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2014/03/07

飯田蛇笏 靈芝 昭和三年(三十一句)

 昭和三年(三十一句)

 

いんぎんにことづてたのむ淑氣かな

 

[やぶちゃん注:「淑氣」は「しゆくき(しゅくき)」と読み、新春の目出度く和やかな雰囲気のことを指す。新年の季語。因みに「大辞泉」では用例として本句が引かれてある。]

 

  戊辰水郷の旅、竹秋盡く、一句

ゆく春の月に鵜のなく宿りかな

 

[やぶちゃん注:「戊辰」昭和三(一九二八)年は戊辰(ボシン/つちのえたつ)。「竹秋」は「ちくしう(ちくしゅう)」で陰暦三月の異称。竹の秋。竹の葉がこの頃、黄ばむことによる。晩春の季語でもある。]

 

山寺や花さく竹に甘茶佛

 

[やぶちゃん注:「甘茶佛」灌仏会(かんぶつえ)の景。灌仏会は旧暦四月八日の釋迦の誕生日を祝う法会で、一般に本邦では草花で飾った花御堂(はなみどう)を作り、その中に灌仏桶を置いてそこに甘茶(本来の「甘茶」はミズキ目アジサイ科アジサイ属 Hydrangea アジサイ節 Hydrangea アジサイ亜節 Macrophyllae ヤマアジサイ Hydrangea serrata 〔亜種 Hydrangea macrophylla subsp. Serrata とする説もある〕変種ガクアジサイHydrangea macrophylla f. normalis 変種アマチャ Hydrangea macrophylla var. thunbergii〔これを独立種として認めずにアジサイ Hydrangea macrophylla 種としてのアジサイ及びガクアジサイ)の亜種 Hydrangea macrophylla subsp. serrata などとする説もある〕の若い葉を蒸して揉んで乾燥させたものを煎じて作った飲料である。スミレ目ウリ科アマチャヅル Gynostemma pentaphyllum の葉や全草から煮出した飲料も「甘茶」と称するが、本来の「甘茶」は前者のアマチャ Hydrangea macrophylla var. thunbergii が真正の甘茶である。この部分はウィキの「甘茶」及びそのリンク先などを勘案してなるべく正確なものを期して記述したつもりである。なお、私も飲んだことがあるが、微かな甘みと苦みをもったもので決して美味いものではない)を満たしておき、誕生仏の像をその中央に安置して柄杓で像に甘茶をかけて祝う(釈迦の誕生時に産湯を使わせるために九頭の龍が天から清浄の水を注いだという伝説に由来する仕儀)。明治以降の新暦になってより、この日(新暦四月八日が桜の時期と重なることから「花祭」とも呼ぶ。昭和三年の旧暦四月八日は五月二十六日であるが、これは新暦の四月八日に合わせて行われたそれであると思われる。この読み替えについては一部参照したウィキの「灌仏会」に(アラビア数字を漢数字に代えた)、『俗に言う「花まつり」の名称は、明治時代にグレゴリオ暦が導入され、灌仏会の日付の読み替えが行われた後の四月八日が、関東地方以西で桜が満開になる頃である事から、浄土真宗の僧・安藤嶺丸が提唱した。それ以来、宗派を問わず灌仏会の代名詞として用いられている。一方、明治以前の民間では灌仏会とは直接関係のない先祖の法要や花立て、あるいは山の神を祀るための祭礼や山開きなどが四月八日に行う場合があった(卯月八日)。祖先神でかつ農事の神でもあった山の神を祀る際には、花が一種の依代として用いられていたことから、花を用いて山の神(祖先神・農事神)や祖先を祀る民間習俗に仏教行事である灌仏会が習合した結果、「花まつり」となったとする解釈もある』とある。]

 

蝶颯つと展墓の花を搏ちにけり

 

[やぶちゃん注:「展墓」は「てんぼ」と読み、墓参りをすること。墓参。「展」は原義の一つ「見る」からこれ自体で「墓参りをする」の意を持つ。有季俳句では八月十三日の盂蘭盆会の墓参で秋の季語であるが、ここは「蝶」が季語で春である。]

 

草鞋して夏めく渡舟去る娘かな

 

夏の雨花卉あらはなる磯家かな

 

[やぶちゃん注:「磯家」は「いそや」で古語。磯近くにある漁師などの家。磯屋。]

 

夏風や竹をほぐるゝ黄領蛇(さとめぐり)

 

[やぶちゃん注:「黄領蛇(さとめぐり)」里回(さとめぐ)りは有鱗目ヘビ亜目ナミヘビ科ナメラ属アオダイショウ Elaphe climacophora の異名。日本固有種の無毒蛇。体色は主に暗黄褐色からくすんだ緑色を呈する(但し、個体差が大きい。ここはウィキの「アオダイショウ」に拠る。以下でも一部参考にした)が、以下、私の推測であるが、網面模様の間は黄色に見える個体が多いように思われ、この「領」は首筋・項(うなじ)以外に襟の意味を持つから、「黄領蛇」とは、その黄色の部分を模様の襟と見立てたものででもあろうか。鼠を主な餌とすることから「鼠取り」とも、また人里近くに棲息し、人家に営巣することもあり、また鼠を追って人家に侵入することも多いことから「屋敷守り」などとも呼ばれる。また本種のアルビノは各地で古来『神の遣い』として信仰の対象とされており、このアルビノ個体群が保存された山口県岩国市周辺では「岩国のシロヘビ」として国の天然記念物に指定されてもいる。

