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2014/04/27

萩原朔太郎「ソライロノハナ」より「何處へ行く」(13) 敗荷集

 敗荷集

 

[やぶちゃん注:「敗荷」とは枯れ朽ちた蓮の意。これらは末注に示すように與謝野鉄幹の詩「敗荷」へのオードである。]

 

     不忍池、長酡亭に我等が

     酙みたる酒のつめたさよ

 

柳ちるまた鐘が鳴る不忍の

池をめぐりて秋は來りぬ

 

[やぶちゃん注:前書の「酙みたる酒」の「酙」を校訂本文は「酌」と『訂』する。採らない(この字は漢字として存在し、「くむ」と読める)。前書の「長酡亭」その他の詳細注は最後に附した。]

 

み手とればこゝにも秋の夕日落つ

亭をかこめる枯れ蓮のうへ

 

[やぶちゃん注:「枯れ蓮」は原本では「枯」の字は(「木」+「固」)であるが、校訂本文に従い、訂した。]

 

欄により酒をふくめば盃の

底にも秋のうれひたゞよふ

 

[やぶちゃん注:この一首のみ先行発表作がある。朔太郎満二十四歳の時の、『スバル』第三年第三号(明治四四(一九〇三)年三月発行)に掲載された三首の内の一首、

 欄に寄り酒をふくめば盃の底にも秋の愁ただよふ

表記違いの相同歌である。]

 

悲しくも君に強いられ我が叫ぶ

挽歌の節に冷ゆるさかづき

 

[やぶちゃん注:「挽歌」は原本は「晩歌」。少々迷ったが、誤字と判断して、取り敢えずは校訂本文と同じく「挽歌」とした。]

 

鐘なれば敗荷に秋の夕日落つ

君寄り泣けばまた欄におつ

 

自堕落に彈く三味線も

盃の冷ゆるも悲し秋の水樓

 

絶えまなくむつごとするも涙おつ

かつは悲しき秋の日なれば

 

諧謔(かいぎやく)の別れ話も手をとれば

彼の涙おつ我が涙おつ

 

[やぶちゃん注:「長酡亭」は「ちやうだてい(ちょうだてい)」と読む。不忍の池の池の弁天島(中之島)の南岸にあった酒店である。元尾張藩儒者であった文人鷲津毅堂(わしづきどう 文政八(一八二五)年~明治一五(一八八二)年)の事蹟を詳細に綴った彼の外孫であった永井荷風の「下谷叢話」の「第三十九」の叙述中に以下のようにある(底本は国立国会図書館「近代デジタルライブラリー」を視認した)。

   *

……不忍池の周圍が埋立てられて競馬場となつたのは明治十八年である。されば此の時池塘の風景は天保の頃梁川星巌が眺め賞したものと多く異る所がなかつであらう。毅堂等諸家の集り會した酒亭三河屋は辯才天を安置した嶋の南岸にあつた。維新以前には嶋の周圍に酒亭が檐を接してゐたのであるが、維新の後悉く取拂はれて、獨三河屋のみが酒帘(れん)を掲げることを許された。これは主人長太の妹お德といふものが東京府に出仕する官吏某の妾となつてゐた故であつたと云ふ。毅堂等の詩人は長太の酒亭を呼ぶに長蛇亭或は長酡亭を以てした。わたくしの母の語る所を聞くに三河屋の妹德は後に池の端に待合を出した。また三河屋の娘お福は詩會の散じた折には屢妓輩と共に毅堂を送つて竹町の邸に來たが、三河屋破産の後お福は三味線掘の小芝居柳盛座の中賣になつてゐたさうである。明治三十二三年の頃わたくしは三河屋のあつた所に岡田という座敷天麩羅の看板の掲げられてあるのを見た。その後明治四十四年の夏に至つて、わたくしはこゝに森鷗外先生と相會して俱に荷花を觀たことを忘れ得ない。その時先生は曾て秋山に謁して贄を執らんことを欲して拒絶せられたことを語られた。枕山が花園町に住してゐた時だと言はれたから其の歿した年である。

   *

 この叙述から分かるように、これは亭主の名長太を捩った屋号であり、しかも朔太郎がこの歌を詠んだ頃には、後掲する朔太郎の文に出るように、実は同位置に酒店はあったものの既に屋号は変わっていた。

 即ち、これらの「敗荷集」歌群は、実は與謝野鉄幹二十八の時の作で詩集「紫」に載る、

 

  敗荷  與謝野鐡幹

 

夕(ゆふべ)不忍(しのばず)の池ゆく

涙おちざらむや

蓮(はす)折れて月うすき

 

長酡亭(ちやうだてい)酒寒し

似ず住の江のあづまや

夢とこしへ甘(あま)きに

 

とこしへと云ふか

わづかひと秋

花もろかりし

人もろかりし

 

