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2014/07/30

日本その日その日 E.S.モース(石川欣一訳) 第十四章 函館及び東京への帰還 7 東北スケッチⅠ

M430
図―430

 

 北日本の家屋の屋根梁の多くは、赤い百合で覆われている。村を通過しながら、家の頂が赤い花で燃えるようになっているのを見ると、中々美しい。東京附近では、青い鳶尾(いちはつ)がこの装飾に好んで用いられるらしい。高くて広い、堂々たる古い萱葺の屋根が素晴しい斜面をなして軒に達し、その上に赤い百合が風にそよいで並ぶこれ等の屋根が、如何に美しいかは、見たことのない人には見当もつかない。これ等の萱葺屋根の軒には、厚さ三フィートに達するものもよくある。人々の趣味は、屋根を葺くのに、濃色の藁と淡色の藁とを交互に使用することに現れる。軒を平らに刈り込むと、濃淡二色の藁の帯が、かわるがわるに見える(図430)。

[やぶちゃん注:「赤い百合」不詳。この時期(八月中旬)に咲く赤い百合に似た花で、屋根の上の強い陽光にもよく堪え、乾燥に強く、立ち上がりがよくてよく根を強く張る植物(藁葺屋根の棟の上という条件はこれらを満たす必要がある。「鳶尾(いちはつ)」単子葉植物綱キジカクシ目アヤメ科アヤメ属イチハツ Iris tectorum が好まれるのは、その根が棟部分を強くするからであるし、そもそも根をしっかり張れないものは簡単に吹き飛んでしまう)というとアオイ目アオイ科ビロードアオイ属タチアオイ Althaea rosea を思い浮かべたが、梅雨明けには開花が終わるからやや時期が遅過ぎる(但し、後段の盛岡の段で「蜀葵(たちあおい)が咲き乱れて」いるという描写が出る)。「百合」というところからは北方系のヒメユリであるユリ科ユリ属ミチノクヒメユリ Lilium concolor  var. mutsuanum か。しかしこれも七月上旬に開花が始まるから、やはりやや遅過ぎるように思える。ネット上の複数ワード検索や画像検索をかけたが、最早、藁葺屋根が失われつつある現在、モースや後に小泉八雲が感動した(「日本その日その日 第一章 一八七七年の日本――横浜と東京 4 初めての一時間の汽車の旅」の私の注を参照されたい)屋根(棟)菖蒲の画像すら覚束ない。齋藤優子氏のブログ「徒然日記」の「ジャーマンアイリス」にこのイチハツの学名について、『この学名は命名者の Maximowicz が日本の藁葺き屋根に植えてあるのを見て命名したそうで、 tectorum というのはラテン語で「屋根の」という意味。英語では Roof iris と言うそうです』。『イチハツが植えられたのは乾燥に強く、根がしっかり張ることで藁を押さえ、強風で家の棟が取られないようにする為とのことですが、目にも美しく何とも風情があります』とあり、牧野富太郎「随筆 植物一日一題」(東洋書館昭和二八(一九五三)年刊)から以下の一節も引用されておられる。『昔の東海道筋にあたる武蔵程ヶ谷(保土ヶ谷)の藁葺の家には、その家根の棟にイチハツが栽えてあって、花時にはその花があわれにも咲いてなお昔の面影をとどめている。もしも時の進みでこの藁葺の家がなくなれば、この風景が見られなく、きのうはきょうの物語りになるのであろう』。私も三十五年前に最後に鎌倉の光触寺前の藁葺の古民家の棟上に見た青々としたイチハツを思い出す。齋藤氏の記事のずっと下を見られたい。「川崎市の日本民家園で撮影されたもの」というキャプションの写真が辛うじて見られる。

「三フィート」九十センチメートル強。

「屋根を葺くのに、濃色の藁と淡色の藁とを交互に使用する」藁を葺く工程では基本は三層構造である。monmo 氏のブログ「茅葺き(かやぶき) 屋根」に図入りで解説が載る。ただ、確かに私も古式の神社の手の込んだ藁葺で、モースの描くような何層にもかなり詰って堅くなったそれが濃淡を繰り返しているのを何度も見たことがある。]

 

 昨年私は日誌に、百姓が屋根梁の末端に彼の一字記号をきざみ、それを黒く塗ることを記録した。これはこの優雅に書かれた漢字を見て、自然に推定したことであった。我々が旅行しつつある地方で、同じ字が見られる。矢田部教授は、これが水を意味する支那語であると語った。彼はこの文字が、火事を遠ざけるという、迷信があるのだろうと考えた。これは或は莫迦気(ばかげ)ているかも知れぬが、理解のある人が、ある種のことをいった後で木材を叩いたり、戸の上に蹄鉄を打ちつけたりすることだって、同様に莫迦げている。

