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2014/07/16

ブログ・アクセス600000突破記念 杉田久女 菊枕

2006年5月18日のニフティのブログ・アクセス解析開始以来、8年目、先程、遂に600000アクセスを突破した(左コンテンツのカウンター参照。最近不具合が是正されたようなので配置した)。記念テクストを公開する。

菊枕   杉田久女 

[やぶちゃん注:杉田久女の代表的随筆である。初出は昭和八(一九三三)年十二月二十七日附『九州日報』。底本は立風書房一九八九年刊「杉田久女全集」第二巻を用いたが、恣意的に漢字を正字化してある。踊り字「〱」は正字化した。太字は底本では傍点「ヽ」。引用句の句の字間は詰めた。注は将来、正規サイト版を作成する際に附そうと思っているが、菊枕というもの自体については私自身が実見したことがないので、坂本宮尾氏の評論から引用した附記を最後に附しておいた。本テクストは私のブログ・カテゴリ「杉田久女」に掲載する菊枕の句のため及び本ブログの600000アクセス突破記念のために作成した。【2014年7月16日 藪野直史】]

 

 菊  枕

 

 十二月二十三日の早朝起きいでて、欄から見わたすと、西南の空にピラミッドの如くそびえてゐる帆柱山には、銀白の初雪が、二三すぢ玉だすきをかけた樣にかかつてゐた。

 東南の山の多いぬき山にもうす雪がかがやき渡り、數日の風雨のあともなく、雲まから旭がうらうらとさしてきた。

 天帝の下したまふ初雪の瑞祥は果して、午前八時頃鈴の音いさましく、此の朝六時三十何分皇后陛下御安産。御皇太子殿下御誕生遊ばされた御吉報を拜承して數ならぬ菊が丘の一閑人も心から皇室の御榮え。新皇子樣の御幸ひをことほぎ奉るのであつた。

 丁度この日午後から、德力櫻橋畔に藤井玉欄畫伯をおたづねする用事があつて、魚町からバスを驅る道すがら、市並の商家も刈田の伏屋も、けふの佳き日をお祝ひ申し上げる國旗がいさましくひるがへつてゐた。

 雪のぬき山は白銀の屋根をゆくてにそびえしめ、玉霞がしばしば音たててたばしった。

 玉欄畫伯のおすまひは、古風なさびた簷端に一本の早梅が、わづかに咲きはじめてゐた。

 唐藤に墨繪の鶴をしきりにかいてゐられた玉欄さんは、仙人めいた長い半白のあごひげをたれて、いつもの通り何のかざり氣も微塵もなく快く私を招じ、自らお茶をついでもてなして下さつた。

 一昨日私が伺つて、お願ひしてあつた、鹽瀨羽二重に白菊の繪はろくしやうと、銀泥で美事に、いかにも品よくかき上げられてあつた。

 けふは皇太子殿下の御うまれあそばされた佳い日で、おそれ多い事ながら、ゆかりの菊をかいて頂くのも誠にえんぎがよい、と私は語つて喜んだ。

 玉欄さんもいろいろと菊のはなしをされ、私が持參した菊枕の色紙から、話は陶淵明の東籬の菊の話、菊慈童の話などいろいろ出て私は遂々、いそがしい師走の事も他の用事もわすれて、ゆたかな心地で對座三時間を、畫室の緋毛氈の上にすがすがしく語りあつた。

 舊藩時代からの舊いお家らしいすすびた欄間のなぎなたや陣笠、うすくらいお座敷の床の間の壁は銀箔ではりつめてあつた。その落ち付いた銀光の壁に靜かにかかつた佐久間象山の古幅と、一鉢の蘭と、これもいとものさびた美事な七絃琴とがおかれてある丈の床の間は、何ともいへぬ古雅ななつかしい氣品があつた。さうした部屋の中に、すでに還曆を過ぎた玉欄畫伯と相對して、いろいろと閑談をうかがふのは誠にのびのびして嬉しい事だつた。

