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2014/03/05

耳嚢 巻之八 禪氣其次第ある事

 禪氣其次第ある事

 

 ある禪林、ふしんありて瓦師(かはらし)瓦釘(かはらくぎ)を打(うち)けるに、右瓦の下に蛇のありしをしらず、丈夫にと打ぬきしに、蛇の首を打ぬきしゆゑ蛇わだかまりくるしみけるを見て、大(おほき)に驚き早速下へおりて、蛇は執心深きものなればいかなる事かなさむ、兼て後生願(ねがひ)の瓦師なれば深く愁ひけるが、長老かへりける故、かゝる事有(あり)し故、心にかゝる趣(おもむき)咄しければ長老、夫(それ)は心得あしゝ、釘をこそうて釘をこそうてと申(まうし)ければ、御影(おかげ)にて心ひらけたりと、瓦師歡びけるを、和尚奧より出て、何を論ずるやと尋(たづね)けるゆゑ、ありし次第を申しければ、夫はまた心得あしゝ、釘を打けり釘を打けりと申ければ、彌(いよいよ)瓦師其意を悟り、歡(よろこび)しとなり。げにも釘をこそうてと諭しては、こそといふ字意また蛇に心あり。釘を打けりといえば、無心瓦釘の事のみなりと。和歌など、題に執着して此病ひ多くありと、古人かたりぬ。

 

□やぶちゃん注

○前項連関:仙気から禅気(注参照)で何となく連関して感じられるのは錯覚か。

・「禪氣」禅機。禅に於ける無我の境地から出る働き。禅僧が修行者などに対する際の独特の鋭い言葉又は動作を指す。

・「禪林」禅寺。

・「瓦師」瓦屋根を葺く職人。

・「瓦釘」屋根瓦が辷り落ちるのを防ぐために打つ釘。

・「後生願」ひたすら来世の極楽往生を願う人。されば庶民の彼の宗旨は禅家のそれではなく、浄土宗か浄土真宗、日蓮宗の可能性が高いように思われる。とすると、これを一種公案に見立てるなら、瓦師はここで禅機に触れて宗旨を変えた可能性もあり、何だか面白いことになってくるように私は思う。

・「長老」必ずしも年長の老人である必要はなく、修行の年期が長く学徳の優れた僧を指し、禅宗では寺院の住職の称としても用いられるものの、上座・上席・耆宿(きしゅく)などと同義であり、この「上座」などは三綱(さんごう:寺内の管理・統制に当たる三種の役僧で上座の他に寺主(てらし/じしゅ:庶務・雑事を掌る。)・維那(いな/いの/いのう:庶務を掌り、またそれを指図する。都維那(ついな)。)の一つで、一般には年長にして有徳で、寺内の僧を監督したり事務を統括する役僧を指す。しかしまた、禅宗では単に相手の僧を敬っていう語でもあり、更に、曹洞宗の僧階の一つとしての「上座」は出家得度後に入衆(にっしゅ:修行僧の仲間に新たに入ること。)した僧をも指し、これら場合、必ずしも老人とは限らない。ここは「和尚」(次注参照)の下の上座の役僧と訳すこととする。

・「和尚」梵語の俗語の音写で「師」を意味する。戒を授ける資格を持つ師の僧や修行を積んだ僧の敬称であるが、広く寺の住職をも指す。この場合、話柄から本禅寺の住職と採る。

・「釘をこそうて釘をこそうて」「釘を打けり釘を打けり」孰れも底本は「釘をこそうて」及び「釘を打けり」のそれぞれの後に踊り字「〱」となっている。これは理屈から言えば「釘をこそうてうて」「釘を打けり打けり」という繰り返しとも読めるが、私は前者はいいとしても後者は禅語としてしっくりこないように思われるのである。禅問答に於ける禅の機迫力から敢えてかく総ての章句を繰り返して表わした。大方の御批判を俟つ。

・「また蛇に心あり」岩波のカリフォルニア大学バークレー校版では「まだ蛇に心あり」である。その方がよい。「釘をこそ打て」係助詞「こそ」の持っている強い取立ての意識には『蛇をではなくまさに釘をこそ打ったのである』という言外の蛇への外延的意識が「まだ」連続しているのである(と私は思う)。「釘を打ちけり」、『私は釘を打ったのだ』という命題にはそうした夾雑物は排除されて、純正無心の透明な世界が在る(と私は思う)。

 

■やぶちゃん現代語訳

 

 禅機にもその階梯のある事

 

 ある禅林に於いて、普請の御座って、瓦師が瓦釘を打っておったところが、かの瓦の下に蛇のおったを知らずに、丈夫にと、思い切り瓦を打ち抜いたところが、その蛇の首もろとも打ち貫いてしまい、屋根と屋根瓦に挟まれ、蛇は蜷を捲いて苦しみ悶えて御座ったを見、大きに驚き、直ぐに抜き放ったものの、蛇は血にまみれたままに、何処ぞへと消えてしもうたと申す。

 瓦師は直ぐに下へ降りて、

「……蛇は執念深きものなれば……かくなる上は……きっと恐ろしき祟りをなすに違いない……」

なんどと――かねてより後生願いの瓦師で御座ったによって――深く愁えて御座った。

 するとそこに丁度、寺の用にて外出して御座った上座の役僧が帰って参ったに出逢(お)うたによって、

「……かくかくのことが御座いましたによって……ひどぅ心に引っ掛かって仕方のぅ御座いまする……」

といった訴えを口に致いたところ、その役僧、

「――それは心得方が、これ、宜しゅうない!――釘をこそ打て!――釘をこそ打て!」

と喝破致いた。

 すると、瓦師は、

「――はッ?!……なるほど! お蔭様で、何とのぅ、我ら、心の晴れ晴れと致しまして御座りまするぅ!」

と、瓦師は悦びの声を挙げた。

 ところがその声を聴きつけたその寺の住持が奧より出でて、

「――さても――何を論じて御座る?」

と訊ねて御座ったによって、瓦師は、ことの顛末と役僧の言葉を申し述べた。すると、

「――それはまた――如何にも役僧の心得方こそ、これ、悪しき極み!――釘を打った! 打った!」

と申されたによって、いよいよ瓦師は住持の真意を悟り、殊の外、歓喜致いたと申す。

 確かに……

――「釘をこそ打て!」と諭して喝破致いたとしても――その――「こそ」――という字意には――これ、未だ『蛇に対する思い』が――在る――

――「釘を打った!」と申さば、無心の瓦釘のことのみが――そこには――在る――

ので御座る。……

 

「……禅機のことは凡夫の我らには到底分かるものにては御座らねど……この話は如何にも目から鱗……和歌なんどにては、出だされた題に執着(しゅうじゃく)するあまり、しばしば、よき歌をし損ずる病い……これ、多く御座るものじゃ……」

と、私の旧知の御仁が語って御座ったよ。

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