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2014/05/04

ブログ・カテゴリ 柴田天馬訳 蒲松齢「聊斎志異」 急遽始動 / 続黄梁

ブログ・カテゴリ『柴田天馬訳 蒲松齢「聊斎志異」』を急遽、始動する。芥川龍之介の「黄梁夢」の評釈中、僕の偏愛するその柴田天馬訳がパブリック・ドメインになっていることに気づいたからである。
柴田天馬しばたてんま(明治五(一八七二)年~昭和三八(一九六三)年)は中国文学者・ジャーナリスト。鹿児島県生まれで本名は一郎。東京法学院(現在の中央大学)に学び、後に満州に渡り、当地で出会った「聊斎志異」部分訳を、現地の日本語新聞に連載して大正八(一九一九)年に刊行、新版を出していた第一書房創業者の長谷川巳之吉の強い勧めで、全訳の刊行にかかったが、昭和八(一九三三)年に発禁処分となり、一巻のみで中絶したものの訳作業は続けた。現地の日本語新聞社の重役などを経て、戦時中は南満州鉄道に嘱託で勤務、引き揚げで資産を失うなどの紆余曲折を経る中で、昭和二六(一九五一)年から翌年にかけて「聊斎志異」全訳を完成・刊行、昭和二八(一九五三)年に毎日出版文化賞を受賞した(ここまでの事蹟はウィキの「柴田天馬」に拠った)。
彼の本作の訳は原文の文字列に独特の味わいをもった和訓ルビを施すという画期的なもので、読んでいてあたかも原文を読んでいるような、原文が読めているような不思議な錯覚を惹起させる卓抜な訳である。私は十八の時から耽溺している訳文である。
底本は角川書店昭和五三(一九七八)年刊「聊斎志異」(角川文庫改版十五版)を用い、僕の電子テクストとしての色をつけるために、最後に原文を併載した。原文は中文サイト「開放文學」の「聊齋誌異」に載るものを参考に、句読点や記号を変更・省略して原典表記に近づけ、一部の漢字をユニ・コードの正字に変えた。また、直接話法(若しくはそれに準ずると私の判断した部分)を改行、さらに天馬氏の訳の段落構成に合わせても改行を施し、対照して読めるように便宜を施した。
今回は特に芥川龍之介の「黄梁夢」に合わせ、「続黄梁」を公開する。痛快にして天馬空をくが如き天馬訳を存分にお楽しみあれ!

 続黄梁ぞくこうりょう

 福建のそうという挙人が、みごとに南宮れいふの試験に及第した時のことである。二、三の新貴者きゅうだいしゃたちとともに、郊外に遊びにゆき、ふと昆盧禅院びるでら一に一人の星者うらない二が寓っていると聞いたので、駒をならべて問卜みてもらいに行った。そして室にはいってすわっていると、星者はその意気ごみを見て佞腴せじをいうので、曾はおおぎを動かして微笑しながら、蟒玉やくにん三になる天分があるかないか、とたずねた。すると、星者はかたちを正して、
 「二十年の太平宰相でござります」
 と言った。曾はたいそう喜んで気ぐらいが、高くなった。
 おりから小雨が降りだしたので、遊び仲間とともに坊さんの僧舎に雨やどりをした。しゃの中には、目のくぼんだ鼻の高い一人の老僧がいたが、ふとんの上にすわったまま、偃蹇いば四って礼もしなかった。
 みんなは、ちょっと挙手したままねだいに登って話し合った。卜者を信じているみなの者が、曾に向かって宰相の賀を述べると、曾は高慢らしく仲間に向かって、  「ぼくが宰相になったならば、張年丈ちょうおじさんは江南の巡撫しよう。うちの中表いとこを遊撃隊の参にする。うちの老蒼頭じいやは小千把くらいで本望だろう」