 玉欄氏は、火鉢ににかはをかけて自らかきまはしつつ、詩を談じ菊をたたへ、繪筆をとつて、靑銀の落款を、さつきの菊の繪にそへて下さつた。

 朱欒の庭に心をのこしつつ四時過ぎ、畫伯のもとを辭し、町で買ものなどして、漸く日のくれがた菊が丘の草庵に戻つてきたが、るすの間に、白二重の菊の枕もぬひあがつてゐたのを見てけふは何もかも、純白づくめ、菊づくめで玉の皇子樣御誕生日にふさはしい何となく、お目出度い日と心嬉しくて、尚ほも簷端を叩く玉露を靜かにきき入りつつ、私はけふ玉欄氏と語りあつた、淸貧の詩人陶淵明をおもひだしてゐた。

 かへらなんいざ、田園まさに荒れなんとす。

 かう口ずさむと、私は童顏(?)酒ずきの詩人を思ひうかべる。

 故郷の潯陽にかへつて、朝に夕に南山を眺めながら、東離に菊を植ゑ松をそだてて田園にしたしんだかの五柳先生は、時に好物の酒さへなく、菊花をつんでは盃にうかべてのんだ日もあらうし、白衣の貴人が酒壺をさげて訪れ、共にくみかはしながら詩をよみ快談した日もあらう。

 俗塵と斷つて、只菊花の淸節を愛した陶淵明の孤高はとても吾々のまねうる所でもないが、只茅屋にこもつて、菊花を愛し、淸貧と孤りを愛すこころもち丈は、いささか陶淵明の流れを汲むものとも言へようか。

 だが、草庵の菊花は、とても菊と堂々名づけうるものではなく、堺町の舊居にゐた頃は、門べに咲きふし、菊丘の今の草庵の狹庭にも只植ゑばなし咲きばなしで、添竹もなく氣ままに、南緣の下や、籬のもとにくねり亂れ、時雨にも潦(にはたづみ)にも咲きふすいともの寂びたひなびた亂菊の風情を、私はありのまま打めでる丈であつた。

 昔東京目白の實家にゐた頃は父の菊ずきで、ひろい庭の松かげにも白菊が一かたまり。しをり戸のかげにも、植木の込んだ築山のかげにもまた蜀紅の錦が、一むらといふ風に美事な菊が添竹をあふれる樣にわざと自然のままゆたかに咲き亂れるにまかしてあつたのをいつも思ひ出す。はるばる九州へもつて來たその父の遺愛の菊の種の種苗ももう十數年經ていつか絶えてしまつたが、私の菊を愛す心もちは幼い時から父の蘭菊好にはぐくまれたものである。

 さて、さつき一寸書いた菊枕といふのは、陶淵明の東籬の菊にちなみ、恩師虛子先生の延命長壽をいのるため、二三年前、白羽二重の枕に菊花を干してつめてさしあげたものである。

 その時、虛子先生から

  初夢にまにあひにける菊枕  虛 子

といふお句をいただいた。

  愛藏す東籬の詩あり菊枕   久 女

  白妙の菊の枕をぬひあげし  同

 ことしも私はふと菊枕を作らうと思ひついて、外へ出る度に白菊のみを求めてはさげて戻つた。或日は又足立山麓廣壽山のほとりにある七反歩ばかりの菊畠に菊つみにもいつた。碧るりの玉の如く晴れた、雲一つない大空の下で明るい日ざしをあびつつ籠に黄菊白菊をつみうつるのは誠に心樂しい事であつた。

 いく度かにつみとつた大菊は、千何百輪。中小菊六千餘輪。一尺から七八寸位のいろいろな新種の美事な菊が澤山あつた。

 宅へもどつてきて夜長の燈の下にひとり菊花を數へつつ新聞紙の上にひろげてゆく時のたのしさ。

 菊は、六疊の部屋いつぱいにほされ、日和つづきの菊丘の草庵は、緣も座敷も菊の色香にみたされて、或夜は、たうとう布團しく所もなく戸棚の中に私は一人小さくなつてふせつた事もあつた。

