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2014/08/01

沖縄舞踊   山之口貘 / 現在知られる山之口貘の全詩篇(準定稿を含み、草稿は除く)電子化終了

 沖縄舞踊

 

太鼓の音にのって

蛇皮の三味線の音にのって

やがて沖縄の踊りがはじまった

踊るその手その腰その足の

いかにも情緒こまやかな花風

さつまへのぼる旅路ののぼり口説

石垣島のはとまぶし

漁村に因んだ谷茶前

あるひは旅愁の浜千鳥など

見たり聞いたりしてゐるうちに

沖縄生れはじっとしてゐられないのだ

そこでぼくも仲間入りだ

むらさき色の裂地を頭に巻いて

紺地姿の女に化けて

指笛ふいては

郷愁を呼び

毛あそびの踊りを

みんなして踊り狂ったのだ

 

[やぶちゃん注:思潮社二〇一三年九月刊「新編 山之口貘全集 第1巻 詩篇」解題では『掲載紙不明』とする。既に述べたが、新全集でこれを「その他の既刊詩集未収録詩篇」の冒頭に配しているのは、バクさんの逆編年配列志向に合わせ、恐らく本詩篇が「その他の既刊詩集未収録詩篇」五篇中で最も新しい創作であると考えたからと思われる。

 創作年を私なりに推理する。

 まず、これは詩全体の醸し出す雰囲気からは沖繩での実体験ではない。明らかにバクさんの昭和三三(一九五八)年十月の沖繩帰郷以前の作であると読める。これは本土で開かれた沖繩舞踊のイベントと考えた時、バクさんの郷愁を搔き立てて最も自然に読めるのである。

 とすると、素材である沖縄舞踊から、一つの可能性が年譜上に浮かび上がってくるのである。

 旧全集年譜の昭和二七(一九五二)年(バクさん四十九歳)の条に、『夏、沖縄展(於西武デパート)に出席。期間中毎日琉球舞踊を踊る』とあるのである(後に出る詩篇「お金の種類」の注も参照されたい)。このイベントで実に十五日もの会期中(随筆「関白娘」に拠る。本随筆についてもやはり詩篇「お金の種類」の注を参照されたい)、毎日ずっと沖繩舞踊を踊り続けたエクスタシーがこの詩を生んだと考えると、私は如何にもしっくりと腑に落ちるのである。

 以上から、私は本詩の創作年を昭和二七(一九五二)年夏以降と踏むものである。

 

 以下、語注を附す。恐らくは私の電子化したバクさんの分かり易く読み易いものばかりの全詩の中で最も附注率が高い特異点の一篇である。「※」は前の語注内の語に対する更なる注であることを示す。

 

・「蛇皮の三味線」ルビがないが、私は「じゃびのさんしん」と読みたい。

 

・「花風」は「はなふう」と読み、庶民の暮らしぶりをモチーフとした沖繩舞踊の一種。『雑踊りの中で準古典ともいわれている。那覇の港から船出する愛しい人を三重城の丘から見送る遊女の別れの切なさをしっとりと表現している。髪を辻結いにし紺地の絣を帯を使わないウシンチーにして着、肩に花染手巾、手に日傘をもち白足袋で踊られる』(以上は沖縄県総合教育センター提供になる「琉球舞踊用語集」に拠った。以下、特記しない引用部はここから)。琉球舞踊家奥間圭子氏のサイト「奥間圭子の琉球舞踊への誘い」の琉球舞踊についての「花風」も参照のこと。舞踊動画

※「雑踊り」は「ぞううどぅい」と読み、『明治以後の芝居で創作振付けされた舞踊のこと。雑とは、古典舞踊の』定式的な舞踊の、孰れの『部類にも入らないもろもろの踊りといったような意味だといわれている。庶民の生活を題材にとり芭蕉布や絣など日常の衣裳を着て踊られる』ものをいう。