 と言ったので、一座は大笑いをしたのである。
 門外では、ますます雨の降りしきるのが聞こえていた。曾はだるくなったので、ねだいに伏せっていると、二人の中使じじゅう天子手詔てんしかんを持ってきた。国計を定めるために、曾太師を召すとの、みことのりである。曾は得意になってすぐ入朝すると、天子は席をすすませられ、ながいことあついおことばがあったうえ、三品から下のものは、その任免を許すとおおせられ、蟒衣もうい、玉帯および名馬を賜わった。曾は官服を稽首おじぎをして退出したが、家にはいると、それは、もうもとの屋敷で暗なかった。描いた棟木、彫りをしたたるきで、壮麗をきわめていた。曾は、どうして、にわかに、こんなになったのか、自分でも、わからなかった。しかしひげをひねって、ちょっと呼ぶと、雷のようにおおぜいの返事が聞こえた。
 たちまち公卿から海の物を贈ってくれる。背をかがめ足恭きざみあしで歩く者どもが、重なりあって出入りをする。六が来れば、倒履あしをそらにして迎えるが、侍郎なんかは一揖しただけで話し合い、それ以下になると、ただ、うなずくばかり、といういきおいであった。
 山西の巡撫が女の楽手十人を贈ってくれた。みんな美人で、ことにすぐれたのを、嫋々じょうじょう仙々せんせんといい、二人はたいそう曾の寵愛をこうむった。
 曾は科頭かむりもつけず、ゆあみがすむと、毎日、声歌を聞くのを仕事にしていた。
 ある日、自分が微賤のころ、県の紳士王子良おうしりょうが自分を助けてくれたことを思いだし、いまや自分は、こんなに置身靑雲しゅっせしているのに彼はまだ嗟跎仕路ろうにんをしているから、引きあげてやろうと考え朝早く上書して諌議に推薦した。そしてすぐ兪旨おおせを受け、すぐ王を擢用てきようしたのであった。
 曾はまた、郭という太僕が、前に自分に睚眦しろいめをみせたことを思いだして、呂という給と侍御の陳昌などにそう言って旨意むねをふくめておいた。翌日になると弾劾文が、こもごも出たので、おおせを受けて郭を免職にした。これで曾は、恩も怨みも片づいて、さっぱりしたのである。
 ある時、郊外に出て行くと、酔いどれが行列に触れたので、人をやって縛ったま京尹みやこに引きわたした。酔いどれは、すぐさまころされてしまった。隣屋敷や地続きの者たちは、みなその勢いにおそれ、よく肥えている土地や産物を進呈するので、曾の富は国庫にもひとしいほどになった。
 まもなく嫋々と仙々が、つぎつぎとなくなったので、朝夕、思い暮らしているうちに、ふと思いだしたのは、むかし東隣の娘のすぐれて美しいのを見て、買いとって妾にしたいと絶えず考えながらも、綿薄かねがなくて願いのかなわなかったことであった。今日こそこころのままだと、腕のある家来を何人かやってむりに金を受けとらせた。すると、しばらくして娘を籐の輿にのせていて来たが、昔見た時より、ずっとあでやかになっていた。曾は、これで本望だと思った。
 また一年過ぎた。朝廷のひとたちのなかには、内々悪く思っている者があるようだったけれど、みんな為立仗馬くちをつぐんでいたし、曾も慢心していたので、気にもとめなかった。すると竜図閣りゅうとかくの学士でほうという人が上疏をした。それは、ざっと、こういうのであった、
