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2014/08/15

日本その日その日 E.S.モース(石川欣一訳) 第十四章 函館及び東京への帰還 22 利根の渡しで――モースは芭蕉である――

 翌朝我々は蠟燭の光を頼りに出発した。正午、我我は鰻のフライで有名な場所で休息し、美味な食事をした。午後我々は雨で増水した利根川を渡ったが、渡船を待つ問、渡船場の下流の、広い砂地が川に接した場所に、日本人の一群がいるのに気がついた。数時間前、徒渉しようとした男が溺死し、今や彼等は見つけ出した死体を、運ぼうとしつつあるとのことであった。私は群衆の中に入って行った。例の大きな木製の桶があり、火葬場へ持って行く死体が内に入っている。横では一人の女が、深い悲嘆にくれて泣いていた。数名の男が線香をたき、奔流、不毛の砂地、空を飛ぶ黒い雲等が、陰鬱な、心を打つような場面を形成していた。私が突然彼等の間に出現したのは、まるで幽霊みたいだったので、彼等は皆、私が雲から墜ちて来たかの如く私を見た。船が着いたので、私は渡船場へ急いだ。やがて雨が降り始め、午後中降り続いた。

[やぶちゃん注:八月二十六日の描写。五時半に白河発であるが、二十四日も二十五日もこの時間に発っているから、特にこの日が早かったわけではないので注意。恐らくモースは提灯を点して人力車が行くという記憶の中の忘れ難いシーンを遅まきながら描写したくなったのであろう。

「我我は鰻のフライで有名な場所」「フライ」底本では直下に石川氏の『〔揚物〕』という割注が入る。これは奥州街道の宿場町として繁栄した現在の栃木県大田原市。同市を流れる那珂川は淡水魚の種数が豊富なことで知られる。最近、那珂川産天然鰻が実は養殖の虚偽表示であったとする記事を見かけたし、那珂川産の天然鰻は最早、稀少価値でとても美味であるとする鰻通のブログ記事もあった。但し、少なくとも現在、ネット上で見る限りでは、大田原は鰻料理で有名という感じはしない。「フライ」とあるが、これは一応、お馴染みの蒲焼であるととってはおく(モースにとっててらてらのねっとりとした蒲焼は「油で炒めた」ものと映ったとしておかしくないからである。但し、鰻の唐揚げはあるし、私は好きである。事実、美味い)。

 この短い一段、私は何故か非常に好きである。そのシチュエーションの描写は確かな事実をのみ描出しているのではあるが、しかし私は実にそこにモースの詩心を感じるのである。私は凡百の私小説よりこの一章を愛すると言ってもよい。大田原はまさに「奥の細道」所縁の地であるが、私にはこのシーンのモースが僧形の芭蕉のように見えて仕方がないのである。――原文を総て引く。私のような不勉強な者でも数回辞書を引けば読める。

The next morning we were off by candle-light. At noon we stopped at a place famous for its fried eels and we had a delicious dinner. In the afternoon we crossed the Tonegawa swollen by the rains, and while waiting for the ferry-boat we noticed a crowd of Japanese below the landing on a broad strip of sand that bordered the river. We were told that a few hours before a man had been drowned in attempting to wade the river, and they were just getting ready to remove the body which had been recovered. I went down into the crowd, and there was the customary big wooden tub in which the body had been packed preparatory to cremation, a woman beside it in deepest grief. A few men were burning incense sticks, and the rush of water, the stretch of sterile sand, and the black, scudding clouds above all formed a sombre and striking scene. My sudden appearance among them was like an apparition, and they all looked at me as if I had dropped from the clouds above. The boat came and I hurried back to the landing. Soon afterward it began to rain and continued to rain the whole day.”]

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