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2014/09/19

『風俗畫報』臨時増刊「江島・鵠沼・逗子・金澤名所圖會」より金澤の部 稱名寺(Ⅳ)

[やぶちゃん注:以下、「〇金澤顯時同貞顯墓」の前までの引用は底本では、総てが有意なポイント落ちで、一字半下げである。各引用の中では、更に二行目以降が一字下げ(但し、和歌は下げない)となっている。ここでは読み易くするため、「江戸名所図会」の各引用や箇条で行空けし、そこに注も附した。一部の誤植誤字錯字脱字(ここは訓点を含む)を訂した。]

 

青葉楓樹 本堂の前鐘樓の傍にあり。舊樹は枯れて今弱樹を植たり。金澤八木と稱するものゝ一なり。謠曲にも是を作れり。

[やぶちゃん注:「謠曲」は「六浦(むつら)」を指す。粗筋を示した上で、原作を示す(底本は「謡曲三百五十番集入力」の電子データを用いたが、台詞ごとに改行、「【中入】」を挿入、ページ記号番号を除去した。また多くを恣意的に正字に直し、気持ちの悪い濁音踊り字「%\」は正字に直した)。

長月のある日、東国行脚の僧が称名寺を訪れると、今を盛りと紅葉している中にあって、一葉も紅いに染まっておらぬ青葉の楓を見出だす。するとそこに一人の里女が現れ、楓の不審を訊ねた僧に、古え、鎌倉の中納言爲相卿がこの寺をお尋ねになられた際、山々の楓に先立って、実はこの木だけが美事に紅葉に染まっていたので、卿はそれをお讃えになって歌にお詠みになられた。その誉れを受けて、この木は『功なり名遂げて身退くは天の道なり』という故事を信じ、紅葉することをやめて常盤木の楓となった、と語る。僧がかくも木心を知る御身は、と女人の素姓を問うたところ、われはこの楓の精にて、尊き貴僧に逢わんがために出で参ったと告げて秋草の中に消え失せる。(中入)――その夜、称名寺にて僧が誦す読経の声に楓の精が現れ、「草木国土悉皆成仏」という経文の功徳を讃えて神楽を舞い、夜明けと共に消えて行く。

 

   六浦

 

ワキ三人次第「思ひやるさへ遙かなる。/\。東の旅に出でうよ。

ワキ詞「これは洛陽の邊より出でたる僧にて候。われいまだ東國を見ず候ふ程に。此秋思ひ立ち陸奧の果までも修行せばやと思ひ候。

道行三人「逢坂の。關の杉むら過ぎがてに。/\。行くへも遠き湖の。舟路を渡り山を越え。幾夜な幾夜なの草枕。明け行く空も星月夜鎌倉山を越え過ぎて。六浦の里に着きにけり/\。

ワキ詞「千里の行も一步より起るとかや。遙々と思ひ候へども。日を重ねて急ぎ候ふ程に。これははや相模の國六浦の里に着きて候。此渡をして安房の淸澄へ參らうずるにて候。又あれによしありげなる寺の候ふを人に問へば。六浦の稱名寺とかや申し候ふ程に。立ちより一見せばやと思ひ候。なう/\御覽候へ。山々の紅葉今を盛と見えて。さながら錦を晒せる如くにて候。都にも斯樣の紅葉の候ふべきか。又これなる本堂の庭に楓の候ふが。木立餘の木に勝れ。唯夏木立の如くにて一葉も紅葉せず候。いかさまいはれのなき事は候ふまじ。人來りて候はゞ尋ねばやと思ひ候。

シテ呼掛「なう/\御僧は何事を仰せ候ふぞ。

ワキ「さん候これは都より始めて此處一見の者にて候ふが。山々の紅葉今を盛と見えて候ふに。これなる楓の一葉も紅葉せず候ふ程に。不審をなし候。

シテ「げによく御覽じとがめて候。いにしへ鎌倉の中納言爲相の卿と申しゝ人。紅葉を見んとて此處に來り給ひし時。山々の紅葉いまだなりしに。この木一本に限り紅葉色深くたぐひなかりしかば。爲相の卿とりあへず。いかにして此一本にしぐれけん。

