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2014/04/11

耳嚢 巻之八 讚岐高松善通寺狸の事

 讚岐高松善通寺狸の事

 

 讚州松山善通寺、大地(だいち)の禪林にてありしが、文化一二の年にもありしよし、彼(かの)寺に暫く納所(なつしよ)といふべき事せし僧あり。至(いたつ)て律儀篤實の僧にて寺中諸勘定の事預りしが、元來算勘(さんかん)等不案内の僧徒の事なれば、潔白正路に執(とり)行ふといへども、金子貮拾兩程の勘定何分不相立(あひたたず)、朝夕此事を思ひなやみて色々改(あらたむ)るといへども其出(いづ)る所なし。兼て律儀の僧ゆゑ、所詮生(いき)て居(ゐ)ば恥辱也と一途に思ひつめて、所詮死すべしと思ひ極め、其事認置(したためおき)て、今宵は死すべしと坐(ざ)を組(くみ)てありけるに、戸ざしの外にて暫待(しばしまち)給へと聲懸し故、心中の事なれば人の知るべき謂(いはれ)なし、何者なりやと咎めぬれば、先(まづ)表へ出(いで)給へ、可申(まうすべき)事ありといふ故、不思議の事なりと立出(たちいで)見れば古狸にて、恐れ給ひそ、御身も聞(きき)及びなん、我は此山に數年來住(すめ)るものなり、御身何故心志(しんし)を勞し、死すべきと思ひ極(きはめ)しぞととふ故、かく心決(しんけつ)せし上は隱すべきにあらず。しかじかの事にて我死を決せり、兼て山中に年久しく住る狸ありとは聞しが、いかなるゆゑにか我(わが)死をとゞむるやと尋(たづね)ければ、何程の事成りやと尋て、二十金の由を聞(きき)、何卒明後日までに調達なさんと約して立歸りしが、彼僧心に思ひけるは、狸の金子所持すべきやうなし、全(まつたく)盜(ぬすみ)取りてわれを救わん心なるべし、我(われ)手を出さずとも、彼れが盜とりし金にて間を合(あは)せんは、盜(ぬすみ)も同じ事なりと存(ぞんじ)返し、狸を呼(よび)止めて、志は過分至極なれども此事止めにすべし、汝がもつべき金にあらざれば定(さだめ)て他より盜取(ぬすみとる)なるべしと、いさいに斷(ことわり)ければ、尤(もつとも)なる事なれどさらさら其(その)如くの事にあらず、心を安(やすん)じ給へといひて出(いで)去りぬ。さて翌々日に至り夜に入(いり)て侍(はべり)けるに、狸來りて金二十兩渡しぬ。うれしくも約をたがへざる事と歡び謝して、彼(かの)金(かね)改(あらため)見るに常の小判にあらず、いかなる金成(なる)やと尋ければ、彼狸答(こたへ)けるは、是は土佐の境、人倫たへたる幽谷へ、長曾我部(ちやうそかべ)沒落の時、器財金銀を押埋取捨(おしうめとりすて)たるなり。これを取らんとする我黨(わがたう)のものも容易に取(とり)得がたし、漸(やうやく)此通りの數を揃(そろへ)し也(なり)、善通寺の山に年久敷住(としひさしくすみ)て、子孫も多く食にも不足の事ありしが、御身納所にて佛へ備(そなへ)る食物等を山へ捨(すて)給ふゆゑ、我(わが)眷屬を養ふ事を得たり、此恩をも報じ度(たく)、又御身退き給はゞ、いかなる納所か出來て我等が爲にもあしかるべしと、かくこそ思ひつゞけ、眷屬共を催して漸く右埋金を取得し也と語りてさりぬ。さて彼金を見るに、通用の品にあらざれば引替(ひきかへ)んにもし方なく、今は隱すべきにあらざれば、住僧へしかじかの事一部始終かたりければ、住僧大に驚(おどろき)、年中の勘定ゆゑ、不足あらば其譯申せしとて、死に及ぶ事、夢々あるべき事ならずと彼(かれ)が貞實を感じ、さて右の金子住僧の取斗(とりあつか)ひにも難成(なりがたき)ゆゑ、事の譯を領主役所へ訴へければ、領主にても奇異の事に思ひ、彼(かの)金子通用金子に直せばいか程ならんと、その職の者へ尋しに、百金餘に可成(なるべき)由ゆゑ、右の金子は領主に留置(とめおき)、百金餘を善通寺へ與へけるとなり。

