四五日前から、お灸(キユウ)をやつてゐる。隨分熱(アツ)いものだなあ。我慢(ガマン)して、續けてゐる。喘息には良いか、どうか分らぬが、胃には確かに效(キ)くやうだな。もつとも、食物の餘り無い此の頃、胃が良くなつて腹が空(ス)いては、實は、困るんだがね。サイパンのさつまいもとバナナとを今更戀しがつてゐる。パラオでは、サイパンみたい豐かではないからね。罐詰(かんづめ)も配給で、僕等獨身者は一つも買ふことができなくなつた。

 東京はもう隨分寒いだらうが、桓も格も元氣かしら? お前も、肩をこらしたり齒を痛くしてゐるのではないか。二學期の桓の成績が惡くつても、叱らないでやつて呉れ。學校のかはつた時は仕方のないものだから。桓のそばにゐて、色々指導(シダウ)してやりたいと思ふ。子供は叱るばかりぢや仕方がない。將來その子の性質に適した方面に伸びて行くやうに、その方に興味を持つやうに導いてやらなければならない。之はお前に出來ることではない。オレが傍にゐてやりたいと思ふよ。ノチヤスケの奴、どんな樣子をしてるかな? しよつちうお前のあとばかり迫ひかけてるんだらうなあ。晝間は、子供のことを決して考へないやうに自分を抑(オサ)へることが出來るけれど、夜中に、ひよいと目のさめた時などは、どうにもしやうがない。この手紙がお前の手に屆(とゞ)く頃には、もう春場所の相撲が始まつてゐるだらう。

 相變らず桓は一生懸命ラジオを聞いてるだらうな。オレも聞きたくてたまらぬが、パラオでは仕方がない。本郷町の家では隨分熱心に聞いたつけな。桓と相撲(スマフ)がとりたいな。格のやつは又、シコをふむ眞似(マネ)をするだらう。オレもせいぜい氣をつけて(といつても、これ以上氣を付けようが無いんだがね、喘息の起るのは土地と氣候のせゐで、本當は、どうにもならないんだ。)何とかしてさうひどく瘦(ヤ)せもせずに、お前達の所まで歸りたい(何時(イツ)になるか分らぬが)と思つてゐるから、どうか、お前たちも三人とも元氣で待つてゐておくれ。

 近い中に、パラオ本島の視察に出かけようと思つてゐる。これは一週間ぐらゐで歸つてくる。船も三時間程乘るだけだから、危險はない。

 クリスマスの日には、スペイン人の教會へ見に行つて來た。島民達が澤山集つてゐた。黑い女の子がいい着物服を着(キ)て、顏に白粉(オシロイ)(? だらうと思ふ)クリーム? を塗つてゐるのは、トテモをかしい。黑光りのする顏が、ツヤ消(ケ)しになつてゐる。それに、赤く塗つた日本の下駄をはいてゐるんだよ。妙なものさ。

 空襲のないのは有難いが、ずつとそれでも、夜の當番(外を見廻る)をチヨイチヨイしなければならない。出來るだけ身體には氣をつけるつもりだが。

 近頃は又、月がひどく明るい。霜がおりたやうにマツ白で、とてもきれいだ。椰子(ヤシ)の葉が濡(ヌ)れたやうに光つてゐて美しい。この前の手紙で注文(チユウモン)した菓子もノリも手拭も何も送るに及ばぬ。送つたつて何時こちらヘ着くか判(わか)らないものからね。それより菓子でも手に入つたら子供等にウント喰べさせてやつてくれ。

 

