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2014/08/31

『風俗畫報』臨時増刊「江島・鵠沼・逗子・金澤名所圖會」より金澤の部 三艘浦

    ●三艘浦

三艘浦は。六浦(むつうら)の南三艘村に在り。永祿九年の春支那船(しなせん)三艘(さんそう)。此浦に著せしより名く。當時載せ來りし一切經及ひ靑磁の香爐花瓶等は。稱名等に所藏せるよし。鎌倉志に見えたり此浦の東村は即ち瀨崎(せさき)なり。

[やぶちゃん注:「三艘浦」は現在の京浜急行逗子線六浦駅の東北直近にあった。「新編鎌倉志卷之八」には以下のように出る。

   *

〇三艘浦〔附瀨ヶ崎〕 三艘浦(さんぞうがうら)は、六浦の南向ひの村なり。昔し唐船三艘此所に着く。故に名くとなり。其時に載せ來りしとて一切經・靑磁の花瓶・香爐等、稱名寺にあり。此東の村を瀨崎(せがさき)と云ふ。

   *

なお、この時、この船には猫が積まれており、それがこの地で繁殖、「金沢の唐猫」として名産となったという。「鎌倉攬勝考卷之十一附録」で「金澤」の「産物」の掉尾に、以下のように掲げる。

   *

唐猫 往古唐船、三艘が浦へ着岸せし時、船中に乘來り、其時の猫を此地に残し置たるより、種類蕃息し、家々にありといえども、形の異なるものも見へず。されど古くいひ傳え、【梅花無盡藏】にも、此事をかけり。里人に尋るに、本邦の猫は、背を撫る時は、自然と頭より始て、背を高くするものなるに、唐猫の種類は、撫るに隨ひて背を低くするなり。是のみ外に違ふ處なく、皆前足より跡足長く、其飛こと早く、毛色は虎文、または黑白の斑文なるもの多く、尾は唐猫は短きもの多しといふ。

   *

現在の哺乳綱獣亜綱真獣下綱ローラシア獣上目食肉(ネコ)目ネコ亜目ネコ科ネコ属ヤマネコ種イエネコ亜種イエネコ Felis silvestris catus はリビアヤマネコ Felis silvestris lybica を原種として五世紀頃に仏教の伝来とともにインドからシルクロードを経て中国に持ち込まれたとされる。本邦への伝来は仏教の伝来に伴い、多量に船舶で運ばれる経典の鼠による咬害の防止のために、一緒に船に乗せられて来たものが最初と一般には言われるが、恐らくそれ以前に、穀物を鼠害から守る目的で渡来しているものと思われる。ネコマニスト氏の個人ブログ「猫目堂」の「称名寺」によれば、この金沢の猫については、称名寺の建立された文永四(一二六七)年、寺に収蔵する経典を載せた三艘の唐船がやってきたのだが、その船に鼠害防止のための唐猫が乗っていたという伝説があるとし、その子孫が「金沢の唐猫」となったとある。更に、「物類称呼」巻二に猫の異名の一つとして、「かな」というのが挙がっているとある。以下、「物類称呼」の当該の「猫」を以下に全文引用しておく(底本には岡島昭浩先生の「うわずら文庫」にあるPDF版吉沢義則校訂越谷吾山『諸国方言/物類称呼』を用いたが、句読点を適宜変更・追加した)。
   *

猫  ねこ ○上總の國にて、山ねこと云(これは家に飼ざるねこなり)關西東武ともに、のらねことよぶ。東國にて、ぬすびとねこ、いたりねこともいふ。
夫木集
    まくす原下はひありくのら猫のなつけかたきは妹かこゝろか 仲正
この歌人家にやしなはざる猫を詠ぜるなり。又飼猫を東國にて、とらと云。こまといひ又、かなと名づく。
[やぶちゃん字注:以下は底本では全文一字下げ。]
今按に、猫を「とら」とよぶは其形虎ににたる故に「とら」となづくる成べし。【和名】ねこま、下略して「ねこ」といふ。又「こま」とは「ねこま」の上略なり。「かな」といふ事 はむかしむさしの國金澤の文庫に、唐より書籍(しよじやく)をとりよせて納めしに、船中の鼠ふせぎにねこを乘(のせ)て來る、其猫を金澤の唐

から)ねこと稱す。金澤を略して「かな」とぞ云ならはしける。【鎌倉志】に云、金澤文庫の舊跡は稱名寺の境内阿彌陀院のうしろの切通、その前の畠文庫の跡也。北條越後守平顯時このところに文庫を建て和漢の群書を納め、儒書(じゆしよ)には黑印(こくゐん)、佛書には朱印を押(をす)と有。又【鎌倉大草紙】に武州金澤の學校は北條九代繁昌のむかし學問ありし舊跡なり、と見へたり。今も藤澤の驛わたりにて猫兒(ねこのこ)を囉(もら)ふに、其人何所(どこ)猫にてござると問へば、猫のぬし是は金澤猫なり、と答るを常語とす。 花山院御製歌に、

夫木集

    敷しまややまとにはあらぬ唐猫を君か爲にと求め出たり

又尾のみじかきを土佐國にては、かぶねこと稱す。關西にては、牛(ごん)房と呼ふ。東國にては牛房尻(ごぼうじり)といふ。【東鑑】五分尻(ごぶじり)とあり。

   *

撫でるとその所作が普通の猫と逆という判別法の下りが、如何にも面白い。因みに、現在の千光寺(先行する「專光寺」)にはこれら渡来の唐猫の供養のための猫塚が今も伝わっている。

「六浦(むつうら)」はここではかくルビがふられてある。前段では古式の「むつら」と振ってある。

 最後に「江戸名所図会」に所載する地名の由来を描いた図を示す。

Sansou

右上には「三艘(さんさう)ヶ浦の故事」(「事」は略字)と書かれている。]

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