「ひそかに思いますのに、曾某は、もともと酒を飲み賭にふけっていた無頼漢で、市井の小人なのであります。一言のみころにかなえるものがあったために、ひじりのいつくしみを受けるような光栄を有し、父は紫をき、児は朱をはお一〇、恩寵をきわめておりますのに、身を捨て、こうべし、もって万一に報じたてまつることを思わず、かえって思いのままに威福をほしいままにし、死すべき罪は、擢髪難数かみのけよりおお一一いのであります。役目を売りものとし、欠けている官職のよしあしを考えて、価の重軽を定めるので、公卿も将士も、ことごとく彼の門下に走り、あたえをはかって引きたてを求めるさまは、あたかも、あきないのごとく、きげんをうかがいに集まるものは、かぞえられぬほどであります。もし傑士賢臣の彼におもねることをがえんぜぬものがあるときは、軽きは、これを閑散の職におき、重きは、官をはいで平民に組みいれ、はなはだしきは、彼にくみせず、鹿馬よこしまの奸にさからったために、遠く豺狼之地かたいなかに放たれたものもあります。朝士たちは、これがために心を寒からしめ、朝廷は、よって孤立のありさまとなられました。そして平民の膏腴こうゆをほしいままにむさばり食らい、良家の女子を無理にめとるので沴気冤気にくみうらみの雲霧に、暗として天日もないのであります。しもべがゆけば知事も面会し、書函をやれば司院も法をまげ、台所のものや瓜葛之親つづきあいのものさえ出る時は駅伝の馬に乗り、風のごとく行き、雷のごとく動き、地方官の接待が少しでも遅れると、馬上からのむちが立ちどころに至り、人民をいため、役人を追い使い、曾の扈従けらいの臨むところは野に靑草なしであります。しかも某は炎々赫々、寵をたのんで悔ゆるところなく、お召しになれば闕下けっかで承り、萋菲ざんげん一三を君前に申しあげ、役所をさがれば、すぐに後苑でさんざめかし、色にふけり、狗を養い、馬を飼い、昼も夜も荒みたわむれ国計民生は念慮にないのであります。世上になんでこのような宰相がありましょうや。内外は訛伝かでんに驚き、人情は洶々としております。早く死刑にいたさねば、必ず曹操王葬の災いをかもすでありましょう。臣は夙夜しゅくやただそれを恐れて、安んずるところなきために、死をおかして彼の罪を列款かきならべ、宸聴に達し、伏して、奸佞かんねいのこうべ断ち、彼がむさぼれる財産を取りあげ、上は天の怒りをかえし、下は民のこころを快ならしめられんことを祈るのであります。もしはたして臣のことばに、あやまりがありましたならば、刀鋸鼎鑊おもきつみを臣が身に加えたまえうんぬん」
 かきつけが上てんしされたということを聞いて、曾は氷を飲んだように、ぞっとしたが、幸いにして皇上てんしはお許しになり、上疏をおてもとに留めて発表されなかった。しかし続いて科道、九一四が、こもごも弾劾上奏したので、まえには門人と言い仮父おやぶんと称していた者さえ、顔をそむけるようになった。
 やがて、役人が調べに来た。曾がちょうどおおせを聞いて驚いていると、剣を帯び、戈を持った数十人の武士が、ずかずかと内寝いまにはいって来て、曾の衣冠をはぎとり、妻といっしょに縛りあげた。そして何人かの夫役が金を庭に運びだした。金、銀、銭、さつが数百万。真珠、翡翠、玉などが数百こくとばり、幕、簾、寝台などか数千点。子供のむつきから女のはきものまでが、庭の階段に投げだされているのを、曾はいちいち心をいため目を刺されるように見たのである。