詞「山にさきたつ庭のもみぢ葉と詠じ給ひしより。今に紅葉を停めて候。

ワキ「面白の御詠歌やな。われ數ならぬ身なれども。手向のためにかくばかり。古りはつる此一本の跡を見て。袖の時雨ぞ山にさきだつ。

シテ詞「あらありがたの御手向やな。いよいよ此木の面目にてこそ候へ。

ワキ「さてさてさきに爲相の卿の御詠歌より。今に紅葉を停めたる。いはれはいかなる事やらん。

シテ「げに御不審は御理。さきの詠歌に預かりし時。此木心に思ふやう。かゝる東の山里の。人も通はぬ古寺の庭に。われ先だちて紅葉せずは。いかで妙なる御詠歌にも預かるべき。功成り名遂げて身退くは。

詞「これ天の道なりといふ古き言葉を深く信じ。今に紅葉を停めつつ。唯常磐木の如くなり。

ワキ「これは不思議の御事かな。此木の心をかほどまで。しろしめしたる御身はさて。いかなる人にてましますぞ。

シテ「今は何をか包むべき。われは此木の精なるが。御僧たつとくまします故に。唯今現れ來りたり。今宵はこゝに旅居して。夜もすがら御法を説き給はゞ。重ねて姿を見え申さんと。

地「夕の空も冷ましく。この古寺の庭の面。霧の籬の露深き。千ぐさの花をかき分けて。行くへも知らずなりにけり/\。

【中入】

ワキ三人上歌待謠「處から心に適ふ稱名の。/\。御法の聲も松風もはや更け過ぐる秋の夜の。月澄み渡る庭のおも寢られんものか面白や。/\。

後シテサシ一聲「あらありがたの御弔やな。妙なる値遇の緣に引かれて。二度こゝに來りたり。夢ばしさまし給ふなよ。

ワキ「不思議やな月澄み渡る庭の面に。ありつる女人とおぼしくて。影の如くに見え給ふぞや。草木國土悉皆成佛の。この妙文を疑ひ給はで。猶々昔を語り給へ。

シテクリ「それ四季をり/\の草木。己々の時を得て。

地「花葉さまざまのその姿を。心なしとは誰かいふ。

シテ「それ靑陽の春の初。

地「色香妙なる梅が枝の。かつ咲きそめて諸人の心や春になりぬらん。

シテ「又は櫻の花盛。

地「唯雲とのみ三吉野の。千本の花に如くはなし。

クセ「月日經て。移ればかはる眺かな。櫻は散りし庭の面に。咲きつゞく卯の花の。垣根や雪にまがふらん。時移り夏暮れ秋も半になりぬれば。空定なきむら時雨。昨日は薄きもみぢ葉も。露時雨もる山は。下葉殘らぬ色とかや。

シテ「さるにても。東の奧の山里に。

地「あからさまなる都人の。哀も深き言の葉の露の情に引かれつつ。姿をまみえ數々に。言葉をかはす値遇の緣。深き御法を授けつゝ。佛果を得しめ給へや。

シテ「更け行く月の、夜遊をなし。

地「色なき袖をや。返さまし。

序ノ舞。

シテワカ「秋の夜の。千夜を一夜に。重ねても。

地「詞殘りて。鳥や鳴かまし。

シテ「八聲の鳥も。かず/\に。

地「八聲の鳥も。かず/\に。鐘も聞ゆる。

シテ「明方の空の。

地「處は六浦の浦風山風。吹きしをり吹きしをり散るもみぢ葉の。月に照り添ひてからくれなゐの庭の面。明けなば恥かし。暇申して。歸る山路に行くかと思へば木の閒の月の。/\。かげろふ姿と。なりにけり。

