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2014/05/24

病んだ日   山之口貘 / 山之口貘新全集による既刊詩集未収録詩篇の電子化に突入

[やぶちゃん注:以下、思潮社二〇一三年九月刊「新編 山之口貘全集 第1巻 詩篇」の「既刊詩集未収録詩篇」を底本として、旧全集に載るものにあってはそれも参考にしつつ、新全集の編集権を侵害しないようにするため、ここでは順編年(古い詩篇から新しい詩篇へ、で思潮社版は逆編年形式を採用している)という、我々にとっては馴染み易い(と私は――概ね逆編年に拘るバクさんには悪いが――思っている)形で順次、電子化してゆく。また新全集は正字採用であるが、今まで通り、戦中・戦前の作品については私のポリシーに則り、恣意的に正字化する。なお、私にとって、一般のバクさんの詩篇と同列に扱うことにやや違和感を感ずる一部詩篇(具体的には依頼製作の校歌)については別に纏めて電子化する。]



 病んだ日

 

掠む病の憎々しさ

動けむものは はらはらと

小さき暗きアトリエに

涙はこぼる。

友は皆――――

夏の日を

のんびりとした新綠の原へと

嗚呼羨まし羨まし

彼等活氣滿つものは、

田舍の道に

いかで我は日向とれんや。

悲しきものの貧しき吐息

思ひ寢にきみの顏夢見

ひとしきりまた重たき

涙はこぼる

哀れなものの身のはかなさ

病に戰ふ興奮も湧かぬ

嗚呼…………

虛弱き身の■憊を

名殘■く晴らしてくれよ

眞紅の血潮

神の救ひの情は待ち遠し。

 

[やぶちゃん注:底本では末尾に下インデントで『一九二一・五・一五』とある。底本編者が判読に迷った箇所は編集権を尊重するため■に変えた(底本では、判断に迷った箇所は( )で示されてある。以下、この注は略す)。因みにそれぞれ、底本では「■憊」の「■」は「困」、「名殘■く」の「■」は「な」と推測されてある。松下博文氏の解題によれば(以下同じ)、大正一〇(一九二一)年十月一日附『八重山新報』に掲載された。同誌は石垣島に拠点を置く旬刊地方紙で、この年の三月一日に比嘉統煕(ひがとうき:検索をかけると明治二九(一八九六)年の最初の沖縄県民の米国移民の中に同名を見出せるが同一人物か)によって創刊(実際の創刊号発行は二月。「石垣市教育委員会市史編集課 八重山近・現代史略年表」の八重山近・現代史年表 明治12年~昭和20年8月14日までに拠る)されたもので、以下見るようにバクさんの最初期の詩歌発表の主な舞台となった。バクさん、当時十八歳、旧全集年譜によれば、この前年頃には大杉栄の影響を受け、在学していた沖繩県立第一中中学校(現在の沖縄県立首里高等学校)から目をつけられていた。また当時既に『沖繩朝日新聞』『沖繩タイムス』『琉球新報』などに盛んに詩を発表していたが、家庭的には、父重珍が事業に失敗(この二年ほど後にはバクさんの一家はばらばらになったと推定されている)、バクさんは中学四年で中退(当時の旧制中学校は五年制。バクさんは中学受験に一度失敗しているために一つ年が上になっている)、九月には大正八(一九一九)年に婚約していた呉勢(ぐじー)から一方的に婚約解消を申し渡されてもいた。この詩が発表された凡そ一年後、大正一一(一九二二)年の秋、バクさんは画家を志して最初の上京を果した。本詩に象徴的に現われる屈折した心理は、まさにそうした波乱の前後の心象をよく写しているように思われる。【2014年7月3日追記】『八重山新報』についての解説を追加した。]

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