[やぶちゃん注:「日誌」は本書ではなく、まさにモースの私的な日記を指す。私の記憶ではこれ以前にここに書かれているような記載はない。

「支那語」底本では直下に石川氏の『〔漢字〕』という割注がある。「水を意味する」について水の象形文字はこの画像を参照されたい(中文サイトから)。本邦では屋敷や土蔵の梁の端の部分や瓦の軒先部分・壁面の装飾(妻飾り・丑鼻などと呼ぶ)に火除けの呪(まじな)いとして、「水」や「龍」の字を書いたり、家紋や吉祥文様などが鏝絵などで描かれたりした。この火除けの呪いについての「水」の民俗学的論文としては江川隆進・池田俊彦共著「住まいと水の縁」(PDFファイル)が詳しい。

「理解のある人が、ある種のことをいった後で木材を叩いたり、戸の上に蹄鉄を打ちつけたりすることだって、同様に莫迦げている。」原文は“but no more ridiculous than to see an intelligent man rap wood after some statement or to nail a horseshoe over the door.”。これは欧米の呪(まじな)いと思われる。前者はよく分からないので識者の御教授を乞いたいが、後者はウィキの「蹄鉄」に、「魔除けとしての蹄鉄」の項があり、以下のように解説されてある。『扉に蹄鉄をぶら下げると魔除けになると信じられている文化圏があり、多くの国では幸運のお守りとも見なされている。一般的な迷信として蹄鉄の鉄尾(末端部分)が扉に留められていれば、幸運が舞い込むというものがある。しかし、両端が下に向いていると不運が舞い込むともいう。このあたりは文化圏によって異なり、2つの鉄尾が下を向いていれば幸運が舞い込むというものもある。むろん、蹄鉄が普及しなかった国ではこういった風習は見られない。ただし、日本でも自動車のフロントグリルに蹄鉄を模したアクセサリーを付けることが流行った時期がある。さらにそれは、馬は人間を踏まないということから、交通安全のお守りとして蹄鉄を自動車に付けたという説がある』。『蹄鉄による幸運も悪運も、それを掛けた人ではなく、その所有者に降りかかると信じられている地域もある。従って盗んだり、借りたりした蹄鉄からはどんな幸運も得ることは出来ないといわれている。ある地域では蹄鉄は人目に付くように留められておかないと何の効果もないといわれている』。『このような風習の起源は諸説ある。ケルト人がダーナ神族を鉄器と騎馬で打ち倒した事から、邪鬼などの異界の住人は鉄を嫌うという伝承が起こり、本来の民話や伝説が持つ意味は忘れ去られ、ただ幸運をもたらすという風習だけが残ったという説。後にカンタベリー大司教となった鍛冶屋の聖ダンステンが 悪魔から馬の蹄鉄を修理するよう頼まれた際、悪魔の足に蹄鉄を打ち付け、痛がる悪魔に、扉に蹄鉄が留められているときは絶対中に入らないという約束を取り付けようやく蹄鉄を取り外してやったことから悪魔除けとされた説。女性器の象徴を家の外壁に飾ることで悪魔の目をそらせ家への侵入を防ぐという風習が古くからあり、馬蹄が女性器を象徴したためこの悪魔除けの力が幸運のシンボルとなったという説。蹄鉄に打つ鋲の数が7(ラッキーセブン)だったためという説などがある』とある。いや、実に面白い。]

 

 馬に安慰を与える為の注意には、絶えず気がつく。我々も真似をしてよい簡単な仕掛は、馬の腹の下に広い布をさげることである。この布はしょっ中パタパタと上下して、最も届き難い身体の部分から、蠅を追い払う。

[やぶちゃん注:これは「障泥・泥障」と書いて「あおり」と読む本邦の馬具の付属具。鞍橋(くらぼね)の四緒手(しおで)、即ち、鞍左右両側に結び垂らして、馬の腹の両脇を保護すると同時に、騎者を蹴上げた際の泥跳ねや馬の汗から防ぐためのもの。下鞍(したぐら)の小さい大和鞍や水干鞍に用い、毛皮や皺革(しぼかわ)で円形に作るのを例とするが、武官は方形として、「尺(さく)の障泥(あおり)」と呼んで用いた。モースが言う実用性とはちょっと主旨が異なる。]

M431

図―431

 

 我々が通りがけに見た漆の樹の幹には、面白く切口がついていた(図431)。人々はここから液を搔いて集めるのであるが、まるで態々(わざわざ)入墨で飾ったように見える。

[やぶちゃん注:長野県塩尻市木曽平沢「まる又漆器店」公式サイト内の漆の採集や「漆を科学する会事務局」の「うるしとうるしのうつわホームページ」のうるしの採取などを参照されたい。]

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