 

□やぶちゃん注

○前項連関:妖狸譚シリーズで連関。これはしかし狸を含めて篤実な登場人物ばかりの、すこぶる気持ちのよい妖狸報恩譚である。

・「善通寺」香川県善通寺市にある真言宗善通寺派総本山屏風浦五岳山誕生院善通寺。本尊薬師如来。四国八十八箇所霊場第七十五番・真言宗十八本山一番札所。和歌山の高野山及び京都の東寺とともに弘法大師三大霊場の一つ。善通寺公式サイトの「お大師さまと善通寺」によれば、『善通寺の創建は、『多度郡屏風浦善通寺之記』(江戸時代中期成立)によると、唐より帰朝されたお大師さまが、御父の寄進した四町四方の地に、師である恵果和尚の住した長安・青龍寺を模して建立したお寺で、大同2年(807)臘月(陰暦12月)朔日に斧始めを行い、弘仁4年(813)6月15日に落慶し、父の諱「善通(よしみち)」をとって「善通寺」と号したと記されています』。『鎌倉時代に佐伯家の邸宅跡に「誕生院」が建立され、江戸時代までは、善通寺と誕生院のそれぞれに住職をおく別々のお寺でしたが、明治時代に至り善通寺として一つのお寺となりました』。『山号の「五岳山」は、寺の西にそびえる香色山・筆山・我拝師山・中山・火上山の五岳に由来し、その山々があたかも屏風のように連なることから、当地はかつて「屏風浦」とも称されました。そして、「誕生院」の院号は、お大師さま御誕生の地であることを示しています。御誕生所である善通寺は、京都の東寺、和歌山の高野山とならぶ弘法大師三大霊跡のひとつとして、古くから篤い信仰をあつめてまいりました』。『総面積約45,000平方メートルに及ぶ広大な境内は、「伽藍」と称される東院、「誕生院」と称される西院の東西二院に分かれています。金堂、五重塔などが建ち並ぶ「伽藍」は、創建時以来の寺域であり、御影堂を中心とする「誕生院」は、お大師さまが御誕生された佐伯家の邸宅跡にあたり、ともに弘法大師御誕生所としての由縁を今に伝えています』とある(本文の「大地」はその広大な境内をいう)。頭に「高松」とあるが、実際の高松とは離れてはいる。ウィキの「善通寺」によれば、『近世には高松松平家や丸亀京極家の庇護を受けて大いに栄えた』とあり、当初、現在の香川県全域を生駒家が支配し高松に城を構えており、寛永一八(一六四一年)年に西讃地域に山崎家治が入って丸亀藩が興ってはいるものの、呼称としての「高松善通寺」というのは強ち奇異なものとは思われない。因みに、岩波のカリフォルニア大学バークレー校版は「善導寺」とあり、長谷川氏は未詳と注する。

・「文化一二年」岩波のカリフォルニア大学バークレー校版は「文化三年」とある。因みに「卷之八」の執筆推定下限は文化五(一八〇八)年夏であるから、比較的直近の都市伝説である。

・「納所」禅宗寺院に於いて金銭や米穀などの出納を行う係の僧。

・「算勘」算盤で勘定すること。計算。

・「長曾我部」長宗我部氏。ウィキの「長宗我部氏」より引く。『土佐国長岡郡に拠った国人の一族で、土佐国の七豪族(土佐七雄)の一つに数えられた』。『戦国時代に入って勢力を広げ、長宗我部元親の代で他の豪族を討滅・臣従化して勢力を広げて戦国大名に成長し、土佐一条氏を滅ぼし土佐を統一する。その後も勢力を伸ばし、ほぼ四国統一まで漕ぎ着ける。しかしながら、羽柴秀吉の四国征伐の前に敗れ、土佐一国に減封され豊臣政権に臣従する。その後は秀吉の下で九州征伐、小田原征伐、文禄・慶長の役と転戦』したものの、元親の子『長宗我部盛親の代で関ヶ原の戦いに西軍として参戦・敗北し改易。その後、盛親が大坂の陣に大坂方に味方、敗死したことにより、嫡流は断絶した』。