 

実は次に出る「堯惠」の金沢訪問が本謡曲「六浦」のもととなっていると言われる。なお、この青葉の楓の子孫は今から凡そ四十年前に枯死してしまい、現在植わっているものは普通の紅葉する楓であるという。]

 

北國紀行 金澤にいたり。稱名寺といへる律の寺あり。

むかし爲相卿の

いかにして此一本の時雨けん山にさきたつ庭の紅葉葉

と侍りしより後は。此樹靑葉にて。玄冬まても侍るよし聞ゆる。楓樹朽のこりて佛殿の軒にはへり。             堯 惠

さきたゝは此ひともとも殘らじとかたみの時雨靑葉にそ降

[やぶちゃん注:「北國紀行」天台僧にして歌人であった尭恵(永享二(一四三〇)年~?)の紀行文。称名寺訪問は文明十九(一四八七)年五月末。

「爲相」冷泉為相(れいぜいためすけ 弘長三(一二六三)年~嘉暦三(一三二八)年)公卿で歌人。藤原為家三男、母は阿仏尼。冷泉家祖。正二位・権中納言。家領の相続を廻って異母兄二条為氏と争そい、しばしば鎌倉へ出向き、関東歌壇の指導者として重きをなした。通称、藤谷(ふじがやつ)中納言(以上は講談社「日本人名大辞典」に拠る)。

 本文に引かれている二首の和歌の意味を以下に示す。

 

 いかにして此一本の時雨けむ山にさきだつ庭のもみぢ葉  冷泉爲相

 

●やぶちゃんの現代語訳

 ……どうしたらこの一木(いちぼく)にだけ、それを紅葉させる時雨が降るなどということがあり得よう……そんなことはあり得べきもないはず……しかし事実、周囲の山々の木々に先だって確かにこの庭の一木だけが紅いに染まっていることよ……

 

 さきだたばこの一本も殘らじとかたみの時雨靑葉にぞ降る  堯惠

 

●やぶちゃんの現代語訳

 ……この朽ち残った青葉の楓と伝える一木……いや……もしもこの楓が、その後も山々の木々に先だって紅いに染まっていた――他の木々に先だって早晩、朽ち果ててこの世からあっさりと消え去っていたならば……かく「青葉の楓」という名の一木として今に残ることもなかったであろう……と古えの為相卿の風雅な物語りを偲ばせる形見して……かの時雨がこの青葉に降りしきっていることよ……]

 

東國記行 稱名寺に到りてみれは。靑葉の紅葉事問へき人たになし。しはらくありて。一室とやらん老僧出て。爲相卿詠る物語して。紅葉も老樹になりて櫨植かへられし庭の跡なとをしへられ。我坊の花けふを待出てたるやうなれはとて。こゝろありけにさかつき出されて。此花をいかゝなとあれは。

けふそ思ふみぬ世の秋の色まても此一本の花の匂ひに  宗牧

なと申たれは。またかたはらより。發句ひとつせよかし。此老僧興行のこゝろざしあるべけれど。こゝほとの見苦しさはゝかりなきにしもあらぬは。なとわりなきやうにて。

 秋もいさ靑葉に匂ふ花の露     同

[やぶちゃん注:「東國記行」戦国時代の連歌師宗牧(そうぼく ?~天文一四(一五四五)年)の紀行文。宗牧は宗長・宗碩に師事して各地を旅した。また、公家で歌人の三条西実隆の邸宅や摂関家の一つ近衛家に出入りし、天文五(一五三六)年には連歌宗匠となった。天文一三(一五四四)年に宗養とともに東国の旅に出た(途中で後奈良天皇から委託された奉書を尾張の織田信秀に届けている)が、京都への帰還途上の下野国佐野で没した。この折りの記録が「東国紀行」であり、当時の地方豪族の状況を伝える資料の一つとして重要。連歌の相伝書を集大成し、後世の連歌や俳諧に大きな影響を与えた人物である(以上はウィキの「宗牧」に拠る)。

