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2014/03/08

座談  山之口貘

 座談

 

1

 

ある晩

否え毎晩

その娘が

むかふにゐる男を好いてゐさうな目つきをするので

私はうすぼんやりしてゐるのです

 

2

 

むかふの男は俳優ださうです

こちらの私は詩人ださうです

どちらが娘を愛してゐるか

詩人の私であるといふより外はないのです

俳優は長居してゐるのでみつともないのです

考へてみると詩人も長居してゐるのです

どちらが娘を愛し得るかといふことになつたら

私は馳け出して

娘の首すぢを摑んでひつたぐるつもりでゐるのです

 

3

 

娘は左の目蓋に小さなイボがある

お湯の歸りに ふとそのイボに指をふれてみたら血が出てゐたと娘は言ふ

それは戀の話である

戀の話はいろいろある

あゝこの娘よ

もしも私の女房になるならば

奧さんではなくておかみさんになるんだらうが

それは女房になつてみれば直ぐにわかるのである

馴れてしまふのである

 

4

 

きのふの話によると

娘には許婚者があるんださうです

それが私でないところを見れば

あの俳優がさうなんだらうか

 

ぼんやりしてゐるうちに

私の顎下を

夜はなんどもなんども流れてゐたやうです

 

5

 

膝のうへには汚れた履歷書がある

邦子といふのがその娘である

邦子は喫茶店の女給だつたのである

その前の

光子は小學校の教師だつたのである

その前の

妙子も小學校の教師だつたのである

だつたのであるが

だつたことばかりが私の眼には浮んでゐる。

 

[やぶちゃん注:【2014年6月25日追記:思潮社二〇一三年九月刊「新編 山之口貘全集 第1巻 詩篇」と対比検証済。この注を一部追加した。】初出は昭和一〇(一九三五)年五月倍大号『羅曼』に総標題「動物園」で後に出る「動物園」・「春愁」・本詩の三篇が掲載された。思潮社二〇一三年九月刊「新編 山之口貘全集 第1巻 詩篇」解題に発行所は東京市豊島区長崎南の現代詩研究所、編集者が伊福部隆輝、印刷者は村上信助とあり、これは恐らく同年に「羅曼叢書」を出している村上信義堂ではあるまいか。同叢書中には微妙に姓名が異なるが伊福吉部隆著「日本詩歌音韻律論」という本も見出せる。

 原書房刊「定本 山之口貘詩集」では、アラビア数字が斜体ではなく、また、行頭に配されており、「1」の二行目が、

 

いいえ毎晩

 

に、「4」の途中にある一行空きがなくなって、

 

4

 

きのふの話によると

娘には許婚者があるんださうです

それが私でないところを見れば

あの俳優がさうなんだらうか

ぼんやりしてゐるうちに

私の顎下を

夜はなんどもなんども流れてゐたやうです

 

と改められてある。]

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