※「三重城」は「みーぐすく」と読む。那覇の海に臨む史跡で、かつては那覇湊から長く伸びた堤防であった。十六世紀に倭寇侵入の防御のために楚辺村の豪族王農大親(おーぬうふや)によって築かれた防壁と伝えられる。王農大親の一人娘は尚清王の夫人となった人物であり、首里王府と関わりの深い豪族であった。参照した沖繩紹介サイト「おきぽた」の三重城によれば、ここは『王ヌ大比屋(おひや)城」とも呼ばれていたそうで、村落の長らしき威厳ある場所でもあった』とする。『かつての三重城は、港全体を囲い込むように長く、途中に臨海寺という』寺があり、ここは『薩摩や中国へ行く船を見送る場所であり、尚寧王が捕らわれの身となり、薩摩へ連衡される際もこの場所で別れの手を振ったと言われています。当時の琉球では、最愛の人の旅立ちを見送る光景は、当時では珍しいことではなかったのでしょう』。と記し、『琉球舞踊『花風』は、三重城に登って、旅立つ船を見ながら手を振り、愛する人との別れと航海の安全を祈る情緒溢れる、まさに当時の情景を物語る踊りです。『花』は、遊女のことを示しています。一人の女性が、日傘を片手に、もう一方の腕は目一杯にティサージ(手ぬぐいのようなもの)を振って愛しい人を見送るのですが、船の走るスピードは速く、一瞬で見えなくなってしまいます』と詳述する。復元された三重城などの写真も含め、リンク先は必見である。

※「ウシンチー」『帯をしめないで、着物の襟の下方を袴(下着)の紐にはさみ込む女性の着付の仕方をいう。肌と着衣との間にたっぷりと隙間ができて風が自由に通りぬけるので、暑い沖縄の風土に適した着付けといえる』。グーグル画像検索「を附しておく。

※「花染手巾」「はなずみてぃさじ」と読む。『しぼり染の手巾(手拭)のこと。女性の愛情表現として用いられる。沖縄にはオナリ神信仰(兄弟を守護する姉妹の霊)があり、旅のはなむけに手巾を持たせて航海の安全を祈った。こうした、民俗と結びついた霊的な意味をもつものがウミナイ手巾である。これは、女性の心の象徴つまり愛情の表現と恋の約束のシンボルである』。グーグル画像検索「花染手巾

 

・「さつまへのぼる旅路ののぼり口説」「上り口説」は沖縄方言では「ぬぶいくどぅち」と読む。『薩摩上りを命じられた首里士族の心情と旅の風景を口説きで表現した古典二才踊り。手には扇を持って終始キビキビと二才の技をみせる。二才踊りの基本的な演技が入った演目である。以前は、一節ごとに口説ばやしと称して、踊り手が唱える文言があったが、今日ではほとんど唱えられなくなっている』。比嘉康春中村司共演る「上り口説方言で「ぬぶいくどうち詠唱演奏

※「口説」(くどぅち)は本土の「口説(くど)き」と同義的なもので同源でもある。『大和言葉の七五調が基本で、同一のメロディを繰り返しながら道行の景色を語り、物語りをするという内容のものである。浄瑠璃の口説などのような口説歌は、室町から江戸初期にかけて念仏踊り系の伊勢踊りとして踊られ、物語り風の内容を歌って全国に流行した。沖縄の口説もこれらの流れをくむものであるといわれている』。

※「二才踊り」沖縄方言では「にーせいうどぅい」と読む。『薩摩の在藩奉行を歓迎するための舞踊で』琉球舞踊の中でもかなり『古い踊りといわれる。口説形式にのり、黒紋服(最近では、水色の衣裳で踊る会派もみられる)を着てあずまからげをし踊る』。「あずまからげ」(東絡げ)とは着物の両脇を腰のあたりで引き上げて帯にはさみ、裾前を開くようにすることをいう。亀浜律子二才踊り浜」(方言めー動画

 

・「石垣島のはとまぶし」鳩間節(はとぅまぶし)。『伊良波尹吉氏により、元曲「鳩間中森」のテンポを早くし、日本舞踊などの手を入れて創られた踊り。鳩間島の美しさと、五穀豊穣を予祝した歌詞で、村人の喜びを軽快に表現した作品』。舞踊動画はこちら

※伊良波尹吉(いらはいんきち 明治一九(一八八六)年~昭和二六(一九五一)年)は与那原生まれの俳優・劇作家・舞踊家・劇団経営者。十四歳で寒水川芝居(首里寒水川村(現在の首里寒川町)にあった芝居小屋)に入団、沖縄では『大正期から戦後にかけて活躍した二枚目スターであった』。『戦前は、伊良波一座で南洋群島へも巡業、また大正劇場では脚本に山里永吉を起用、多くの琉球史劇を上演した。戦後は、沖縄民政府の直営梅劇団の団長として活躍』した。

※「鳩間島」西表島の五・四キロメートル北方に位置する八重山諸島の面積〇・六九平方キロメートルの小さな有人島(人口六十七人(二〇一三年一月三十一日現在)。隆起珊瑚礁の島で形状はほぼ円形、周縁部は平坦であるが、中央部に鳩間中森と呼ばれる丘陵がある。現在、沖縄県八重山郡竹富町鳩間。(以上はウィキの「鳩間島」に拠る)。