・「佛へ備る」底本では「備」の右に『(供)』と訂正注がある。

 

■やぶちゃん現代語訳

 

 讃岐高松の善通寺狸の事

 

 讃州松山の善通寺は、これ、大きなる寺地を擁する禅林にて御座るが、文化一、二の年の頃のことで御座る由。

 この寺に、永く納所(なっしよ)という財務をことと致す職に就いて御座った僧があった。

 至って律儀にて篤実なる僧なれば、寺内のありとある勘定事を預っては御座ったものの、元来が算盤勘定なんどは不得手なるが当然の僧徒のことなれば、潔白にして一事が万事正直一筋に執り行のうて御座ったれど――いや、これ――馬鹿正直に誤魔化しの一つもなければこそ――寧ろ「御座ったが故に」と申すべきところであろう――決算額の齟齬が少しづつ積りに積もって、遂にはそのあちこちへの支払い勘定、これ合わせて金子二十両ほども足らずなって、朝夕、このことばかりを思い悩んでは、いろいろと小手先にて小金を捻り出しはうまく相殺(そうさい)せんものと致いたれど、元が正直の不器用者、遂にその二十両、これ、どこからも捻出することも出来ず、大枚の支払いの期日も、これ、迫って御座った。

 さても、かねてより律儀なる僧で御座ったればこそ、

『……畢竟、おめおめと生きおらば、これ、生き恥を晒すは必定……』

と一途に思いつめて、

『……是非に及ばず……これはもう……死ぬしか、あるまい……』

と思い定め、かの債務不始末の儀につき、仔細を認(したた)めおいた後、

『……今宵こそは……最早……死のう……』

と座禅を組んで覚悟を決し、寺内の者らの寝静まる深更を待って決行致さんと、まんじりともせず凝っとして御座った。

 ところが、夜更け近く、締め切った戸(とぉ)の外にて、

「――暫し待ち給へ!」

と誰(たれ)ぞ、声をかけたによって、

『……我らの覚悟……これはあくまで心中に秘したることなれば……人に知られん謂(いわ)れは、これ、あるびょうもないことじゃ……』

と、不審なる闖入者かと、

「――何者なるかッ!」

と厳しく誰何(すいか)致いた。

 と、

「――まず――表へ立ち出でられよ――申し上げたき儀、これ、御座る――」

と申したによって、このような夜更けに、よりによって死を決したる我ら如きに用とは、これ、不思議なること、と訝しく思いながらも、庭方へ立ち出でて見れば

――庭に御座ったは

――これ

――一匹の

――古狸

で御座った。

「――いや、お恐れなさいまするな――御身も聞き及んでおられよう――我らはこの山に数年来住める者にて御座る――さても御身――何故、志しを悩ませ、死のうなどと――これ、思い定めておらるるのか?――」

と正面切ってずばりと問うて御座ったによって、僧は、

「……かく、自死の決意を致いたる上は、何をか隠すべきことかあろう。……しかじかのことにて我ら死を決しておる。……かねてより、山中に年久しく住める狸のあるとは聞いておったが……いかなる訳にてか……我が、この自決を止(とど)めんとするか?……」

と訊いた。

 すると狸は、

「――足らざると申さるるそれは――これ、何程(いかほど)の金子ならんか?――」

と逆に質いて御座ったによって、

「……いや……その……二十両ばかりで御座るが……」

と僧が答えたところが、

「――何卒――死は日延べされよ――明後日までには――その金子――確かに調達致す――」

と約束致いて、狸は立り帰らんと致いた。

 しかし、かの僧、心中に思うたことに、

『……狸がそれだけの金子を所持致いておろうはずも、これ、ない。……これは全く以って、誰ぞ人を騙して盜み取り……何故かは知ら知らねど……我らを救わんとする心積りのようじゃ。……しかし、それはこれ……我らが手を出ださずとも……彼の狸が盜み取ったる金子にて不足を間に合わせんとするは……これ……我ら自ら、盜みを致すと、これ、同じことじゃ!……』