おばしまに倚りて

君伏目(ふしめ)がちに

嗚呼何とか云ひし

蓮(はす)に書ける歌

 

に基づくオードなのである(詩は以下に示す萩原朔太郎の「與謝野鐡幹論」の底本とした筑摩書房版萩原朔太郎全集の「引用詩文異同一覧」の原典を底本とした)。「詩の出版社 ミッドナイト・プレス」の公式ブログの「敗荷 与謝野鉄幹」によれば、これは明治三三(一九〇〇)年八月に大阪に旅した鉄幹が山川登美子・鳳晶子らと住之江の住吉大社に遊んだが、その「わづかひと秋」の後の日に、不忍池の長酡亭にて独り酒を酌みつつ、その時の思い出を「花もろかりし/人もろかりし」と詠んだ追懐吟であったとある。

 山川登美子は鉄幹を慕っていたが、明治三四(一九〇一)年に親の勧めに従って山川家に嫁いだ(翌年、夫と死別。なお、同年に鉄幹は晶子と結婚している)。その後も鉄幹は彼女を「白百合の君」と呼び、「新詩社」の晶子らとともに道を同じくしたが、明治四二(一九〇九)年に没した。

 朔太郎は昭和一五(一九四〇)年二月号『文学界』に発表した「與謝野鐡幹論」(後に「帰郷者」に所収)で、この詩を『おそらく鐡幹の抒情詩中で、唯一の壓卷ともいふべき傑作である』と称揚して、全詩を掲げた上、以下のように評している(底本は筑摩版全集に拠る)。

   *

 前の「殘照」と共に、死んだ愛人に對する追懷の詩であるが、「敗荷」といふ題が示すやうに、逝きて返らぬ日への追懷と、永久に失はれた戀への傷心とが、落魄蕭條とした敗殘者の心境で歌はれてゐる。「夕べ不忍の池ゆく、涙おちざらむや、蓮折れて月うすき。」といふ冒頭から既に悲調であり、敗荷に晩秋の夕陽が落ちかかつてゐる、上野不忍池畔の景情をよく表してゐる。「長酡亭酒寒し」の長酡亭は、不忍池辯天堂の境内にある旗亭で、今は名が變つて別の屋號になつてるけれども、昔ながらの他に面して、欄干の周圍が蓮の葉に圍まれてゐる。詩の第四聯で再度此虞を鮎出し、「おばしまに倍りて、君伏目がちに、鳴呼何とかいびし、蓮に書ける歌。」と結んだのは、過去にその京都の愛人と、同じ旗亭で戀を語つたことがあるのだらう。その追憶の旗亭に來て、敗荷に落つる夕陽を眺めながら、ひとり寒い酒を飲んでる詩人の心境を、落塊たる敗殘者の悲調で歌つてるこの詩の如きは、けだし鐡幹詩中の一傑作であるばかりでなく、明治新體詩中に於ても異例に秀れた戀愛詩の絶唱であらう。定評される如く、藤村は明治戀愛詩人の第一人者であるけれども、その戀愛リリシズムの本質となしてるものは、旅愁に似た淡い漂泊者の愁ひであつて、かうした鐡幹の詩に見る如き、斷腸裂帛の悲調を帯びた戀愛詩とは、本質的に全く異つたものであることを知らねばならぬ。

   *

と絶賛する(但し、最初の部分の「死んだ愛人」というのは事実としては誤りであるが……しかし……朔太郎にとっては失恋の相手とは押しなべて「死んだ愛人」であったことも内的な真実であったに違いない……)。因みに、これより前の部分で『漢詩獨特の悲壮なエスプリが、鐡幹に於て戀愛抒情の中に取り込まれ、星と董の感傷的な情緒の蔭で、新しい西歐詩風な變貌を示したことは、明治新体詩史上に於て充分特筆すべきことでなければならぬ。かうした鐡幹の秋風悲壯調は、次の詩に於て最も完璧に現れてゐる』として掲げられてある「殘照」(同「紫」所収)についても、鉄幹と朔太郎のために同底本から正統な詩形を引用しておく。

 

  殘照   與謝野鐡幹

 

そぞろなりや

そぞろなりや

夕(ゆふべ)髮(かみ)みだる

 

地に霜あり

常住(ぢやうじう)も何んの夢ぞ

人堪へんや

花堪へんや

 

鳴呼わりなし

水さびしげに竹をめぐり

痛手(いたで)負ふ子に似て

獨り秋を去(い)なんとす

 

山蓼(やまたで)の莖(くき)あらはに

黄ばむ日戸に弱し

人しのばざらんや

西の京の山

 

 なお、この朔太郎の「敗荷集」は、いつもと同じく、最後の一首の次行に、前の「涙おつ」の「涙」の左位置から下方に向って、最後に以前に示した黒い二個の特殊なバーが配されて、歌群の終了を示している。]

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