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2014/09/26

今日のシンクロニティ「奥の細道」の旅 79 名月の見所問はん旅寢せむ

本日二〇一四年九月二十六日(当年の陰暦では九月三日)

   元禄二年八月 十三日

はグレゴリオ暦では

  一六八九年九月二十六日

【その一】諸資料から、この八月十三日辺りに、芭蕉は福井の旧知の俳人等栽宅から彼を伴って敦賀気比(けひ)の明神に十五夜の月見をせんものと旅立ったと考えられる(従って慫慂の作句であるから前日の十二日の吟かも知れぬが、タイミングとしてはここに配したい)。福井から敦賀までは二日ほどの旅程に相当する。

 

  福井洞栽子をさそふ

 

名月の見所(みどころ)問(とは)ん旅寢せむ

 

  越前福井等載に對して

名月の名どころ問ん月見せん

 

名月の名所問はむ旅寢せむ

 

[やぶちゃん注:第一句目は「荊口句帳」(荊口筆/路通序・元禄二年成立・この書名は仮称であって荊口の残した懐紙の綴りであり、その「芭蕉翁月一夜十五句」の冒頭に載る句。個人サイト「温泉ドライブのページ」の『「芭蕉翁月一夜十五句」(荊口句帖)』によれば、これは『大垣藩士宮崎荊口と、その子此筋・千川・文鳥を中心とする発句・連句の書留で』、昭和三四(一九五九)年になって、『大垣市で発見されて大垣市立図書館に寄贈された』という非常に新しく見出された資料である)の句形。「芭蕉翁月一夜十五句」は以下の通り(「十五句」としながら、実際には十四句しか載らないが、これは原資料が断裂して見えないためであることが以下の引用の後書で分かる。以下に上記サイトに載る「芭蕉翁月一夜十五句」を正字化して示した。無論、以降、順次各句を評釈する)。

 

芭蕉翁月一夜十五句

 

   福井洞哉子をさそふ   は(せを)

名月の見所問ん旅寢せむ

 

   阿曾武津の橋

あさむづを月見の旅の明離

 

   玉江

月見せよ玉江の蘆をからぬ先

 

   ひなが嶽

あすの月雨占なハんひなが嶽

 

   木の目峠いもの神也と札有

月に名をつゝミ兼てやいもの神

 

   燧が城

義仲の寢覺の山か月かなし

 

   越の中山

中山や越路も月ハまた命

 

   氣比の海

國々の八景更に氣比の月

 

   同明神

月清し遊行のもてる砂の上

 

   種の濱

衣着て小貝拾ハんいろの月

 

   金が崎雨

月いつく鐘ハ沈める海の底

 

   はま

月のミか雨に相撲もなかりけり

 

   ミなと

ふるき名の角鹿や戀し秋の月

 

   うミ

名月や北國日和定なき

   いま一句きれて見えず

 

「芭蕉DB」の「敦賀」の解説には、これらの句はこの元禄二年八月十四日の夜一夜にして詠んだと伝えられているとあるが、これは単なる伝承の類いであり、明らかにそれ以前、十三日のロケーションのもの(但し、これらを纏めて一気呵成に詠じたのは確かに十四日であったかも知れない。それだけにこれらの句は殆んどが戴けない句となっているとも言える)、最後の方や「名月や」の句は明らかな十五日の句で、私は先に述べた行路日程から見ても、やはり本句を十三日の句と採る。

 第二句目は「奥の細道菅菰抄附録」の句形。前書の「等載」はママ。

 第三句は「芭蕉翁句解参考」(何丸(なにまる)・文政一〇(一八二七)年)の句形。中七と下五の意志を重ねたぎくしゃくした口振りはまことに拙い。

 芭蕉が「奥の細道」の旅の最後の見所を敦賀の気比の名月とようとしたことがこれで分かる(その予定は山中で芭蕉によって決定されていたものと思われ、しかもそこで芭蕉は曾良とではなく、この等栽と、と曾良に提案した可能性を安東次男氏は述べる。これは実に面白い。まさにそれが桃妖の一件で悶々としていた曾良が最後にキレた瞬間であったという可能性は、私はすこぶる高いものと感じているのである)。しかし、後に「奥の細道」の本文に見るように、その期待は裏切られ、雨が降って月は見得なかった。

 響もきも匂いもない。芭蕉の旅程とその意図は知れるものの、私には駄句としか見えない。残しおかぬ方が芭蕉のためにはよかった部類の句と私は断ずるものである。]

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