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2014/05/30

日本その日その日 E.S.モース(石川欣一訳) 第十二章 北方の島 蝦夷 6 和船について

M345
図―345

M346
図―346

 

 今や港は、米を下し魚を積み込む日本の通商戎克(ジャンク)で、一杯になっている。図345はその一つの写生で、割によく出来ていると思う。檣(マスト)のてっぺんは、折れているのではない。何等かの目的で、みなこんな風に傾いているのである。舟には全然塗料が塗ってなく、絵画的に見える。帆走しているのはめったに見当らないので、しょっ中碇を下しているように思われる。そして文字通り平底――竜骨は影も形もない――だから、追手の時だけしか帆走出来ない。舵は船に対して恐しく大きく、使用しない時には、妙な形に水から引き上げておく(図346)。鎖国していた時、政府は外国型の船舶を造ることを許さなかった。これは政府が、日本船のふたしかであることを知り、かかる船は嵐にあうと制御出来なくなるので、日本人はやむを得ず海岸近くを走っていたのだという。沿岸通商で、彼等は海岸に沿うて二日か三日帆走し、聊かでも、風や暴風雨の徴候が見えると、港湾に入り込み、嵐の来ること、或は嵐の吹き去るのを待つ。日本人は我々の船型が優秀であることを、即座に認めた。維新後外国風の船を造ることを禁ずる法律が撤廃され、今や彼等は、外国の船型に従って造船しつつある。この町にも、造船中のスクーナーが六、七艘あるが、いずれもいい形をしている。造船場は我国のと同じように見えるが、而も職工は全部日本人である。

[やぶちゃん注:私は船舶に暗いので、一部の和船関連の注は主に個人サイト「愛知県の博物館」の「菱垣廻船と樽廻船」を参考にさせて戴いた(菱垣廻船と桧垣廻船は孰れも「ひがきかいせん」と読んで同義である)。ここにリンクして謝すものである。

「通商戎克(ジャンク)」(「ジャンク」は「戎克」のルビ)原文は“trading junks”。「戎克(ジャンク)」は中国で古くから用いられてきた木造帆船の名で本邦では「唐船」と呼ばれて建造も行われている。形がやや似ているためにモースはかく書いたもののようであるが、以下に示する菱垣(ひがき)廻船の構造とはかなり異なるように思われる。因みに「Wikipedia日英京都関連文書対訳コーパス」の中でまさに「北前船」が“trading boat”と訳してあるのを見つけた。但し、ウィキの「弁財船」によると、北前船・菱垣廻船・樽廻船は総て弁才(べざい)船であるものの、菱垣廻船・樽廻船はほぼ同じであるのに対し、北前船は両船とは多少の違いを持つともある。ともかくも、図345の舷側に装飾的に付く「垣立(かきたつ)」の菱形(遠見であったからか、モースは菱形ではなく格子状に描いている)の模様から、これは千石船の名で知られた弁才(べざい)船の発展型である菱垣廻船と思われる。なお、この「垣立」というのは、船の中央部である胴(どう)の間(ま)の積載量を増やすため、即ち、荷物を山積みすることが出来るように両舷側部分を高くしたものである。

「檣(マスト)のてっぺんは、折れているのではない。何等かの目的で、みなこんな風に傾いているのである」菱垣廻船(弁財船)の帆の上げ下ろしには帆桁を帆柱の先端の蟬(せみ)と呼ばれる滑車を通して船尾に繩で通じ、轆轤(ろくろ)と呼ばれる人力の巻き上げ機で船室内から行われたが、思うにこの傾いた部分はその蟬(若しくはそれを含む部分)ではなかろうかと私には思われる。別に名称等があるやも知れぬ。識者の御教授を乞うものである。

「平底――竜骨は影も形もない――追手の時だけしか帆走出来ない」「菱垣廻船と樽廻船」の『■「竜骨」と「航(かわら)」』から引用する(一部の改行を省略、アラビア数字を漢数字に、記号の一部も変更させて戴いた)。

   《引用開始》

■「竜骨」と「航(かわら)」

西洋の船が竜骨(キール)という背骨のような構造を持つのに対し、弁材船はそれに相当するものとして航という部材を持っています。航とは敷(しき)ともいい、船首から船尾まで通す平らな船底材です。