 さらにまた、一人が美しい妾をとらえて来た。髪を乱して泣いている、玉のすがたの思い乱れたありさまを見て、悲しみの火が心を焼くのを、曾はがまんして黙っていた。
 やがて楼閣倉庫いえくらが封印されでしまうと、めつけの者はすぐに曾をしかりつけ、取り巻いて引きたてて行くので、夫婦は声をのんで就道たびに出た。ぼろ車でもよいから、とにかく歩く代わりにしたいと頼んだけれど、それも、手にはいらなかった。
 十里あまりを行くと、妻は足弱なので、ころびそうになるのを、曾はときどき片手で引きあい、また十里あまりを歩いた。そのために曾は、自分もすっかり、よわってしまった。
 ふと雲にとどくような高い山が見えた。とても越えることができまいと心配し、ときどき妻の手を引きながら向かいあって泣くのであった。けれども、監視の者は、こわい目をして見にくるばかりで、少しも停駐やすむことを許さなかった。
 夕日は、すでに落ちたが、投止とまるようなところもないので、しかたなく、よろよろと歩いて行った。そして山の腰まで来た時には、妻は、もう力が尽きたと見え、泣きながら路ばたにすわりこんだので、曾も憩止やすんで、監視の者のしかるままになっていた。
 すると、わいわい言いながら、手に手に鋭い刀を持った盗賊の一群がおどり出たので、監視の者たちは驚いて逃げてしまった。曾はひざまずいて、
 「遠くへ流されるもので、何も持っていません、どうぞ許してください」 と言うと群盗は裂眦まなじりいて、
 「おれたちは、みな、きさまのため年寄をこうむった冤民なんだ。ただ佞賊あくにんの頭さえ、もらえば、いいのさ。ほかに取るものはないんだ」
 と言うので、曾は怒って、
 「おれは罪を受けているが、朝廷の役人だ! 泥ぼうめ! なまいきな!」
 としかりつけると、賊は怒って、大きなおので曾の首を斬った。頭は地面に落ちて音がしたようにおもわれた。曾の魂が驚いていると、鬼が二匹来て、曾の手を持って追い立てて行った。数刻いくときか歩いて、ある都会にはいり、また、しばらく歩くと宮殿が見え、その中にはいると、殿上に一人の醜悪な形をした王さまが机によりかかって決罪福さいばんをしていた。曾は進み出て、平伏しておおせを受けたまわった。王さまは大きなほんを開き、二、三行見たばかりで、ひどく怒って左右の者に昔に言った、
 「君をあぎむき国を鳩やまった罪じゃ! かまゆでにいたせ」
 何万という鬼どもの群和こたえる声が雷のように響くと、大きな鬼が曾をさげて、だんの下にやってた。見ると、かなえの高さは七尺あまりもあり、まわりの熾炭すみびで、鼎の足はすっかり赤くなっていた、曾は恐れて泣き悲しんだけれど、逃げる路はなかった。そのうちに鬼は左手で髪をつかみ、右手でくるぶしを握って、骨を鼎に投げ入れた。からだが油の中で浮いたり沈んだりすると思うまに、皮や肉が焦灼やけて痛さが心にとおり、わきたった油が口からはいって肺腑がにえるような気がした。早く死にたいと思うが、どうしても死ぬことができなかった。かれこれ食事をするほどの時間がたつと、鬼は大きなさすまたで曾を取り出し、また堂の前にひきすえた。すると王さまは、また冊籍ちょうめんを調べて怒って言った、
 「勢いをたのんで、人をしのいだのじゃ! 刀山地款の苦しみを受けさせえ!」
