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2014/02/19

轉居   山之口貘

 轉居

 

詩を書くことよりも まづ めしを食へといふ

それは世間の出來事である

食つてしまつた性には合はないんだ

もらつて食つてもひつたぐつて食つても食つてしまつたわけなんだ

死ねと言つても死ぬどころか死ぬことなんか無駄にして食つてしまつたあんばいなんだ

ここに食つたばかりの現實がある

空つぽになつて露はになつた現實の底深く 米粒のやうに光つてゐた筈の 兩國の佐藤さんをもついに食つてしまつた現在なんだ

陸はごらんの通りの陸である

食はふとしてもこれ以上は 食ふ物がなくなつたんだといふやうに電信柱や塵箱なんか立つてゐて まるでがらんとしてゐる陸なんだ

言はなくたつて勿論である。

めしに飢えたらめしを食へ めしも盡きたら飢えも食へ飢えにも飽きたら勿論なんだ

僕を見よ

引つ越すのが僕である

白ばつくれても人間面をして 世間を食ひ廻はるこの肉體を引き摺りながら 石や歷史や時間や空間などのやうに なるべく長命したいといふのが僕なんだ

お天氣を見よ

それは天氣のことなんだ

海を見よ

陸の隣りが海なんだ

海に坐つて僕は食ふ

甲板の上のその 生きた船頭さんをつまんで食ひながら 海の世間に向つては時々大きな口を開けて見せるんだ

魚らよ

びつくりしなさんな

珍客はこんなに肥つてゐても

陸の時代では有名な いはゆる食へなくなつた詩なんだよ。

 

[やぶちゃん注:「兩國の佐藤さん」「両国の思い出の人たち」(昭和三五(一九六〇)年三月十日附『沖繩タイムス』)や「ぼくの半生記」(一九五八年十一月から十二月にかけての『沖繩タイムス』への二十回連載)などを読むと、昭和四、五年頃から、貘は両国にあった「両国ビルディング」を根城にして一風変わったやや怪しげな人々と交友していたことや、鍼灸師や汚濊汲取・ダルマ船の船頭をしていたことが分かる。この「兩國の佐藤さん」という人物もそうした付き合いの中で知り合った一人と考えてよく、何より、小説ながら実録性の強い貘の「詩人便所を使う」(『中央公論』昭和一三(一九三八)年九月号)の中で、主人公の「食えない詩人」である「僕」が、ある「ビルディングの管理をしている佐藤さん」の勧めに従って「おわい屋」になって、そこに「佐藤衛生研究所」を開業、営業主任となって……というエピソードが記されている。この「兩國の佐藤さん」とは限りなくこの「僕」に文字通り臭い仕事をさせておいて只管自身が儲けることに邁進する「ビルディングの管理をしている佐藤さん」であると考えてよかろう。なお、この同時期に詩人佐藤惣之助とも親しくしていて、それらの作品にも頻繁に名が出るが、彼は川崎住まいで「兩國の佐藤さん」とは呼べない。また序文を寄せている佐藤春夫が両国に住んでいたことがあるかどうかは不明ながら、文京区公式サイトによれば佐藤春夫は昭和二(一九二七)年から没するまで文京区関口に住んでおり、本詩集「思弁の苑」の発行は昭和一三(一九三八)年で、何より山之口貘の「ぼくの半世紀」の中で、佐藤春夫を山之口貘が訪ねた下りには、『佐藤春夫を知ったのは、大正の終わりごろである。小石川の小日向町にあった佐藤氏宅を、はじめて訪ねた』とあるから、やはりこの「兩國の佐藤さん」は佐藤春夫ではない。

【以下、2014年6月3日 思潮社二〇一三年九月刊「新編 山之口貘全集 第1巻 詩篇」と対比検証により全面改稿】
 原書房刊「定本 山之口貘詩集」では一行目が、

詩を書くことよりも まづめしを食へといふ

字空けはあった方がよいのに除去されており、四行目が、

もらつて食つてもひつたくつて食つても食つてしまつたわけなんだ

と「ひつたぐつて」が「ひつたくつて」に変更され、七行目が、

空つぽになつて露はになつた現實の底深く 米粒のやうに光つてゐた筈の 兩國の佐藤さんをもつひに食つてしまつた現在なんだ

に、九行目が、

食はうとしてもこれ以上は 食ふ物がなくなつたんだといふやうに電信柱や塵箱なんか立つてゐて まるでがらんとしてゐる陸なんだ

になっている。十行目の句点が除去され、十四行目が、

白ばつくれても人間面をして 世間を食ひ廻るこの肉體を引き摺りながら 石や歷史や時間や空間などのやうに なるべく長命したいといふのが僕なんだ

と「廻はる」の送り仮名が「廻る」に、そして最後の句点が除去されている。]

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