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2014/03/17

橋本多佳子句集「信濃」 昭和十七年 Ⅶ 信濃抄三

 信濃抄三

 

はまなすの紅姥捨も霧に過ぎ

 

髮匂ふことも親しく螢の夜

 

きりぎりす日が射せるより露あつく

 

膝前(さき)に秋爐もえつく山の日々

 

硯洗ふ墨あをあをと流れけり

 

身の邊り狐のかみそり日日に立つ

 

草照りて十六夜雲を離れたり

 

靑胡桃地にぬくもりて拾はるる

 

靑栗にしなのの空がすき透る

 

いなびかりひとゐて爐火を更けしめず

 

わがひざに小猫がぬくしいなびかり

 

ひざ前(さき)に爐火が燃えつぐきりぎりす

 

朝刊のつめたさ螽斯(ぎす)が歩み寄る

 

牛乳(ちち)飮みに日日や秋立つ切通し

 

母と子に落葉の焰すぐ盡きぬ

 

   一茶終焉の土藏にて

あさがほや家をめぐりて十數歩

 

[やぶちゃん注:小林一茶(宝暦一三(一七六三)年~文政一〇(一八二八)年)は放浪の後、信濃北部の北国街道柏原(かしわばら)宿(現在の長野県上水内郡信濃町大字柏原)の実家への帰還後、継母や弟と遺産相続係争の末、文政一〇(一八二七)年閏六月一日(グレゴリオ暦一八二七年七月二十四日)に柏原宿を襲った大火のために住んでいた母屋を失い、焼け残った土蔵に住んだが、同年十一月十九日(グレゴリオ暦の一月五日)にそこで三度目の脳卒中の発作のために亡くなった。享年六十五歳であった。復元された一茶終焉の土蔵は現在、終焉の地であった長野県上水内郡信濃町柏原の一茶記念館にある。但し、この一茶記念館は後の昭和三二(一九五七)年にこの土蔵が国史跡として指定された後、昭和三五(一九六〇)年に開館したもので、土蔵もその後二度に亙って解体保存工事が施されたもので、多佳子がこの時見たものとはかなり異なるものと思われる(以上は一茶記念館公式サイトウィキの「小林一茶」その他信頼出来る複数の記載を参考に記した)。]

 

鳥兜花盡さぬに我等去る

 

 

[やぶちゃん注:「鳥兜」は「とりかぶと」。モクレン亜綱キンポウゲ目キンポウゲ科トリカブト属 Aconitum のヤマトリカブト Aconitum japonicum か。見「盡さぬ」うち「に」の謂いか。]

 

道の邊に捨蠶の白さ信濃去る

 

[やぶちゃん注:「蠶」は底本では「蚕」。「捨蠶」は「すてご」で、養蚕に於いては病気又は発育不良の蚕は野原や川に捨てられる。それを言う。

 

日が射せる秋の蚊遣や忌を訪はる

 

[やぶちゃん注:「忌」九月三十日の夫豊次郎(昭和一二(一九三七)年逝去)の祥月命日、六回忌のことと思われる。]

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