 鬼は、また曾をさげて行った。見ると、一つの山があって、あまり広くはなかったが、壁のようにそびえ立っていた。そうして鋭い刃が縦横に乱れているありさまは、密生した筍のようであった。曾よりも先に何人かのものが、その上で腸をけられ腹を刺されていて、その泣き叫ぶ声は、あわれをとどめていた。鬼は登れと言って曾を促がした。曾がたいそう泣いてしりごみすると、鬼は毒錐であたまを刺すのだ。痛みに耐えながらあわれみを請うと、鬼は怒って曾をとらえ、空を望んで力まかせに投げた。からだが雲の上にあるかと思うまもなく、目がくらんで落ちてくると、刃がもう胸に刺さって、言いようのない痛さを感じた。そして、しばらくすると、からだの重みで、刀の穴が、だんだん広くなって、忽焉こつえんとぬけ落ちた。そこで、身をかがめていると、鬼は、また追いたてて、王の前につれて来た。王は会計に言いつけ、曾が、いままでに、官爵を売り、名誉をひさぎ、法律をまげ、財産をうばって手に入れた金銭は、何ほどかを調べさせた。すると、ひげの長い人が勘定して、
 「三百二十一万であります」
 と申しあげたので、王は、
 「彼が既積たくわえただけを飲ませい!」と命じた。
 しばらくすると、金銭を取りよせて、丘のように、階段に積みあげ、それを、つぎつぎと鉄のかまに入れて烈火でとかし、幾匹かの鬼に、かわるがわるひしゃくで曾の口にそそぎこませた。あごに流れると皮膚が臭く裂けただれ、のどにほいると臓腑が煮えかえった。生きている時には、この物の少ないことになやんでいたが、今はこの物の多いのに悩むのだった。
 半日たって、やっと口につぎこむ金銭がなくなると、王は曾を甘州に押送させて、女に生まれかわらせることにした。そこで、数歩いくあしか歩いて行くと、まわりが何尺かの鉄の梁がだいの上にのせてあって、それに一つの大きな輪がかかっていたが、その大きさは幾百由一五かれず、五色のほのおが出て、光が雲霄そらてらしていた。鬼が、なぐって輪に登らせるので、目をふさいで飛び乗ると、輪は足を動かすにしたがってまわっていたが、落ちたように思うとからだじゅうが涼しくなったので、目を開けてたら、自分は、もう嬰児あかごになっていた。しかも女の児なのである。父母は、ぼろをさげているし、室の中にひょうとつえとがあるので、こじきの子になったことが、わかった。毎日そのこじきについて拓鉢もらい歩いたが、いつも腹がごろごろ鳴って不得一飽かつえていたし、やぶれた着ものを着て風が曾を刺すのであった。
 十四の年、という秀才に売られて妾になったが、ただ着て、食っているというだけであった。その上、本妻がひどくわがままな人で、毎日、むちを持ってなぐるのを仕事にしていた。時には赤鉄やけがねで胸や乳をくことさえあった。しかし幸いなことに良人がたいそう優しい人で、かあいがってくれるので、多少は慰められた。
 あるとき東隣の悪少年が、垣を乗り越えて忍びこみ、言うことをきけと言ってせまった。しかし前世の悪孽つみで、あれほど鬼から責められたのだ、いまさら、なんでまた、そんなことかできようと思って、大きな声で叫んだ。その声を聞いて、良人も本妻も皆起きてきたので悪少年は逃げてしまった。
