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2014/07/14

日本その日その日 E.S.モース(石川欣一訳) 第十三章 アイヌ 22 雨の室蘭にて

410
図―410

 

 翌朝は大雨。湾を越して森へ行く、汽船が出ぬ(森から函館まで、また馬に乗らねばならない)。この機会を利用して、私は家の内外を写生した。床の中央には、家の前部にも後部にも、砂を充たした大きな四角い構がある。これは炉で、あらゆる物をここで料理する。図410はこの旅籠屋の台所を示す。上方には掛架があり、魚はこれにひっかけて燻す。熱い炭火を中心に、こんなに沢山薬鑵がかたまっているのは、個人の住宅では見られぬ所である。図411は、一番立派な部屋の炉を示す。薬鑵をつるす装置は真鍮で出来ていて、ビカビカと磨き上げてあった。熱い湯を充した銅の箱には、酒の瓶を入れてあたためる。日本の、米製の麦酒は、必ず熱くして飲む。火箸は上部を輪で連結させた形をしている。これは一本を失えば、他の一本が役に立たなくなるからである。旅籠の使用人の多くは男で、その全部が頭髪を旧式な方法で結んでいたが、事実、丁髷(ちょんまげ)をつけていない日本人を見ることは稀である。

[やぶちゃん注:磯野先生の「モースその日その日 ある御雇教師と近代日本」には矢田部日誌の白老から室蘭の到着した二日の記事の後、三日の記事がなく、次が八月四日の条となって、『五時前稻川丸ト云フ小汽船ニ乘込ム』『十一時森着。午後一時過モールス、佐々木、高嶺ハ函館ニ出發セリ。余並ニ富次郎』『駒ヶ岳ニ登ル』と記す。磯野先生はその後に、『直行組はこの日の深夜、函館に到着。モースはそれから二週間近く連日のように函館周辺でドレッジを試み、腕足類を得て研究に専念した。矢田部と内山が函館に戻ったのは八日』と記しておられる。「森」は噴火湾の室蘭の対岸、北海道駒ヶ岳の北西山麓にある町で現在の北海道渡島総合振興局中部にある茅部郡森町(もりまち)。ウィキの「森町」によれば、『町名の由来はアイヌ語の「オニウシ」(樹木の多くある所の意)の意訳』で、地名薀蓄では知る人ぞ知るなのであるが、『北海道内の町で、唯一、「ちょう」ではなく「まち」と呼ぶ自治体である』。北海道ではここ森町を除いて、すべて「~町」は「~ちょう」なのである。以下の市井の描写はこの雨に降りこめられて停滞した三日の室蘭での描写である。モースはそんな中でも実に種々の観察に精力的である。全く頭が下がる思いがする。

「米製の麦酒」老婆心乍ら「こめせい」で、日本酒のことを指している。]

 

 反対に東京では、丁髷は、農夫、水夫、漁夫、工匠、老人等にあっては一般的だが、若い人々の間では急速に数が減り、ことに学生は全然洋風の頭をしている。

M412

図―412

 

 図412はお客様に差出す浩澣な書付を、一日中忙しく書いている番頭である。書付の長さには吃驚するが、項目を翻訳して貰うに至って、何が一セント半、何が一セントと十分三と聞いて大きに安心し、最後に晩飯、宿泊、朝飯すべてをひっくるめた合計が二十セント足らずであることを知る人は、文句なしに支払いをする。

[やぶちゃん注:「浩澣」浩瀚に同じい。書物文書の巻数や頁数の多いさま。]

M413

図―413

 

 図413は、命令を聞きに部屋へ入って来る時の、召使いの態度を示す。これに馴れるには長い時間を要したが、今でも私の前で、誰かがこんな風に彼自身を卑しくするのを見ると、私はいやな気持がする。膝をつく本式のやりようは両手を内側へ向けるのであるが、見ていると、そうしない者もよくある。これは握手するのに、左手を出すようなものである。ある大名のお小姓をしていた高嶺氏が、食物をのせたお盆を持って入る、正式なやり方を示して呉れた。両手で盆を目の高さに捧げ、大名に近づくと共に、膝をついてそれを差上げ、然る後膝をついた儘あとびっしゃりをし、立ち上って後向きに部屋から出て行く。

[やぶちゃん注:「ある大名のお小姓をしていた高嶺氏」同行しているモースの動物学教室の助教で生物学者高嶺秀夫(既注)は旧会津藩士で、藩校日新館で漢学を学び頭角をあらわし、南摩綱紀ととも第九代藩主松平容保(かたもり)の小姓となった。会津戦争では主君とともに籠城の末に降伏した過去を持っている(ウィキの「高嶺秀夫に拠る)。

「あとびっしゃり」後退(あとじさ)り。あとびしょり。]


M414

図―414

 雨に閉じこめられて家にいた間にした写生の一枚は、家族が食事をしている所である(図414)。これは、町を歩いていながら、何百度と見る光景ではあるが、至って興味がある。そのこと全体が、我々がテーブルに向って椅子に坐り、各々前に皿と、ナイフと、フォークとを置くのとは、非常に異っている。ここでは、彼等は床に坐り、横には飯を入れた木製のバケツを置く。飯は木製の箆(へら)でしゃくい出す。


M415

図―415


 この小さな室蘭の村に、よく整った消火機関庫がある。図415はその外観をざっと書いたものである。これは道路に面して全部開き、道具はすべて、即座に手がとどくようにしてある。ここに置いてあった物は、布山製バケツ二十七、小さい木製バケツ二十、大きなバケツ六、梯子二、竿六、繩、鎖、鉤、長い竿についた提灯二。

M416

図―416


 消防隊は必ず、長い竿についた提灯をかつぎ廻る。図416は提灯と鉤であるが、鉤は長い鎖のさきについていて、建物を引き倒すのに使用する。人々は、建物が木造で、薄い杮(こけら)板か萱葺(かやぶき)かの最も燃えやすい屋根があるので、火事に就ては非常に注意する。最近、大きな都会では、都市法によって、かかる可燃性の材料を屋根に使用することを禁じた。室蘭では毎夜きまった時間に、長さの異る三枚の樫の板を後に結びつけた子供が、長い往来を歩く。板は彼の一足ごとに、ぶっかり合って大きな音を立てる。彼が歩くと、カラン、カラン、カランと音がする(図417)。これは住民に、火の用心をし、そして火が消してあることを確めよと教えると同時に、この子が義務を果している証拠になる。

M417

図―417


[やぶちゃん注:どこであったか忘れたが、古民具の展示品でこうした山葵おろしのような形をした板状のもので腰からぶら下げるタイプの拍子木を見たことがある。]

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