 一首は、

今日(けふ)ぞ思ふ見ぬ世の秋の色までも此の一本(ひともと)の花の匂ひに  宗牧

と読む。句は、

秋もいざ靑葉に匂ふ花の露     宗牧

である。]

 

鎌倉記行 池のほとりに。一本のかへてあり。いにしへ爲相卿いかにして此一本の時雨けん山に先たつ庭の紅葉ばとよみ給ひしより。此木時雨にもそめぬとて靑葉の紅葉と申しならはすよしかたりぬ。むかしのぬしに手向とて。澤庵

世々になる其言の葉の時雨より染ぬに色はふかきもみち葉

[やぶちゃん注:「鎌倉紀行」は沢庵宗彭の「鎌倉巡禮記」のこと。こちらの私の同書の電子テクストを参照されたい。]

 

西湖梅 同しく鐘樓の脇にあり。重瓣にして潔白なり。種類いまた考ヘす。是も八木の其一なり。

 

梅花無盡藏 貼西湖栴詩序云

丙午小春。余入相州金澤稱名律寺。西湖梅以ㇾ未ㇾ開爲遺恨。富士則本邦之山。而斯梅則支那之名産也。唯見蓓蕾一。而雖ㇾ未見其花。豈非東遊第一之奇觀乎哉。金澤盖先代好是事之庄。屬南舶杭州西湖之梅花於稱名之庭背。以西湖呼ㇾ之。余作ㇾ詩云。前朝金澤古招提。遊□十年遲雖ㇾ噬ㇾ臍。梅有西湖指ㇾ枝拜、未ㇾ開之遺恨、翠禽啼、及今餘恨未ㇾ盡。巨福山有識面、丁未之春。摘其花數十片。爲一包見ㇾ惠焉。己酉夏五。余皈濃之舊廬。奉献彼一包於春澤梅心翁。翁借余手枝條其花。近而見ㇾ之。則造化所ㇾ設。遠而見ㇾ之。則趙昌所ㇾ畫。幷以出於春翁之新意矣。掛高堂一。一日招ㇾ余令ㇾ觀焉之次。要贅語軸上、漫從揚水末章云。〔詩見別卷一。

                萬里居士

[やぶちゃん注:「梅花無尽蔵」は戦国期の五山の学僧(後に還俗)万里諸九(生没年未詳。没年は永正初年(元年は一五〇四年)頃とする)の詩文集。「新編鎌倉志卷之八」でも引用したが、今回、新たにグーグル・ブックスで管見出来た市木武雄編「梅花無尽蔵注釈4」の本文に拠って厳密な本文校訂を行った(□は市木版の判読不能字であるが、氏は「遲」と判じているのに書き下しでは從った。割注の追加も同版による)。以下、一部私独自の読みも交えながら書き下す。これが現在の私の最良のテクストと思って頂いて構わない。

 

●やぶちゃんの書き下し文(適宜、記号を加え、難読字にはルビを振った)

  西湖(せいこ)の梅を貼(は)る詩の序

 丙午(へいご)の小春、余、相州金澤の稱名律寺に入る。西湖の梅、未だ開かざるを以つて遺恨と爲(な)す。富士は則ち本邦の山にして、斯の梅は則ち支那の名産なり。唯だ、蓓蕾(ばいらい)を見て未だ其の花を見ずと雖も、豈に東遊第一の奇觀に非ずや。金澤は、盖(けだ)し先代好事(こうず)の庄にして、南舶(なんぱく)に屬(しよく)して、杭州(かうしう)西湖の梅花(ばいくわ)を稱名の庭背に移し、西湖を以つて之を呼ぶ。余、詩を作りて云ふ、「前朝(ぜんてう)の金澤の古招提(こせうだい)、遊ぶこと十年遲し、臍(ほぞ)を噬(か)むと雖も、梅に西湖有り、枝を指(ゆびさ)して拜す。未だ開かざるは遺恨なりと、翠禽、啼く。」と。今に及ぶも餘恨(よこん)未だ盡きず。巨福山(こふくさん)に識面(しきめん)有り。丁未(ていび)の春、其の花、數十片を摘みて一包と爲して惠(めぐ)まる。