 それから、まもなく、秀才が自分の部屋に泊まらせてくれたので、寝ものがたりに、つらい境遇をはなしていると、ひどい音がして、部屋の戸が、ばっと開き、刀を待った二人の賊がはいって来て、物をも言わず秀才の首を斬り落とした。そして着ものや品物を、せっせとふくろに入れているので、よぎの中に丸くなって隠れたまま声も立てずにいたが、やがて賊が出て行ったので、どなって本妻のへやにかけこむと、本妻は驚いていっしょに泣きながら調べるのであった。調べているうちに妾が奸夫と謀って夫を殺させたのだろうと疑うようになって書面で勅史ちじに訴え出た。厳重な取り調べののち、酷刑の罪案さいばんがきまり、それは四肢を斬り放し、最後にのどを切る凌遅としう残酷な刑罰であった。罪もないのにこんな極刑を受けるかと思うと、うらみに胸がふさがるような気がした。刑場に行く途中も、足ぶみをして冤罪をとなえ、十八地獄でも、こんな闇はなかろうと思って、悲しみ叫んだ。すると、
 「きみ! うなされてるじゃないか」
 と言う声が聞こえた。友人の声であった。はっと目をさまして見ると、老僧はやはり座禅をくんでいるのであった。
 仲間が口々に、
 「日暮れになって腹がへったのに、どうして、いつまでも寝ているんだ」
 と言うので、曾が悲しげに起きあがると、老僧は笑って、
 「宰相の占いはしるしがあったかな?」
 と言った。曾は驚き怪しんで老僧を拝し、謹んで教えを請うと、僧は言った、
 「徳を修め仁を行なえば、火坑の中にも青蓮ありじや。わしには、わからん!」
 曾は来た時は得意であった。そしてがっかりして帰った。それから台閣しゅっせこころうすくなり、山にはいったまま、終わりがわからなかった。

  注

一 毘盧仏を本尊とした寺。
三 人の生年月日によって吉凶を占う星命術である。この術は、唐の季虚中に始まり宋の徐丁平によって完成されたので、術者を子平というようになった。
三 蟒袍玉帯、すなわち官吏の衣服である。
四 楚辞に、霊偃蹇、とある。挙がる形である。したがって傲慢を形容するようになった。
五 参遊は尉官ぐらい、千小把は準士官ぐらい。
六 六卿とは周礼の大事、大司徒、大宗伯、大司馬、大司寇、大司空のことであるが、ここでは、清時の吏、戸、礼、兵、刑、工部等の大臣と思えばよい。
七 わが主馬頭といったところ。
八 各官省を監視する官吏である。
九 唐の杜璡が、宰相李杜甫を弾劾して左遷されたとき、他の諫官たちを、立仗馬すなわち兵営に並んでいる馬のようだ、と罵倒した。爾来、畏れて物を言いえぬ人を、仗馬または立仗馬というようになった。
一〇 父は紫袍、児は朱袍をきるような身分になったのである。
一一 賈の髪を擢んで、賈の罪を数うるも、なお足らずと史記の范雎伝に出ている。
一二 奸臣という意味。秦の二世のとき、奸臣趙高が乱をおこそうと思って、群臣の自分に味方するかどうかを試みるため、鹿を二世に献上させて、これは馬であります、と言った。すると二世は笑って、丞相は、まちがっている、と言って、左右の者に、その方たちは、どう考える、とたずねた。あるものは黙っていた。あるものは趙高におもねって馬だと言った。あるものはまっすぐに鹿だと答えた。趙高は、鹿と答えたものを罪におとした。それから群臣はみな趙高を恐れて、その意に逆らうものがなくなった。
一三 あやまちを集めて罪におとす讒言言のしかたである。
一四 科道というのは、都察院の吏、戸、礼、兵、刑、工六科の給事中、各道の監察御史等のこと。九卿というのは都察院御史、通政司使、大理事卿および六部尚書のこと。
一五 由旬は、仏経中の里数で、大は八十里、中は六十里、小は四十里。

■原文

  續黃粱

福建曾孝廉、高捷南宮時、與二三新貴、遨遊郊郭。偶聞毘盧禪院、寓一星者、因並騎往詣問卜。入揖而坐。星者見其意氣、稍佞諛之。曾搖箑微笑、便問、
「有蟒玉分否。」