 河野(コウノ)の伯母樣は、その後どうしてらつしやるだらう? おとしがお年だからなあ。もう一度お目にかかり度いが、恐らく駄目だらうな。僕が、今の格ぐらゐの時分から、面倒を見ていたゞいたんだが、本當に良い伯母樣だつたなあ。僕も身體をなほして、一人前の人間としてになつて(今のままぢや、半人前にも當らない)お目にかかり度かつたが、それも到頭(トウトウ)出來ない譯だな。もう、桓が十に、格が三つか。早いものだな。綠ヶ丘の二階で桓が「オバケー」のマネをして見せたり、大きな、をかしなマントを着て歩きながら、ボタン、タクチヤンつて言つて喜んでゐたのも、つい此の間のやうな氣がするね。桓と格とが一緒に水ボウソウになつて、顏中ブツブツだらけになつたこともあつたな。格の生れる日の夜明の寒かつたこと(これはお前は、それ所ぢやなかつたから、覺(オボ)えてゐないだらうが)も思出す。あの時テイちやんは本當に良く働いてくれたなあ。お前から、ティちやんに(オレからだといつてもいい)十圓位お年玉を送つちやどうだい? おぢいちやんから格まで、みんな十圓づつだから、テイちやんも十圓でいいだらう? (この事を書いた手紙が、とゞいてゐないと困るから、又、書くよ。十二月十日にサイパンから二百圓送つたが、その中百五十圓は十二月分で、殘り五十圓は、オヂイチヤン十圓、お前十圓、澄子十圓、桓十圓、格十圓づつのお年玉のつもりなんだ。テイちやんへの十圓はお前の小遣からでも出しておいてくれ。それから、十二月十五日にパラオから三百圓(これはお前へのボーナス)、又二十三日に百五十圓(これは少し早いが一月分)送つたが、勿論、受取つたことと思ふ。

 今日は暮(くれ)の二十九日、もう三日すればお正月だが、今年は役所は、ずつと休みなしだし、それにこの暑さでは(昨日はとくべつ暑かつた。朝つぱらから九十度を越してゐるんだもの)どうしても年末の感じが出ない。それでも、僕等にも元日の朝だけはお雜煮(ゾウニ)が出るらしいぜ。毎日の飯の中に、色んな芋(イモ)がまじつてはいる。サツマ芋(イモ)のはいつてる時は、いいんだが、キャッサバといふ南洋産のまづいいものまざつてゐる時は閉口(ヘイコウ)だ。ゼイタクは此の際言へないが。オレはサツマイモが好きだから、米は足(タ)りなくても、サイパンの時のやうに、フカシイモさへ十分喰へてゐれば滿足するんだがね。普通の一軒の家ならサツマイモ位、かなり十分に廻(マハ)つてくるかも知れないのだが、獨身者の所へは何一つ配給がないので、困る。菓子なんか、くはうひたいといふ氣はもうなくなつた。そんなゼイタクは考へられないから。この一月程の間、島中どこを探(サガ)してウドンコのウの字もないんだからね。今、虎屋のヨウカンでもたべたら、却つて腹をこはすだらうと思ふ。久しく、さういふ上等な甘(アマ)さに慣(ナ)れてゐないから。今は、もう何でもいいから、分量さへたりれば、それでいいと思はねばならない。その分量が十分でないんだ

 サイパンから歸(カヘ)つて、しばらくの間、喘息の工合(グアヒ)が面白くなく、四五日缺勤(ケツキン)したが、もう、今は出てゐる。サイパンは乾(カハ)いてゐて、喘息にはごく良いんだがなあ。もう少しサイパンにゐたかつたよ。東京横濱の夏の方がパラオよりは (喘(ゼン)息に)ずつと良い。今の樣子ぢや、パラオは内地の冬とたいして變らない。イヤになつてしまふ。全くえらい目算(モクサン)違ひだつたなあ。役所での生活は相變らず、不愉快。毎日々々イヤーナ氣持バかり味ははせられてゐる。夜、土方さんの所へ行つて、お茶をのみながら、話をするのだけが唯一(たゞひと)つの樂しみさ。東京ではどうだい? 桓や格のオヤツぐらゐ手にはいるかい? まさかこちらの樣なことはないと思ふが。やつぱりお前達を一緒に連れて來ないで良かつたと思ふよ。連れて來てゐたら、子供達が可京さうなものさ。オレだけは寂(さび)しくなくて助かつたかもしれないが。

