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2014/07/23

今日のシンクロニティ「奥の細道」の旅 44 湯殿山 語られぬ湯殿にぬらす袂かな

本日二〇一四年七月二十三日(陰暦では二〇一四年六月二十七日)

   元禄二年六月  七日

はグレゴリオ暦では

  一六八九年七月二十三日

である。この日、月山頂上で目醒めた芭蕉は西の尾根を下って湯殿山を踏破、麓の湯殿権現に参った。その後、再び月山を昼頃に経由し(この月山と湯殿山御神体のルートは出羽三山参拝の最難所とされ、梯子や鎖場を配した急斜面の岩場が一・五キロほども続く)、日暮れになってようよう羽黒山へと帰還したのであった。

 

語られぬ湯殿にぬらす袂(たもと)かな

 

  湯殿

語られぬゆどのにぬるゝ袂哉

 

[やぶちゃん注:第一句は「奥の細道」の、第二句は「花摘」の句形。

 山本健吉氏は『三山順礼の三句の中で、最も感銘の乏しい句』と斬って捨てるが……どうもそんな気には私はなれない……この句は……昔から気になっていた……

……「語られぬ」は無論、「惣(そうじ)て此の山中の微細(みさい)、行者の法式(ほつしき)として他言(たごん)する事を禁ず。仍(よつ)て筆をとゞめてしるさ」ざるという禁忌を受けた語ではある。……

……「湯殿」と「ぬらす」は縁語で、「ぬらす」は容易に「袂」を引き出す。それは確かに一見、神域に至ったその感涙の涙とはとれる。……

……が……どうもそればかりではない気がする……何か「語られぬ」対象の中に幽かな隠微なるものが漂う……その隠微が実は同じく隠微な響きで「ぬらす」を引き出し、「ぬらす袂」は女人禁制の霊域に……意外にも……仄暗い山中の水迸る岩影に……鏡花の「高野聖」の艶なる妖女のイメージさえ誘い出だしているようには思われまいか?……

――「猥雑なるやぶちゃん!」――と指弾するなかれ!……

……確かに――そうした自分の感懐の中にあるところの猥雑なる詩想を持った己れを痛切に感じて慚愧の念に堪えないことは確かな事実ではある――ある――が……

……さて。この句について、かの安東次男氏は以下のように述べておられるのである。引用して終わりと致そう。

   《引用開始》

○語られぬ湯殿にぬらす袂かな――湯殿詣は『時勢粧(いまようすがた)』(維舟編、寛文一年)の「夏」の部に「湯殿行(ぎょう)」として収め、「垢離(こり)かけば如来肌(にょらいはだ)也湯殿行 中井正成」という例句を挙げている。『桜川』(風虎編、延宝二年)などにも見える。

 修験道の四季の入峰(にゅうぶ)修行のうち夏の峰は、豊年祈願と身心鍛練法を兼ねて、近世に入ると広く一般に行われるようになった。湯殿詣もその一つだが、たまたまこれは三山祭(六月十五日、今は七月十五日)の時分と重り、一方、湯殿の御神体が女陰の形をした巨大な自然岩でその円丘を絶間なく涌湯が洗っているところから、とくに有名になったようだ。湯殿が三山の奥の院とされたのは、性器崇拝に因んでいる。古歌から名を借りて「恋の山」とも呼ぶ。

 他言を封じた御山とはいえ、湯殿の御神体を拝んだらさすがに語りたくなった。だがやはりそれはできない、と読まなければ面白みはない。俳諧師なら、秘法の山をただ有難がって袂を濡したわけはない。

   《引用終了》

■やぶちゃんの呟き

 「曾良随行日記」の三山参拝から帰還するまでの三日間(五日は羽黒山参詣と精進潔斎のさまを確認するため)の記録を見ておきたい(ひらがなの読みは私が附したもの)。

 

○五日 朝の間、小雨ス。晝ヨリ晴ル。晝迄斷食シテ註連(しめ)カク。夕飯過テ、先、羽黑神前ニ詣。歸、俳、一折ニミチヌ。

○六日 天氣吉。登山。三リ、強淸水(こはしみづ)。二リ、平淸水(ヒラシミヅ)。二リ、高淸(たかしみづ)。是迄馬足叶(かなふ)道(人家、小ヤガケ也)。彌陀原(みだがはら)、こや有。中食ス。(是ヨリフダラ、ニゴリ澤・御濱ナドヽ云ヘカケル也。)難所成。御田有。行者戻リ、コヤ有。申ノ上尅、月山ニ至。先、御室ヲ拜シテ、角兵衛小ヤニ至ル。雲晴テ來光ナシ。夕ニハ東ニ、旦ニハ西ニ有由也。

○七日 湯殿ヘ趣(おもむく)。鍛冶ヤシキ、コヤ有。牛首(本道寺ヘモ岩根沢ヘモ行也)、コヤ有。不浄汚離、コヽニテ水アビル。少シ行テ、ハラジヌギカヱ、手繦(たすき)カケナドシテ御前ニ下ル(御前ヨリスグニシメカケ・大日坊ヘカヽリテ鶴ケ岡ヘ出ル道有)。是 ヨリ奥ヘ持タル金銀錢持テ不ㇾ歸。惣テ取落モノ取上ル事不ㇾ成。淨衣・法冠・シメ計(ばかり)ニテ行。晝時分、月山ニ歸ル。晝食シテ下向ス。強淸水迄光明坊より辨當持せ、サカ迎(むかへ)セラル。及暮、南谷ニ歸。甚勞ル。

 △ハラヂヌギカヘ場ヨリシヅト云所ヘ出テ、モガミヘ行也。

 △堂者坊ニ一宿。三人、壱歩。月山、一夜宿。コヤ賃廿文。方々役錢弐百文之内。散錢弐百文之内。彼是、壱歩錢不ㇾ余。

 

 月山山頂での「來光ナシ」というのは山岳での大気光学現象として知られるブロッケン現象のことを指している。陽光を背に立った際、影の側に雲や霧があると、光が散乱されて観察者自身の影の周囲に、虹に似た光の環となって現れるもの。霧や雲が観察者の近くにあると見た目の奥行きや巨大感が増大する。本邦では古来、「御来迎(ごらいごう)」「山の後(御)光」「仏の後(御)光」などと呼ばれ、「観無量寿経」などで説かれる阿弥陀如来の空中住立の御姿が現じたものと信じられた(ウィキの「ブロッケン現象を参照した)。

 特に最後の曾良の記載は当時の出羽三山での山岳修験霊場乍ら、結構、いろいろと冥加料のようなものが求められたことが分かる(私は残念なことに月山に登ったことがないのであるが、先に示した山本胥氏の「芭蕉 奥の細道事典」の現代の再現踏査でも、小屋で親切ごかして薬湯を飲ませて金を求められるシーンがあり、今も昔と変わらぬらしい)。

 この難行苦行の行程の途中、芭蕉は可憐な咲きかけた高根桜(バラ目バラ科サクラ属タカネザクラ Prunus nipponica 。別名、峰桜(みねざくら))を見出だし、それを「奥の細道」に詠み込んだ。

 ――「惣て此の山中の微細、行者の法式として他言する事を禁ず。仍て筆をとゞめてしる」せなかった女陰秘蹟の山行に――淡い紅一点を――美しくもまた艶にも――仄めかしたのではあるまいか……私にははっきりと……可憐な峰桜を愛おしんで……「袂」を「露」に「ぬらし」つつこごんでいる……芭蕉が……見えるのである……]

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