▲航(かわら)

航の幅はかなり広く、複数の板を張り合わせた構造であるときもあります。弁材船は竜骨を持たないことで構造的に弱いとか横向きに流れるため逆風でも帆走が不可能とよく言われますが、これも間違い。航は厚さが三十センチメートル以上もあり、非常に丈夫な構造材です。江戸時代後期の千石積級の船で長さ四十六尺(十四メートル)、幅五尺(一・五メートル)が標準でした。また「根棚」とともに船底から大きく張り出しており、横に流れにくい構造になっています。

   《引用終了》

この「根棚」については、説明するよりもリンク先の「造船」の項を見て戴く方が分かりがよい。モースは「追手の時だけしか帆走出来ない」以下、本船の性能の悪さを書き並べてあるが、それらが概ね誤りであることについてはやはりリンク先の「弁才船の性能」の項に、

   《引用開始》

明治になって入ってきた西洋の船に対して、性能が劣っているようなイメージがありますが、実際にはかなりよい性能でした。

●切りあがり角度

弁才船は順風でしか走れないとよくいわれてきましたが、そんなことはありません。横風帆走を意味する「開(ひら)き走り」や逆風帆走を指す「間切(まぎ)り走り」といった語は、すでに十七世紀初頭「日葡辞書」に収録されています。浪華丸の航走実験では向かい風に対しては風の来る方向から左右六十度、横流れを含めても七十度を記録しています。弁才船の逆風帆走性能は、ジャンク(中国船)やスクーナ―型などの縦帆船(じゅうはんせん)に比れば劣りますが、 実習船の日本丸(四本マスト)のようなバーク型などの横帆船(おうはんせん)にややまさっています。弁才船の耐航性と航海技術の向上した江戸時代中期ともなると、帆の扱いやすさとあいまって風が変わってもすぐに港で風待ちすることなく、可能な限り逆風帆走を行って切り抜けるのが常で、足掛け四日も間切り走りを続けた例もありました。

   《引用終了》

と美事に説明されてある(浪華丸というのは大阪市の「なにわの海の時空館」にある実物サイズの忠実に復元された菱垣廻船の名)。モース先生、お分かり戴けましたか?

「舵は船に対して恐しく大きく、使用しない時には、妙な形に水から引き上げておく」「菱垣廻船と樽廻船」の「■舵」に『船体の割には舵は大型でしかも固定式ではなく、水深に合わせて引き上げることができるように吊り下げ式で』あって、これは本邦では『水深が浅い港も多かった』ことから、『岸にできるだけ近づくための工夫で』あったと述べてある。舵が大きい理由については、それが破損しやすく遭難し易い危険性を孕むものであったものの、舵が大きいと『横流れを防ぐウイングキールの働き』『すなわち、荒天時の安全性』を度外視して、航行『性能を重視した設計思想によるもので、今ではちょっと考えられないもので』あると述べられてある。

「ふたしかであること」原文“the unstable character”。何故、平仮名なのか分からないが、ここは素直に「不安定な性質であること」若しくは「航行性能が劣る」と訳してよいところである。

「外国風の船を造ることを禁ずる法律」ウィキの「船」の「歴史」「日本」の「江戸時代」の項に、江戸初期の寛永一二(一六三五)年に「大船建造禁止令」が施行され、船の五百石積以上の建造が禁止されたとある。但し、すぐに商船は対象外となり、鎖国を行っていたがゆえに外航船を建造する必要がなくなった日本では、逆に商船が帆走専用に特化改良され、弁才船が誕生、その発展型の菱垣廻船や樽廻船が江戸期を通じて大いに近海海運を発展させたという主旨の記載がある。この辺りもモースの認識にはかなり誤りが認められる。

「スクーナー」原文“schooners”。二本以上のマストに張られた縦帆帆装を特徴とする、洋式帆船の一種。最初にオランダで十六世紀から十七世紀にかけて使われ、後のアメリカ独立戦争の時期に北米で更に発展した。(ウィキの「スクーナー」に拠った。構造・性能等はリンク先を参照されたい)。]

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