 さてネットを調べると、長谷川櫂氏が二〇一〇年五月二十四日附『読売新聞』のコラム「四季」で本句を鑑賞し、『(長谷川櫂・読売新聞)黄領蛇はさとめぐりと読み、里めぐりとは蛇の青大将のこと。青大将と言えばぎょっと驚くだろうが、里めぐりと言えば里をめぐり歩く巡礼の乙女のような印象がある。竹の穂にからまっていたのだろう、南風にあおられて蛇がどさりと落ちてきた。それを《ほぐるる》とは誠に優しい。』と評されておられることが分かる(引用は個人ブログ「NEKOSAN・HOUSE」のこちらより孫引き。他にも「黄領蛇」で検索すると複数掛かる)。

 ところがそれに対し、例えば、ななこさんのブログ「花に囲まれて」の「ななこの先祖は蛙だった」には、安部公房の『日常性の壁』(私が教師時代に好んで採り上げた教材でもあったから教え子の諸君の中には懐かしく思い出される方も多かろう)の生理的嫌悪感よろしく、『この「ほぐるる」様が私は耐え難いのだ』とされ、しかも『私だって物心ついてから今に至るまで具体的に蛇にまつわる怖い思い出は何もない』にも拘わらず、『母から聞かされた話、妹から聞かされた話、夫の蛇にまつわる武勇伝』等々、『すべて聞いて想像をふくらませて「ほぐるる」その瞬間を感じるだけで身の毛がよだつ』と述べておられる。『その恐怖心は年齢と共に和らぐどころか、実際に蛇に出くわす機会がないだけに、いよいよ想像の産物として巨大化していくのが辛い』とまで述べられた上で、御母堂がななこさんを妊娠しておられた折り、臨月のその御腹の上に梁から青大将がドサリと落ちてきたお話、実家の土蔵の屋根裏に青大将カップルが巣食っていた、御主人が一升瓶で蝮酒を造って物置に並べておられたという話を続けられ、最後に『私は「蛇ににらまれた蛙」のような人間だ。きっと太古の昔、祖先の蛙が大蛇に丸呑みされたに違いない。』と結んでおられるのを読むと、長谷川氏の評は『誠に優しい』リアルにおぞましいものと彼女がお感じなったことが痛いほど分かりもするのである。

 では私はどうか?

 私は幼稚園(練馬区大泉幼稚園卒)の頃、近くの田圃で友だちと一緒に青大将を捕っては長さ比べをしてみたり、首に巻いてみたり、また、その子蛇をこっそり盥に入れて飼って母に叱られたりした。

 即ち、私は蛇好きなのである(因みに妻もすこぶる蛇好きで、タイに一緒に旅行した折りにはニシキヘビを首に巻いて、にっこり笑って写真に納まっている)。

 では長谷川氏の評と、ななこさんの感想のどちらを支持するか? と言われれば――これ――どちらも捨てがたい――と言わざるを得ないのである。

 「なつかぜ」「たけ」「ほぐるゝ」「さとめぐり」(間違っても「黄領蛇」の文字列ではない。音である)という語彙の響きは、長谷川氏の評するような音楽的なスラーの感覚で心地よく、「さとめぐり」という『里をめぐり歩く巡礼の乙女のような』匂いが、ここで初めて「黄領蛇」という文字の「黄」色を画面に伴って、ほぐれてすうーっと空を切って降りてゆく、しなやかな――私の好きな――その青大将のスマートな蛇の肢体がイメージされるのである。山家の隠棲生活を送っていた蛇笏の感懐もそこにまずはあると考えて間違いではない。しかも、そもそも彼の俳号からしても彼は蛇好きであったと考えてよいのである。

 しかし……私は考えるのである。

 蛇嫌いの人がこの句を読んでこの句はおぞましくも凄い句だ、と評したとしたら(そう評する人は恐らく非常に稀であるほどには――阿部が言ったように――蛇嫌悪症の悪性度は強いとはいえるが、中にはいらっしゃるものと私は信ずる)が、それは誤釈だと言えるか? ということを、である。

 蛇嫌いの人『この「ほぐるる」様が私は耐え難いのだ』にこそそうした人々の眼目は集中する。私はその光景を見たとして、その「ほぐるる」さまを『耐え難い』と感じる感性を持たない――ない、のだが――どうだろう?

