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2014/06/21

日本その日その日 E.S.モース(石川欣一訳) 第十三章 アイヌ 1 モース、アイヌの小屋を訪ねる

 第十三章 ア イ ヌ

 

 我々は宿屋の召使いに、町の裏手のアイヌの小屋で、舞踊だか儀式だかが行われつつあるということを聞いた。私は往来でアイヌを見たことはあるが、まだアイヌの小屋へ入ったことがない。そこで一同そろって出かけ、大きな部屋が一つある丈の小屋の内へ招き入れられた。その部屋にいた三人のアイヌは、黒い鬚(あごひげ)を房々とはやし、こんがらかった長髪をしていたが、顔は我々の民族に非常によく似ていて、蒙古人種の面影は、更に見えなかった。彼等は床の上に、大きな酒の盃をかこんで、脚を組んで坐っていた。彼等の一人が、窓や、床にさし込んだ日光や、部屋にあるあらゆる物や、長い棒のさきに熊の頭蓋骨を十いくつつきさした神社(これは屋外にある)にお辞儀をするような、両手を変な風に振る、単調な舞踊をやっていた。長い威厳のある鬚をはやした彼等は、いずれも利口そうに見え、彼等が程度の低い、文盲な野蛮人で、道徳的の勇気を全然欠き、懶惰(らんだ)で、大酒に淫し、弓と矢とを用いて狩猟することと、漁とによって生計を立てているのであることは、容易に了解出来なかった。私と一緒に行った日本人が、私がどこから来たかを質ねた所が、彼等は私を、日本人と同じだと答えた。

[やぶちゃん注:前に一部出した矢田部日誌の七月二十七日の条に『早朝ヨリ船改所ノ宮峯喜代太氏ニ掛合ヒ一屋ヲ借受、当港滞在中ノ試験室卜爲セリ。午後森屋』(これがラボとして借りた元旅籠の屋号なのであろう)『ノ裏方ナル蝦夷人ノ家ニ至リ奇ナル舞ヲ見タリ』とある。

「長い威厳のある鬚をはやした彼等は、いずれも利口そうに見え、彼等が程度の低い、文盲な野蛮人で、道徳的の勇気を全然欠き、懶惰で、大酒に淫し、弓と矢とを用いて狩猟することと、漁とによって生計を立てているのであることは、容易に了解出来なかった」というモースの謂いから、このアイヌに対する差別的な評が、偏見に満ちた本州の日本人によって創り上げられた当時の謂れなき定式であったことがはっきりする。

「私と一緒に行った日本人が、私がどこから来たかを質ねた所が、彼等は私を、日本人と同じだと答えた。」原文は“One of the Japanese with me asked them where I came from, and they answered that I was the same as the Japanese!”これは少し分かり難いのであるが、モースの同行者である日本人が、試みに(完璧な欧米人にしか見えないモースを指さして)「この人はどこから来た人だと思うか?」と訊ねてみたら、アイヌの長老たちは「この人もシャモ(日本人)と同じだ。」と答えたということであろう。それは、所詮、アイヌの神聖な地を汚すために侵入してきた者たちだという意味ではなかろうか? そう、解釈した時、直前に配された侮蔑的なアイヌへの風評を力強く弾き返す言葉として私には読めるからである。大方の御批判を俟つ。]

 

 泥酔した一人の老人が、彼等の持つ恐怖すべき毒矢を入れた箭(や)筒を見せ、別の男が彼に「気をつけろ」といった。彼が一本の矢を持ち、私の後を単調な歌を歌いながら奇妙な身振で歩き廻った時、私は多少神経質にならざるを得なかった。一人の男は弓弦を張り、彼等の矢の射(ゆみい)り方をして見せたが、箭筒から矢を引きぬく時、彼は先ず注意深く毒のある鏃を取り去った。この鏃は竹片で出来ていて、白い粉がついているのに私は気がついた。使用する毒はある種の鳥頭(とりかぶと)だそうで、アイヌ熊が殺されて了う程強毒である。

[やぶちゃん注:「北海道野生動物研究所」に門崎允昭氏のアイヌとトリカブトという詳細な研究が載る。それによれば、全草(特に根)に毒性の強い、現在も解毒剤のないアコニチンを含む双子葉植物綱モクレン亜綱キンポウゲ目キンポウゲ科トリカブト属 Aconitum の根に加えて、軟骨魚綱板鰓亜綱トビエイ目アカエイ科アカエイ属 Dasyatis に属するアカエイ類の尾の毒針も用いられたとある。必見。]

 

 我々は彼等に、彼等の酒器を再び充すべく二十セントをやった。酒が来ると、我々は彼等と一緒にそれを飲まなくてはならなかったが、彼等の不潔な杯から酒を飲むことは、虫を食うより、もっといやだった。アイヌは自分等の順番になると、大きな漆塗の杯に、酒をなみなみとつぎ、彫刻した紙切りナイフに似た、長い、薄い木片を杯の上にのせ、腰を下してから、いろいろな動作をつづいて行った。先ず例の棒を取り上げ、その一端を酒にひたしてから、彼等自身の前に酒を僅かパラパラと撒いたが、これは牛乳から塵か蠅かを取りのぞくのに似ていた。彼等はこの動作を数回やり、酒の滴を四方八方に向かって捧げたが、私は彼等が神々に向かって、この大事な酒を、如何に僅かしか捧げないかに気がついた。次に彼等は房々した鬚を撫で、あだかも感謝の意を表するかの如く、手を上方へ、鬚の方へ向けて、変な風に動かした。この長い前置きがあった後に、彼等は杯を持上げて口に近づけ、棒を取って濃い口鬚を酒から離しながら飲んだ。これ等の棒は、口鬚棒と呼ばれる。興味のあるアイヌ模様を刻んだ物も多い。