 暑いパラオの一日も、午後四時となると、さすがに少しラクになつてくる。今役所で之を書いてゐる。今ハ四時少し前、これから宿舍に歸(カヘ)つて一風呂浴(ア)びてから、夕食だ。その中に明るい(實(ジツ)に明るい)月も出てくる。南洋の月の美しさだけは見せてやりたいな。星だつて内地よりズツト明るいよ。

 この間、「野鳥(ヤチヤウ)」といふ雜誌を見てゐたら、執筆者(シツピツシヤ)の中に名古屋山嶽會の村瀬圭といふ名前が見えてゐた。お前のよくする話を思出した。成程、山の好きな人らしいね。

 萬葉集(マンエフシフ)を讀んでゐたら、「あをみづら、よさみの原」といふ言葉が出て來た。あをみといふのは碧海(アヲミ)といふこと。だから、碧海郡の依佐美の原つぱ、といふことになる。從つて、お前や桓の生れた所には、千年以上も前から碧海郡の依佐美といふ名前のついてゐたことが分る。之は一寸面白い發見だつたよ。

 

 内地からもう一(ひと)月以上も、般が來ない。(僕がサイパンから乘つてきたのは御用船(ゴヨウセン)(軍の)だから、新聞も手紙も荷物ものせて來はしない。)これからは、一月に一度どころではなく、もつと、船が來なくなるのだらう。手紙もも次第に[やぶちゃん注:太字「物」は底本では傍点「◎」。]、たまにしか來なくなるのは淋しい。僕の乘つた御用船は、もと秩父(チチブ)丸といつた今の鎌倉丸さ。一萬七千トンの豪華(ゴウクワ)船さ。その一等にのつて來たんだよ。すてきだらう? それでもね、途中に敵の潛水艦(センスヰカン)が出るかもしれないといふので、ビクビクものだつたよ。

 さて、色々書いたけれど、結局、「これからの手紙はみんな中を見られるものと思つて、餘りをかしいこと、(あまつたるいことなんか)書かないこと」「飛行便でも相當ヒマがかかること」「船便なら尚一層ヒニチがかかること」「從つて、僕の手紙も今迄のやうには頻繁(ヒンパン)には出せないが、別に心配しないで貰ひたいこと」「中をあけて、しらべられるため、僕の方でも十分に言ひたいことを言へないやうなこともあるが、それは、そちらで宜しく察して貰ひたいこと」

 以上のことを心得て貰ひたいため、わざく人に賴んで内地へ持つて行って貰ふわけだよ。これだけ書いただけでも、普通で出したら、中をしらべられたらて、破り棄てられて了つて、そちらへとゞかないだらうと思ふ。

 

 …………………………………………………………

 

◎内地から船が來ないうちに、とうとう正月になつてしまつた。おぢいちやんもお前も澄子も桓も格も、みんなお目出たう。ノチヤが三つになり桓が十になつたんだねえ。合宿でも今朝は「おぞうに」。しかし、お餅(モチ)の少ない(おまけに燒きもしない)おつゆのうすい、味のない、まづいまづいおぞうに。それが、ドンブリの中にはいつてゐる。いつもの、オレの所の、一寸ゼイタクな、お餅よりも雞や芋や大根やカマボコのタクサンはいつたおぞうにのことを考へると、ナサケナカツタ。キントンもカマボコもミカンも黑豆もゴマメも何一つ出やしない。それでも朝はまだ良かつたが、晝と夜が大變だ。元日だけは食堂の人も休ませなければならないので、晝食と夜食とは、オベンタウの折詰(ヲリヅメ)なんだが、晝飯と晩食とあはせて一食分しかゴハンもオカヅも無いんだ。つまり、オゾウニのお餅を作るために、割りあてられた米の量を使ひすぎたので、元日の晝と晩の米が足(タ)りなくなつちやつたんだらう。全くかなしい話だけど、十一時(朝のオゾウニが少いので腹が早く、へるので)頃、その折(ヲリ)づめをたべちまふと、二日の朝まで、もう何もたべるものがないんだ。お菓子一つ、ミカン一つ、つまむものもない。スキバラをかかへて、ねてゐるよりはかはない。例の杉山氏(娘を横濱の女學校にやつてゐる)の所へでも行けば、何か、タべモノにありつけるとは考へたが、何だか食物をネダリに行くのがイヤなので、やめて、ひとりで寐てゐた。やつと土方さんから救ひが來て、土方氏の親(シタ)しい或る人の家で夕食にありつけた。その家に八つと四つとになつた二人の男の子がゐた。上の子が餘り桓に似てゐるので、胸のつまる思ひがした。下の子は格よりも大分上等な顏をして、とてもカハイイ子で、アツチヤンといふ名前だ。二人の男の子を見てゐたら、妙な氣特になつてしまつた。