 美しい菊花の精は夜ごと訪れて私の夢の扉をうつくしく守つてくれたことであらう。

 夜は菊の香りにつつまれて臥しひるは菊をほしひろげたり、菊の手入れに忙しく、そのひまひまには、手紙を書いたり、遠來の句ともがらをむかへたり、それもこれも、皆此の部屋一ぱいほしひろげた七千餘輪の大菊小菊の中で、一月餘の起き伏しを樂しんだものであつた。

 瑞穗の國の新皇子うまれまして福春を迎ふるうれしさに、萬葉の企救(きく)の高濱近くすむ身は、元祿の園女撰の菊の塵、紫(むらさき)白女の菊の道、長門の菊舍の手折菊四卷、殘菊集二卷についても今少し記して見たいと思つたが、あまり長くなるからここらで、筆をおく。菊が丘の草庵にて

 

[やぶちゃん附記:私は菊枕の実物を見たことがない。見たことがない方も多いと思うので、以下、宮本宮尾氏の「杉田久女」(平成一五(二〇〇三)年富士見書房刊)の『二 「花衣」時代の句』の「菊枕」から一部を引用させて戴く。そこでは因縁の虚子との関係も語られてあって非常に興味深い部分である。橋本多佳子の「久女」なる文章が私の持つ立風書房版全集に所収しないことも引用させて戴く大きな理由ではある。送られた虚子の菊枕の印象記の部分から示す。虚子の引用箇所は発表年代――久女から虚子に菊枕が贈られたのは虚子の返礼句「初夢に」(坂本氏は『みごとな挨拶句』と称賛されているが、如何にも私の嫌いな虚子らしい御目出度い駄句である私は思うことを添えておく)が昭和七年正月の作であるから昭和六年の年末と分かる――から恣意的に漢字を正字化した。踊り字も正字化してある。

   《引用開始》

 「これは去年の暮に私の長壽を祈る爲に菊枕を拵へて送つて遣るから、と云ふ手紙が來てから暫く經つてその菊枕なる物が來た。(中略)實際頭をあてがつて見ると、非常に菊の薫りが高かつたのに驚いた。この句も、枕を拵へ上げて仕舞つて、その強い菊の薰りに衝たれた時に出來た句と思ふ。何の技巧も費してないが、それでゐて此句に一種の力を感ぜしめるものは、菊枕をつくり上げてやれやれと感じた、其深い感じによるのであらう」

   《引用終了》

続いて、坂本氏の解説の一部。

   《引用開始》

 この枕を受け取った虚子の礼状が昌子氏の『私の五十年』に写真版で収録されている。虚子は久女の労をねぎらい、年末に届いた枕を元日に用いたところ、「丁度高さもよろしく又柔らかさもよろしく」との感想を伝え、(初夢の間に合ひにける菊枕)という句を贈った。日付は一月九日で、菊枕とともに贈られた品に対する礼も述べられている。

 菊枕について橋本多佳子は、「久女が見せた菊枕は長さ一尺、幅六、七寸のもので、これを枕の上にかさねて眠るのだと教へた」(「久女」)と記している。久女の菊枕は、生乾きの菊を入れた大きな枕ではなく、一月以上も乾燥させた香り高い菊を詰めた薄い枕であった。菊枕という手間のかかるものは、久女の思いが込められすぎていて、贈られた虚子にはうっとうしかったのではなかったか、と考える向きもあるのだが、それはのちに虚子と久女の関係が悪くなり、虚子が久女をうとましく思っていたことから遡ってなされた推測ではないか。この評や手紙を読むと、虚子は実際に頭を載せてみたりしていることがわかり、このとき有難迷惑と思っている風はない。俳句を作る人間は、このような句の格好の材料になる風流をおもしろがるのではないか、と私は思う。久女は菊枕作りを心から楽しみ、そして珍しい素材を詠んで佳句を得ることができた。虚子もまたみごとな挨拶句をものした(「菊枕をつくり送り來し小倉の久女に」の前書で〈初夢にまにあひにける菊枕〉として虚子の贈答句集に収録されている)。それだけで久女の菊枕作りは意味があったといえる。

   《引用終了》]

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