星者正容、
「許二十年太平宰相。」 曾大悅、氣益高。
 値小雨、乃與遊侶避雨僧舍。舍中一老僧、深目高鼻、坐蒲團上、偃蹇不爲禮。眾一舉手登榻自話、群以宰相相賀。曾心氣殊高、指同遊曰、
「某爲宰相時、推張年丈作南撫、家中表爲參、游、我家老蒼頭亦得小千把、於願足矣。」
一坐大笑。
俄聞門外雨益傾注、曾倦伏榻間、忽見有二中使、齎天子手詔、召曾太師決國計。曾得意疾趨入朝。天子前席、溫語良久。命三品以下、聽其黜陟。即賜蟒玉名馬。曾被服稽拜以出。入家、則非舊所居第、繪棟雕榱、窮極壯麗。自亦不解、何以遽至于此。然撚髯微呼、則應諾雷動。
俄而公卿贈海物、傴僂足恭者、疊出其門。六卿來、倒屣而迎。侍郎輩、揖與語。下此者、頷之而已。
晉撫餽女樂十人、皆是好女子。其尤者爲嫋嫋、爲仙仙、二人尤蒙寵顧。科頭休沐、日事聲歌。
一日、念微時嘗得邑紳王子良周濟我、今置身靑雲、渠尚蹉跎仕路、何不一引手。早旦一疏、薦爲諫議、即奉俞旨、立行擢用。
又念郭太僕曾睚眦我、即傳呂給諫及侍御陳昌等、授以意旨。越日、彈章交至、奉旨削職以去。恩怨了了、頗快心意。
偶出郊衢、醉人適觸鹵簿、即遣人縛付京尹、立斃杖下。接第連阡者、皆畏勢獻沃産。自此富可埒國。
無何而嫋嫋、仙仙、以次殂謝、朝夕遐想。忽憶曩年見東家女絶美、毎思購充媵御、輒以綿薄違宿願、今日幸可適志。乃使幹僕數輩、強納貲於其家。俄頃、藤輿舁至、則較昔之望見時、尤豔絶也。自顧生平、於願斯足。
又逾年、朝士竊竊、似有腹非之者。然各爲立仗馬。曾亦高情盛氣、不以置懷。
有龍圖學士包上疏、其略曰、
「竊以曾某、原一飲賭無賴、市井小人。一言之合、榮膺聖眷、父紫兒朱、恩寵爲極。不思捐軀摩頂、以報萬一。反恣胸臆、擅作威福。可死之罪、擢髮難數。朝廷名器、居爲奇貨、量缺肥瘠、爲價重輕。因而公卿將士、盡奔走於門下、估計夤緣、儼如負販、仰息望塵、不可算數。或有傑士賢臣、不肯阿附、輕則置之閒散、重則褫以編氓。甚且一臂不袒、輒迕鹿馬之奸。片語方干、遠竄豺狼之地。朝士爲之寒心、朝廷因而孤立。又且平民膏腴、任肆蠶食。良家女子、強委禽妝。沴氣冤氛、暗無天日。奴僕一到、則守、令承顏。書函一投、則司、院枉法。或有廝養之兒、瓜葛之親、出則乘傳、風行雷動。地方之供給稍遲、馬上之鞭撻立至。荼毒人民、奴隸官府、扈從所臨、野無靑草。而某方炎炎赫赫、怙寵無悔。召對方承於闕下、萋菲輒進於君前。委蛇才退於自公、聲歌已起於後苑。聲色狗馬、晝夜荒淫。國計民生、罔存念慮。世上寧有此宰相乎。内外駭訛、人情洶洶。若不急加斧鑕之誅、勢必釀成操、莽之禍。臣夙夜祗懼、不敢寧處、冒死列款、仰達宸聽。伏祈斷奸佞之頭、籍貪冒之産、上回天怒、下快輿情。如果臣言虛謬、刀鋸鼎鑊、即加臣身。」云云。
疏上、曾聞之、氣魄悚駭、如飲冰水。幸而皇上優容、留中不發。又繼而科、道、九卿、交章劾奏。即昔之拜門牆、稱假父者、亦反顏相向。
奉旨籍家、充雲南軍。子任平陽太守。
已差員前往提問。曾方聞旨驚怛、旋有武士數十人、帶劍操戈、直抵內寢、褫其衣冠、與妻並繫。俄見數夫運貲於庭、金銀錢鈔以數百萬、珠翠瑙玉數百斛、幄幕簾榻之屬、又數千事、以至兒襁女舄、遺墜庭階。曾一一視之、酸心刺目。
又俄而一人掠美妾出、披髮嬌啼、玉容無主。悲火燒心、含憤不敢言。
俄樓閣倉庫、並已封誌。立叱曾出。監者牽羅曳而出。夫妻吞聲就道、求一下駟劣車、少作代步、亦不得。
十里外、妻足弱、欲傾跌、曾時以一手相攀引。又十餘里、己亦困憊。