 

・「漁村に因んだ谷茶前」谷茶前(たんちゃめー)の「谷茶」は現在の沖縄県本島北部恩納村にある漁村の名。そこに伝わる沖繩舞踊では最も知られるもので、『若い男女が働く喜び、生きる力を表現した雑踊りである。男は櫂を持ち、女は海の幸を入れるバーキ(ザル)を持ってたくましい振りをみせる』。ティンクティンク演奏谷茶前節動画

 

・「旅愁の浜千鳥」浜千鳥(はまちどり)は『別名「チジュヤー」とも言われ親しまれている。 ふるさとを遠く離れ、そこに残した人々を偲ぶ心情が描かれた雑踊り。紺地の絣』(かすり)『を着たさわやかな娘たちが、ウシンチー姿で哀愁に満ちた旅情豊かな「浜千鳥節」にのって踊る』。明治二八(一八九五)年頃の那覇の芝居小屋で誕生したもので、『雑踊りの傑作といえる』。舞踊動画はこちら

 

・「むらさき色の裂地を頭に巻いて」「裂地」は「きれじ」と読むが、ここは「さーじ」と読みたい。沖繩織物の布で頭に巻きつける鉢巻風の長い布巾(さーじ)。エイサーの衣裳として知られる。エイサーと沖繩衣裳の専門店「花舞流(はなまる)」のサージの巻き方を参照。因みに紫色は本土と同様、沖繩でも一種の禁色(きんじき)で、国政の要職についた士族最高位の親方(うぇーかた)は紫冠を戴いた。

 

・「紺地姿の女」琉球舞踊の女性の正装は黒紺地(くろくんじー)とされる(男性は袴)。那覇市小禄地域の小禄紺地(うるくくんじー)のが知られ、近年、復元再興された。先に掲げた奥間圭子氏のサイト「奥間圭子の琉球舞踊への誘い」の琉球舞踊についての「花風」の写真で奥間氏が着ておられるものや、動画の舞人の着ているのも皆、「紺地」である。

 

・「指笛」ページに詳細な沖繩の指笛の鳴らし方が書かれてある(あるが私は鳴らせない……とほほ……)。

・「毛あそび」毛遊び(もうあしび)。ウィキによれば、『かつて沖縄で広く行われていた慣習。主に夕刻から深夜にかけて、若い男女が野原や海辺に集って飲食を共にし、歌舞を中心として交流した集会をいう』。『毛(もう)とは原野を意味し、集落によってはアジマーアシビ(辻遊び)、ユーアシビ(夜遊び)と呼ばれる例もあったという。参加を許される年齢はおおむね男子は7~25歳くらい、女子は15~22歳くらいで、ほぼ一人前となり、結婚適齢期とみなされる男女が対象となったとされる。 このような習俗は沖縄のみならず、近代以前までは日本各地にみられ、古くは『歌垣(かがい、うたがき)』と呼ばれる男女交際の場があり、恋歌の掛け合いをしながら互いの気持ちを確かめ合ったと言われている。 当然のことながら性的関係に至ることも珍しくはなかったが、毛遊びは両親をはじめとする親族や共同体公認のものであり、こうした開かれた交際の中から人間関係を築き、将来の伴侶を定めるという風習が、沖縄においては近年まで伝統として受け継がれてきたのである』。『また毛遊びは単に男女の出会いの場としてのみならず、民謡や楽器演奏技術、舞踊、民話などといった固有文化の伝承の場として重要な機能を果たしていたことも忘れてはならない。沖縄出身の多くの音楽家は毛遊びで競い合うことによって音楽的素養を磨き、即興や掛け合いの中から新しい民謡を次々に生み出していった。沖縄音楽界の重鎮と呼ばれる人々はみな毛遊びの中から生まれており、こうした文化が現代の沖縄音楽に与えた影響は計り知れないものがある』。『毛遊びは淫らで前時代的な風俗であるとして、琉球王朝時代より何度も禁止令が出されたが、昭和中期頃までは地域によっては根強く生き残ってきた。現在ではほとんど消滅した毛遊びではあるが、それに代わるものとして戦後沖縄にもたらされた文化としてビーチパーリー(beach party)が存在する。これは米軍が持ち込んだ習慣で、休日のまだ陽の高い時間に行われる海辺でのバーベキューなどをメインとした遊びである』とある。]




これを以って本ブログ・カテゴリで
現在知られている山之口貘の全詩篇(準定稿を含み、草稿は除く)の電子化を終了する。

底本や参考とした新旧全集編者の方に、深く感謝申し上げる。

バクさん、やっちゃった!――

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