と思い至り、

「待たれよ! 狸どん!」

と呼び止めて、

「……汝の志し、これ、まっこと、有り難く、過分至極のことなれども、このこと、これ、止(や)めに致そうぞ。……汝が大枚の金子を持っておろうはずも、これ、御座ない。……定めて外より盜み取らんと致すのであろう。……されば……」

と、委細を尽くして断りを入れた。

 すると狸は、

「――御僧の申されること、いちいち尤もなることなれど――金子がことはこれ、さらさら御僧の危ぶまるるが如きことにては、これ、あらざるものなれば――心安んじて待たるるがよろしゅう御座る――」

と申すや、ぶらりぶらりと、金玉を風に吹かせては、悠然と裏山へと去って行ったと申す。

 さて、翌々日に至り、夜となって僧が半信半疑に待って御座ったところが、かの狸が来たって

――金二十両

耳を揃えて僧に渡いた。

 僧は思わず、

「……う、嬉しくも、や、約をも違わずに!」

と歓喜して謝して後、かの金子を、いざ、改め見たところが

――これ

――常の小判にも似ぬ

――如何にも古色蒼然とした小判

で御座った。

「……こ、これは……一体……いかなる小判にて御座るか?……」

と尋ねたところが、かの狸の答えたは、

「――これは讃岐と土佐の境――人跡絶えたる幽谷へ――かの長宗我部(ちょうそかべ)が没落せんとする砌り――伝家の什物金銀財宝総てを押し埋め取り捨てたるものの一部にて御座る――これを取らんとするは――これ実は我らが一党の者にても、これ、なかなか容易には取り得難きものにて御座っての――昨日と今日とかけて、ようやくに、この通り、二十両、耳を揃えること、出来て御座った――我ら――善通寺の山に年久しく住みなして――子孫も多ければこそ、その食にもしばしば不足のこと、これ、御座ったれど――御身が納所として仏へ供えたる食物なんどを山へ捨てて下さるがゆえに――我ら、我が眷属一党を辛うじて、これ、養うことが出来て御座った――この恩にも報じたく存じ――また、御身が万一、納所をお退きになってしまわれたならば、如何なる不実の納所の参らんか――それ、我らがためにも定めし悪しきことなりと――かくこそ思うて参ったればこそ――この度は眷属どもを挙げてかの幽谷へと参り――ようよう、この埋蔵金の一部を取り得て御座ったのじゃ――」

と語ったかと思うと、またしても金玉をぶらりぶらりと、ぶらつかせながら、悠然と裏山へと去って御座ったと申す。

 さて、かの金子を見るに、これ確かにどう見ても、今の世に通用せる品にはあらざれば、これ、如何せん、両替せんにも仕方のなく、こうなっては今や隠すべきことにてはあらざれば、住僧の前にひれ伏して、しかじかのこと――金子不足の儀から自死を決したること――そうして不思議の狸の助けによって埋蔵金を得たる一部始終を――告白致いたところが、住僧、これまた、大いに驚き、

「……平素の勘定なれば、もし不足のことあらば、その事実を正直に申さば、非時の金子のあればこそ、それで難なく済んだことじゃに。…死に及ばんなんどという不心得、これゆめゆめ、あってはならぬことじゃぞ!……」

と、かの僧の貞実なるに感じ、納所僧の無事を殊の外、悦んだと申す。

 さて、かの狸のもたらした金子は、これ、住僧方にても取り扱いに困る代物で御座ったによって、ことの次第を委細孟子綴った上、金子とともに御領主の役所へと差し出だいたと申す。

 領主にても、ことの奇異に感ぜられ、かの金子につき、

「これは今に通用の金子に直さば、いかほどになるものか?」

と、その担当の職の者へお訊ねになられたところが、

「ざっと見積っても――百両余りにはなろうと存じまする。」

との答えで御座ったによって、かの狸の長宗我部の埋蔵金は御領主が手元に留め置き、今の小判にて百両余りを善通寺へ下賜なさった、とのことで御座る。

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