歘見高山、直插霄漢、自憂不能登越、時挽妻相對泣。而監者獰目來窺、不容稍停駐。
又顧斜日已墜、無可投止、不得已、參差蹩躠而行。比至山腰、妻力已盡、泣坐路隅。曾亦憩止、任監者叱罵。
忽聞百聲齊譟、有群盜各操利刃、跳梁而前。監者大駭、逸去。曾長跪、言、
「孤身遠謫、囊中無長物。」
哀求宥免。群盜裂眦宣言、
「我輩皆被害冤民、祇乞得佞賊頭、他無索取。」
曾叱怒曰、
「我雖待罪、乃朝廷命官、賊子何敢爾。」
賊亦怒、以巨斧揮曾項。覺頭墮地作聲、魂方駭疑、即有二鬼來、反接其手、驅之行。
行逾數刻、入一都會。頃之、睹宮殿。殿上一醜形王者、憑几決罪福。曾前、匐伏請命。王者閱卷、纔數行、即震怒曰、
「此欺君誤國之罪、宜置油鼎。」
萬鬼群和、聲如雷霆。即有巨鬼捽至墀下。見鼎高七尺已來、四圍熾炭、鼎足盡赤。曾觳觫哀啼、竄蹟無路。鬼以左手抓髮、右手握踝、抛置鼎中。覺塊然一身、隨油波而上下。皮肉焦灼、痛徹於心。沸油入口、煎烹肺腑。念欲速死、而萬計不能得死。約食時、鬼方以巨叉取曾、復伏堂下。王又檢冊籍、怒曰、
「倚勢凌人、合受刀山獄。」
鬼復捽去。見一山、不甚廣闊。而峻削壁立、利刃縱橫、亂如密筍。先有數人罥腸刺腹於其上、呼號之聲、慘絶心目。鬼促曾上、曾大哭退縮。鬼以毒錐刺腦、曾負痛乞憐。鬼怒、捉曾起、望空力擲。覺身在雲霄之上、暈然一落、刃交於胸、痛苦不可言狀。又移時、身驅重贅、刀孔漸闊。忽焉脱落、四支蠖屈。鬼又逐以見王。王命會計生平賣爵鬻名、枉法霸産、所得金錢幾何。即有鬡鬚人持籌握算、曰、
「三百二十一萬。」
王曰、
「彼既積來、還令飲去。」
少間、取金錢堆階上、如丘陵。漸入鐵釜、鎔以烈火。鬼使數輩、更以杓灌其口、流頤則皮膚臭裂、入喉則臟腑騰沸。生時患此物之少、是時患此物之多也。
半日方盡。王者令押去甘州爲女。行數步、見架上鐵梁、圍可數尺、綰一火輪、其大不知幾百由旬、燄生五采、光耿雲霄。鬼撻使登輪。方合眼躍登、則輪隨足轉、似覺傾墜、遍體生涼。開目自顧、身已嬰兒、而又女也。視其父母、則懸鶉敗焉。土室之中、瓢杖猶存。心知爲乞人子。日隨乞兒托缽、腹轆轆然常不得一飽。著敗衣、風常刺骨。
十四歲、鬻與顧秀才備媵妾、衣食粗足自給。而冢室悍甚、日以鞭箠從事、輒以赤鐵烙胸乳。幸而良人頗憐愛、稍自寬慰。
東鄰惡少年、忽踰垣來逼與私。乃自念前身惡孽、已被鬼責、今那得復爾。於是大聲疾呼、良人與嫡婦盡起、惡少年始竄去。居無何、秀才宿諸其室、枕上喋喋、方自訴冤苦。忽震厲一聲、室門大闢、有兩賊持刀入、竟決秀才首、囊括衣物。團伏被底、不敢復作聲。既而賊去、乃喊奔嫡室。嫡大驚、相與泣驗。遂疑妾以奸夫殺良人、因以狀白刺史。刺史嚴鞫、竟以酷刑罪案、依律凌遲處死、縶赴刑所。胸中冤氣扼塞、距踊聲屈、覺九幽十八獄、無此黑黯也。正悲號間、聞遊者呼曰、
「兄夢魘耶。」
豁然而寤、見老僧猶跏趺座上。
同侶競相謂曰、
「日暮腹枵、何久酣睡。」
曾乃慘淡而起。僧微笑曰、
「宰相之占驗否。」
曾益驚異、拜而請教。僧曰、
「修德行仁、火坑中有靑蓮也。山僧何知焉。」
曾勝氣而來、不覺喪氣而返。臺閣之想、由此淡焉。入山不知所終。
異史氏曰、
「福善禍淫、天之常道。聞作宰相而忻然於中者、必非喜其鞠躬盡瘁可知矣。是時方寸中、宮室妻妾、無所不有。然而夢固爲妄、想亦非真。彼以虛作、神以幻報。黃粱將熟、此夢在所必有、當以附之邯鄲之後。」

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