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2014/03/01

日曜日   山之口貘

 日曜日

 

鼻の尖端が淡紅色に腫れてゐる。血液が不純なのか! 鼻が崩れ落ちたら、死んでしまふより外にはないとおもふんだが、僕には女がある

女はあちらの景色に見とれてゐる。子を産むことが一番きらひと言つてゐる。さうして一番すきなのは、洋裝だとのことなんだが、僕は女に所望した

鼻が落ちても一緒に歩かうよ

 

けれども女は立ち止まつた

僕も立ち止まつたのであるが、ここには鼻が聳えてゐるだけなんだらうか。そこに立ち塞がつて、かなしくふくれあがつた膨大な鼻である

あゝ

なんといふ日曜日なのであらうか

既に黄昏れて

鼻の此方、戀愛のあたりは未練を燈してゐる。

 

[やぶちゃん注:【2014年6月17日追記:思潮社二〇一三年九月刊「新編 山之口貘全集 第1巻 詩篇」と対比検証により、注を全面改稿した。】初出は昭和一一(一九三六)年十月発行の『歴程』で、後に出る「鏡」とともに掲載されている。なお、最終行「燈」は底本では「灯」である。

 「定本 山之口貘詩集」では総ての句読点が除去され、最後の句点箇所を除き、皆、字空けになっている。また、大きな改稿として、「鼻が落ちても一緒に歩かうよ」の一行が独立した連になっている点である。これはかなり印象が異なるので、思潮社二〇一三年九月刊「新編 山之口貘全集 第1巻 詩篇」所収の新字体のものを参考に掲げておく。


 日曜日


鼻の尖端が淡紅色に腫れてゐる 血液が不純なのか! 鼻が崩れ落ちたら 死んでしまふより外にはないとおもふんだが 僕には女がある

女はあちらの景色に見とれてゐる。子を産むことが一番きらひと言つてゐる さうして一番すきなのは 洋裝だとのことなんだが 僕は女に所望した


鼻が落ちても一緒に歩かうよ


けれども女は立ち止まつた

僕も立ち止まつたのであるが ここには鼻が聳えてゐるだけなんだらうか そこに立ち塞がつて かなしくふくれあがつた膨大な鼻である

ああ

なんといふ日曜日なのであらうか

既に黄昏れて

鼻の此方 恋愛のあたりは未練を灯してゐる


ここでは句読点の除去が実際の会話を形而上的で詩的な高みへと誘っており、何より、「鼻が落ちても一緒に歩かうよ」という不思議に透徹した詩人の声が天上に木霊するように感じられる。]

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