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2014/09/22

耳嚢 巻之八 かつ著往古の形樣の事

 かつ著往古の形樣の事

 

 かつぎは、歩障(ほしやう)行障(かうしやう)被衣(ひい)といふ。代々うつりかわるさまにて、今のかつぎは左(さ)の圖に記せし通りにもなく、被衣を差略(さりやく)して綿帽子といふものを用ゆ。近來に至りて、練(ねり)の帽子、又は紫の絹帽子などあり。何れも婦女の面(をもて)を覆ふの具なり。鄙賤の者に至りては、東都の女、袖頭巾(そでづきん)といふ物を用ひ、甚敷(はなはだしき)に至りては米屋かぶりなど號(がうし)、新敷(あたらしき)手拭ひにて髮をつゝむ。是等も左に記す被衣の餘風ならんか。左の書付は或人の携(たづさへ)來るまゝ、今昔風俗のうつりかはる事を思ひつゞけて爰に記す。

 

Katugi

 

□やぶちゃん注

○前項連関:なし。衣類風俗考現学物。岩波のカリフォルニア大学バークレー校版には二図についてのキャプションがあり(これがもしかすると本文の「左の書付」と称するものではなかろうか?)、しかも二つの図ともに墨塗りがあって非常に見易い。補足を正字化して以下に示し、両図も併置する。

 

歩障 行障 被衣 綿帽子

此圖はふるき土佐家の畫がける

物語にありけるをうつす。

是は靈光院法皇の御屛風

の繪にありけるを、うつ

しけるよし。

 

Katugi2

Katugi3

 

因みに、同岩波版長谷川氏注に、この「土佐家」とは『大和絵の一派土佐派の画師』、「靈光院」は、『霊元院か。百十二天皇。寛文三年(一六六三)即位、貞享四年(一六八七)譲位、正徳三年(一七一三)落飾』とある(霊元天皇の崩御は享保一七(一七三二)年八月)。

・「かつ著往古の形樣の事」「かつぎわうこのけいやうのこと」と読む。「かつぎ」は「かづき」とも呼び、「被」「被衣」と書く。外出時に頭ら懸けた衣服(古くは主に女性が用いた)を指す。

・「差略」作略とも書く。本来は対象や行為を適当に取り計らう謂いであるが、ここは簡略化・簡素化しての謂い。

・「綿帽子」は真綿を薄く引き伸ばし広げ、フノリで固めて丸形や船形にした被り物。現在は神前結婚式に於いて花嫁の被りもとしてしか見かけることはないが、もともとはここに出るところの、室町後期から安土桃山時代にかけて武家婦人の外出着として小袖を頭から被って着られていた「被衣(かづき)」を起源とし、元来は外出する際の埃除けや防寒具として男女ともに用いられていたものが、江戸時代になってこの綿帽子が若い女性の被り物として定着していった。綿帽子には丸綿・舟綿・古今綿・促綿(うなぎわた)などの形の違いによる種類がある、と参照した「ウエディング用語辞典」の「綿帽子」にある。

・「袖頭巾」江戸時代に女性が用いた着物の袖の形をした頭巾。袖口から顔を出すようにして被る。後に御高祖(おこそ)頭巾となった。画像は「風俗博物館」の「袖頭巾をかぶる婦人」を参照されたい。

・「米屋かぶり」「こめやかむり」とも呼び、本来は米屋・搗き屋などが糠のかかるのを防ぐためにした手拭いの被り方。手拭いで頭をすっぽりと包み、両端を後頭部で結ぶもの、と辞書にはあるが、喜多川守貞「近世風俗志(守貞謾稿)」(一九九七年刊の宇佐美英機校訂の岩波文庫版を使用したが、恣意的に正字化した。図も同書より引いた。一部の原文の誤りは校訂指示によって訂した)には、

   《引用開始》

 

Keihankome

[やぶちゃん注:京阪の米屋かぶりの図。]

 手拭のあるひは左あるひは右の端より頭に卷き、上の方を寄せて卷き終りの端前隅を挾むなり。京坂は初め眼を覆ふばかりに卷き、被り終りに隅を額に出し、眼を覆ひたるを上に引き返し挟むなり。すなはち上圖のごとし。

Edokome

[やぶちゃん注:江戸の米屋かぶりの図。]

 江戸は初めより目上に卷き被り、終りに前隅を上圖のごとく額に挾む。

 米屋と云ふことは、圖のごとく被りて埃を除くを專とし、米屋は特に埃多き賈なる故に、專らこれをなす故に名とす。その他にも業に應じてこれをなすなり。

   《引用終了》

とある。ネット上を調べるうちに、詞己(しき)氏がブログ「右月左月」の「手ぬぐいで米屋かぶり」に於いて、やはりこの「近世風俗志」を引用され、次のように述べておられるのを見出した。『つまり、手ぬぐいの端を頭の前からぐるっと巻いて、終りを前に挟み込む。上方(京都・大阪)では前を眼に被るぐらい深く巻いて、巻き終わったら外に折り返す。江戸では巻き終わりを内側に挟み込む。ということで』あろうとされ、以下のように正確に定義されておられる。

   《引用開始》

◇米屋かぶり(こめやかぶり)

手ぬぐいの右または左端を額から頭に巻き、巻き終わりを前に挟み込む。上方(京都・大阪)では前を眼に被るぐらい深く巻いて、巻き終わったら外に折り返す。江戸では巻き終わりを内側に挟み込む。

米屋・搗き屋(つきや)などが、精米作業中に頭に糠(ぬか)がかかるのを防ぐためにする手ぬぐいのかぶり方。

米屋冠(こめやかむり)。

   《引用終了》

・「今昔風俗のうつりかはる事を思ひつゞけて爰に記す」この異例の根岸の感想や、本文中の「差略」「甚敷」という批判的な物言いからは、明らかに彼が「袖頭巾」や「手拭ひにて髮をつゝむ」「米かぶり」を下品なものと意識し、こんなものなどは「被衣の餘風」なりとは認められぬという思いが透けて見えるように思われる。根岸の女性の嗜みに対する美意識が現れた非常に珍しく、興味深い章と私は読むのである。

 

■やぶちゃん現代語訳

 

 被衣(かつぎ)の往古の形様(けいよう)に就いての事

 

 「かつぎ」は、「歩障(ほしょう)」「行障(こうしょう)」「被衣(ひい)」などとも申す。

 世々、その形態は移り変わっており、現在の「かつぎ」と申すものは、左図に示したような原形とは、これ、かなり異なってきており、いわば、本来の被衣(かつぎ)を簡略化して「綿帽子」と申すものを用いるようになっておる。

 近年に至っては「練絹(ねりぎぬ)の帽子」または「紫の絹帽子」などと申すものもある。

 孰れも婦女の面(おもて)を覆い隠すための装着具であることに変わりはない。

 江戸近在の田舎や低き身分の女などにあっては「袖頭巾(そでづきん)」と申すところの雑なる物を用い、また、はなはだしきに至っては、「米屋かぶり」など称し、ただの何の変哲もなき新しき手拭いを以って髪を包んだだけのものも見受けらるる。

 これらも左に示した被衣(かづき)の余風ででもあるのであろうか。

 左図と書付(かきつけ)はと、とある御仁の携え来った、そのままを手を加えずに示したもので、今昔の風俗、その移り変わるさまに、我ら、少しばかりしみじみと感じたるところのあったによって、ここに特に記しおくことと致いた。

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