 

 今(一月二日午後一時)シャボンの小包がとどいた。そちらを十一月二十七日に出したやつだ。ムヤミに澤山(タクサン)シャボンを呉(ク)れたものだなあ。丁度元日に船がはいつたんだよ。内地からパラオまで船で一(ヒト)月近くかかつて、やつて來たんだ。潛水艇(センスヰテイ)の現れさうな所を避(サ)けて、大廻(マハ)りをして、とんでもない所を通つて行くもんだから、とてもヒニチがかかるんだよ。

 氷上の所からも山口君の所からも結婚の挨拶(アイサツ)狀が來た。山口君のお嫁さんは、元町の女學校の卒業生。オレも少し教へたことがあるらしいが、ハツキりおぼえてはゐない。氷上のお嫁さんは帝大(東京)教授の娘。間に立つてくれた人は三谷(ミタニ)さんといふ一高の先生。(オレや氷上がよく話をするんで、おぼえてゐないかなあ? 長谷(ハセ)川伸(シン)の生(う)みのお母さんが中々わからず、やつと見つかつたんだが、それが、この三谷さんのお母さんだつた、つていふ話を何時かオレがしたらう?)我は東、オレも南洋にゐるもんだから二度御馳走をくひはぐつたよ。山口君の方の媒杓(バイシヤク)は滋賀さん。

   *]

 

        一月十七日(土) 雨

 昨夜、熱出で、發汗數次。眠る能はず。朝に至りて未だ大いに疲る。勞しあり。リュックサックの重荷は肩に痛く、よほど、今日の出發は止めにせんかとも思ひたれども八時半過土方氏を誘うて出立。ちゝぶ丸十時出帆。かなり搖れたり。板緣の間にずつと寐たきり。カイシャルを過ぐる頃船尾に二匹の魚掛かる。鮪の類なるべし、相當の大きさなり。一時マルキョク着。雨。ビシヨ濡れになりて村吏事務所オイカワサン宅に逃げこむ。榊原氏あり。小猿。山鳩。熱又出でゝ、苦し。直ちに毛のスウェーターをまとひて横になる、夕食は名も知れぬ魚の燒きたるものなれど、うまし。夜、熱。苦し。アスピリン、テラポール服用、

[やぶちゃん注:「テラポール」現在の第一三共株式会社の第一製薬株式会社が昭和一二(一九三七)年に国産第一号サルファ剤として発売した細菌性疾患薬。国産の独創的新薬として知られる。戦中は化膿止めとして衛生兵が使用していた。

 同日附のたか宛葉書(旧全集「書簡Ⅰ」番号一五七)が残る。以下に示す。

   *

〇一月十七日附(消印パラオ郵便局一七・一・一七。南洋パラオ島南洋庁地方課。東京市世田谷区世田谷一ノ一二四 中島たか宛。葉書)

 今から出張旅行に出る。今度は土方さんと一緒だから樂しい。大體二週間の豫定で、月末に歸つて來る。充(じゆう)分に島民の生活を見てくる積り。久しぶりのリュックサックが大分肩にこたへる。

 十七日朝。

   *]

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