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2014/04/09

日本その日その日 E.S.モース(石川欣一訳) 第十一章 六ケ月後の東京 35 エイプリル・フールの話

 矢田部教授と「四月莫迦(エイプリル・フール)の日」の話をしていたら、彼は、日本人は鹿つめらしく見えるが、中々悪戯(いたずら)をするのが好きだといった。これ等の悪戯の一つに、眠ている人の顔に、薄い赤い紙を非常に軽くはりつけ、そこで部屋中を、火事だ、火事だと呼びながら駈け廻って、彼を起すというのがある。眠ていた者は目をさまし、赤い閃光を見て大急ぎで飛び起きて、初めて自分がからかわれていたことに気がつく。日本のサムライは、外衣の袖と背中とに、白地の美しい模様をつける。これは絹を黒く染める時、白いままで残すのであるが、モンと呼ばれ、紋章、或は家族の飾章ともいうべきである。これ等の紋章は屢々、それを所有する家族が使用する可くつくられた、磁器、陶券、漆器その他についている。白い紙で、嫌われている家族を代表する紋を切りぬいてする、悪戯がある。その一面に、前もって糊を塗っておき、それを手にかくして持つ学生が、友人に近づき、愛情深く手を背中に置いて、紋を外衣に押しつける。すると紋はその場所へくっついて了い、通行人が笑止がるといった次第である。子供の頃、我々は同じようなことをした。白墨で手のひらに莫迦げた画をかき、その手でほかの子供の背中を叩くと、彼は背中にこの絵をくつつけた儘、何も知らずに往来を歩いて行く。

[やぶちゃん注:「四月莫迦(エイプリル・フール)の日」ウィキの「エイプリルフールによれば、エイプリルフール(April Fools' Day)は、毎年四月一日には嘘をついてもよい、という風習で四月一日の正午までに限るとも言い伝えられている(英語の“April Fool”は英語では四月一日に騙された人を指すので要注意)。日本語では直訳で「四月馬鹿」、漢語的表現では「万愚節」又は「愚人節」、フランス語では「プワソン・ダヴリル」(Poisson d'avril:四月の魚)と呼ばれるとあり、『エイプリルフールの起源は全く不明である。すなわち、いつ、どこでエイプリルフールの習慣が始まったかはわかっていない。有力とされる起源説を以下に挙げるが、いずれも確証がないことから、仮説の域を出ていない』とする。その昔、ヨーロッパでは三月二十五日を新年とし、四月一日まで春の祭りを開催していたが一五六四年にフランスのシャルル九世が一月一日を新年とする暦を採用した。これに反発した人々が、四月一日を「嘘の新年」とし、馬鹿騒ぎをはじめたが、シャルル九世は『この事態に対して非常に憤慨し、町で「嘘の新年」を祝っていた人々を逮捕し、片っ端から処刑してしまう。処刑された人々の中には、まだ13歳だった少女までもが含まれていた。フランスの人々は、この事件に非常にショックを受け、フランス王への抗議と、この事件を忘れないために、その後も毎年4月1日になると盛大に「嘘の新年」を祝うようになっていった。これがエイプリルフールの始まりである。そして13歳という若さで処刑された少女への哀悼の意を表して、1564年から13年ごとに「嘘の嘘の新年」を祝い、その日を一日中全く嘘をついてはいけない日とするという風習も生まれた。その後、エイプリルフールは世界中に広まり、ポピュラーとなったが、「嘘の嘘の新年」は次第に人々の記憶から消えていった』。『インドで悟りの修行は、春分から3月末まで行われていたが、すぐに迷いが生じることから、4月1日を「揶揄節」と呼んでからかったことによるとする説もある』とある。また、まさにここでモースが述べている悪戯がフランスでの習慣として以下のように記されてある。『子供達が紙に書いた魚の絵を人の背中にこっそり張り付けるいたずらをする。この『4月の魚』とはサバのことを指すと言われ、ちょうどこの頃にサバがよく釣れるためこう呼ばれるとされる』。]

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