[やぶちゃん注:ここに出る自然神への酒を奉げる儀式はアメリカ・インディアンの行う同じ儀式との共通性を容易に感じられたはずなのであるが、モースは何故か全く述べていない。

「彫刻した紙切りナイフに似た、長い、薄い木片」「口鬚棒と呼ばれる」(原文“mustache sticks”)「興味のあるアイヌ模様を刻んだ物も多い」とあるのはアイヌ民族がカムイ(神)に祈る儀式(「カムイノミ」と呼ぶ)で用いる木製祭具「イクパスイ(Iku-pasuy)」である。主に参照したウィキイクパスイ」によれば、『アイヌ語でIku が「酒を飲む」、pasuyは「箸」を意味』『日本語では「捧酒箸」と翻訳される。なお、漢字を間違えやすいが「棒」酒箸ではなく「捧」酒箸である』。長さ約三十センチメートル・幅二センチメートル・厚三ミリメートルほどの薄い板状のもので、材として『よくもちいられるのはカツラ・ハンノキ・ミズナラなどである。通常は表面に彫刻した飾りがほどこされ、一端は尖っている。その先を酒につけて酒の滴を火やイナウ』(inaw inau :御幣に酷似したアイヌの祭具の一つ。カムイや先祖と人間の間を取り持つものとされた。但し、御幣よりも神への供物としての性格が強い。ここはウィキナウ」に拠る)『に振りかけて祈祷する。尖端の裏側には矢尻のような形が刻まれる。この形はパルンベ(舌)と呼ばれる』。『さらに裏面には持ち主をあらわす印である「アイシロシ」が刻まれ、表面には父系の祖印をあらわす家紋「イトゥクパ」が刻まれ』てある。『イクパスイはかつて「ひげベラ」と訳されることがあったが、それは左手で杯を持ち右手でイクパスイを持って酒を飲む際に、酒の中に髭が入らないようにおさえる役割を果たしていたと推測したからである。しかし本来のイクパスイの役割は神々に献酒し人々の願いを伝えることにある』(これでモースが「口鬚棒と呼ばれる」と記している意味が判明する)。『アイヌ民族は、イナウと同じようにイクパスイも魂(ラマッ)』(「ラマッ」はアイヌ語)『を帯びており、神々への願い事を伝えてくれる使者であると考えていた。イクパスイは畏敬をもって扱われ、特に父系のイトゥクパが刻まれたものは家に一つしかなく、狩猟の旅に出る時は必ず身につけることになっていた』とある。]

M365

図―365

 

 小舎は単に大きな、四角い一部屋で、文字通り煤で真黒になっている。炉は土の床の中央部の四角い場所で、その上には天井から、鍋や薬鑵(やかん)をつるす、簡単な装置が下っている。彼等の家庭用品の多くは、日本製の丸い漆器に入っていた。いろいろな点、例えば歌を歌う時の震え声、舞踊、その他の動作で、日本人との接触の証跡が見られたが、これ等は或は数世紀前、アイヌが、全国土を占領していた頃、日本人がアイヌから習ったのかも知れない。小舎には戸口以外にも、一つか二つ隙間があったが、暗すぎてこまかい所は見えなかった。図365は、その暗い所でした写生図を、申訳だけに出したものである。アイヌの小舎については、今にもっと詳しいことを知り度いと思っている。

[やぶちゃん注:モースはこの時、原日本人としてアイヌ以前にいた先住民族(プレ・アイヌ)が存在し、彼らが大森貝塚人であったと考えており、その後にアイヌが北方からやって来、その後に現日本人がアイヌを北方に追ったと考えていたようであるが、現在はアイヌは和人に追われて本州から逃げ出した人々ではなく、縄文時代以来、北海道に住んでいた人々の子孫であるというのが定説である。]

M366

図―366

 

 我々が小舎にいた時、アイヌ女が一人入って来た。彼女の顔は大きく粗野で、目つきは荒々しく、野性を帯びていた。彼女は一種の衣類を縫いつつあったが、ちょいちょい手を休めては蚤を掻いた。私は今迄にアイヌの女を三人見たが、皆口のまわりに藍色の、口髭に似た場所を持っていた(図366)。これは奇妙な習慣であり、見た所は勿論悪いが、日本人の既解婦人の黒い歯の方が倍も醜悪である。

[やぶちゃん注:モースはこれが刺青であることには気がついていないようである。ウィキの「アイヌ文化」の刺青」によれば、『アイヌにも部族ごとに特徴的な刺青をする習慣があった。刺青は精霊信仰に伴う神の象徴とされる大切なものであったが、江戸幕府や明治政府によって度々禁じられた』。『特に知られているのは、成人女性が口の周りに入れる刺青である。髭を模した物であると思われているが、神聖な蛇の口を模したとする説もある。まず年ごろになった女性の口の周りを、ハンノキの皮を煎じた湯で拭い清めて消毒する。ここにマキリ(小刀)の先で細かく傷をつけ、シラカバの樹皮を焚いて取った煤を擦り込む。施術にはかなりの苦痛が伴うため、幾度かに分けて、小刻みに刺青を入れる』とある。リンク先には実際の正装アイヌ写真が載り、『口の周りに刺青をほどこした女性。耳にニンカリ(耳輪)をつけ、首にはレクトンペ(首飾り)を巻き、タマサイ(ネックレス)を下げる』とキャプションにある。]

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