 そうした……竹に吹く、夏の暑さを少し忘れさせてくれる涼しい景の中に……突如――まさに阿部が言ったようにである――蛇がすうーっと……音もなく……空(くう)を這うかのように……降りてくる……のである……

 これはなかなかに慄っとする――と評したとしても――私は深く肯んずるのである。またもしかしたら、蛇笏はそうした鑑賞者がいるであろうことも分かっていて、確信犯でこの句を詠じたと考えることは、これ、私は強ち牽強付会とは思わない人間なのである。

 大方の御叱正を俟つものである。]

 

荊棘に夏水あさき野澤かな

 

山泉杜若實を古るほとりかな

 

[やぶちゃん注:「杜若」は「とじやく(とじゃく)」と音読みしていよう。なお、杜若は単子葉植物綱キジカクシ目アヤメ科アヤメ属カキツバタ Iris laevigata の漢字表記の一つであるが(中国名は「燕子花」)、本来これは全く別種の単子葉植物綱ツユクサ目ツユクサ科ヤブミョウガ Pollia japonica の漢名であったものがカキツバタと混同されて慣用化されてしまったものである。]

 

くちつけてすみわたりけり菖蒲酒

 

[やぶちゃん注:「菖蒲酒」は「あやめざけ」又は「しやうぶざけ(しょうぶざけ)」と読む。単子葉植物綱サトイモ目ショウブ科ショウブ属ショウブ変種ショウブ Acorus calamus var. angustatusの根を細かく刻んで浸した酒。邪気を払うために端午の節句に飲む。夏の季語。]

 

いかなこと動ぜぬ婆々や土用灸

 

[やぶちゃん注:「土用灸」夏の土用(七月二十日頃から始まる四季節の一つである立秋前の十八日間を指す)に灸の療治をすること。他の時季に比して特効があるとされている。]

 

うろくづに雨降りしづむ盆供かな

 

[やぶちゃん注:老婆心乍ら、「うろくづ」は魚のこと、「盆供」は「ぼんく」で、盂蘭盆に修する供養。盆供養。]

 

蓮の葉にかさみて多き盆供かな

 

[やぶちゃん注:老婆心乍ら、この「盆供」は盂蘭盆に修する盆供養の供物の意。]

 

たくらくと茄子馬にのる佛かな

 

[やぶちゃん注:「たくらく」卓犖。原義は、勝れて他から抜きん出ていること、又は、この上なく優れているさまをいう。ここは「ようようと」といった感じか。乗っているであろうその茄子の馬の雄姿に魂のそれを見ているのであろう。]

 

香煙や一族まゐる藪の墓

 

 

瀧しぶきほたる火にじむほとりかな

 

深山木に雲ゆく蟬のしらべかな

 

[やぶちゃん注:動と静の視覚に聴覚が加わる佳句である。]

 

桑卷いて晝顏咲かぬみどりかな

 

 

ほど遠き秋曉け方のかけろかな

 

[やぶちゃん注:「かけろ」元来は副詞「かけろと」で、鶏の鳴く「こけこっこう」の声をいう語。]

 

  若山牧水の英靈を弔ふ

秋の晝一基の墓のかすみたる

 

[やぶちゃん注:若山牧水(明治一八(一八八五)年~昭和三(一九二八)年)はこの年の九月十七日に沼津の自宅で逝去した。満四十三歳。沼津の千本山乗運寺に埋葬された。]

 

新月に牧笛をふくわらべかな

 

幮果てゝ夜の具嵩なくふまれけり

 

[やぶちゃん注:老婆心乍ら、「嵩」は「たか」。]

 

門前のやまびこかへす碪かな

 

[やぶちゃん注:「碪」は「きぬた」で砧に同じい。]

 

新酒   のむほどに顎したゝる新酒かな

 

落し水田廬のねむる闇夜かな

 

[やぶちゃん注:「田廬」は通常は「たぶせ」と読み、田に拵えた仮小屋、田圃に備えた番小屋のこと。田伏せ。但し、「山廬集」では「タフセ」と清音でルビを振るので、ここも「たふせ」と濁らずに読んでおく。]

 

  宗用海岸所見

秋風や浪にたゞよふ古幣

 

[やぶちゃん注:「山廬集」では「ニギテ」とルビを振る。御幣のこと。にぎて。古くは「にきて」と清音であった。「和幣」「幣帛」などとも書く。後に「にぎて」「にきで」などと変化した。榊(さかき)の枝に掛けて神前にささげるための麻や楮(こうぞ)で織った布(後には絹や紙も用いた)のこと。

「宗用海岸」不詳。「山廬集」でも同じ。しかし、これは現在の静岡市駿河区用宗(もちむね)の駿河湾に面した用宗海岸の誤りではなかろうか? 識者の御教授を乞う。]

 

うら枯れて雲の行衞や山の墓

 

  御岳昇仙峽

紅葉見のやどかるほどに月の雨

 

[やぶちゃん注:「御岳昇仙峽」秩父多摩甲斐国立公園に属する名勝昇仙峡のこと。正式名称は御嶽昇仙峡。甲府盆地北側山梨県甲府市の富士川支流である荒川上流に位置する渓谷。長潭橋(ながとろばし)から仙娥滝までの全長約五キロメートルに亘る渓谷で奇岩多く、特に十一月頃の紅葉が美しいことで知られる(ウィキの「昇仙峡に拠った)。]

 

吹き降りの淵ながれ出る木の實かな

 

山平老猿雪を歩るくなり

 

家守りて一卷もとむ曆かな

 

燃えたけてほむらはなるゝ焚火かな

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