 己酉(きいう)の夏五(なつご)、余、濃(のう)の舊廬(きうろ)に皈(かへ)り、彼(か)の一包を春澤梅心翁に献じ奉る。翁、余の手を借り、枝條(しでう)を描(ゑが)き、其の花を貼る。近くして之を見れば、則ち造化(ざうくわ)の設(まう)くる所、遠くして之を見れば、則ち趙昌(てうしやう)の畫(ゑが)く所なり。幷(あは)せて以つて、春翁の新意に出づ。高堂(かうだう)に掛く。一日(いちじつ)、余を招きて、焉(これ)を觀せしむるの次(つい)で、贅語(ぜいご)を作りて、軸上に題せんことを要(もと)む。漫(みだ)りに揚水(やうすい)の末章(まつしやう)に從ふと云ふ。〔詩は別卷を見よ。〕

 

以下に「西湖の梅を貼る詩の序」の語注を配す(一部で先のグーグル・ブックの市木武雄「梅花無尺蔵注釈」の部分画像を視認して参考にさせて頂いた)。

・「西湖の梅を貼る詩の序」これは、以下の本文で分かるように、実際に実物の西湖梅の花びらを押し花様にして画紙に貼って絵としたことを謂う。

・「丙午の小春」は文明十八(一四八六)年十月。

・「蓓蕾」畳語。「蓓」も「蕾」に同じく「つぼみ」の意。

・「是の事を好むの主」市木武雄「梅花無尺蔵注釈」には『是の事を好むの庄』とあり、「庄」は『庄は莊の別字。別荘。』とあり、この方が「金澤」に始まる文脈では自然で、これが正しいものと思われる。

・「巨福山」建長寺山号。

・「識面」顔見知り(の僧)。

・「丁未」翌年の長享元(一四八七)年。市木氏によれば、この時、著者諸九は江戸城にいたとある。因みに、彼は(その頃は既に故人となっていたが)江戸城を築いたかの太田道灌と昵懇であった。

・「濃」美濃。鵜沼に諸九の旧居があった。

・「春澤梅心翁」(?~明応五(一四九六)年?)現在の岐阜県各務原市にあった臨済宗五山派の名刹承国寺(美濃国守護土岐持益もちますの創建、現在は廃寺)春沢軒に居した五山文学の英僧梅心瑞庸。美濃国守護土岐政房弟。諸九の最大の理解者であった。

・「造化の設くる所」全くの自然のまま(の梅の如き様)。

・「趙昌」北宋の画家で花鳥画の名人。

・「漫りに揚水の末章に從ふと云ふ」市木氏によれば、これは「詩経」の「揚之水」唐風の末尾の「我聞有命、不敢以告人」(我、命有るを聞くも、敢へて以て人に告げず)に基づく謂いで、人には見せられぬ、という意であるとする。謙辞である。

 漢詩は、本文中の一首と別に一首ある。以下に示す。

 

  西湖梅貼軸詩            萬里居士

 前朝金澤古招提  遊十年遲雖噬臍

 梅有西湖指枝拜  未開遺恨翠禽啼

 

  同

 一橫枝上粘西湖  名字斯花別不呼

 意外春風眞假合  傍人定道盡成圖

 

 漢詩は書き下すと、

 

   西湖梅軸に貼する詩        萬里居士

 前朝 金澤の古招提

 遊ぶこと 十年遲し 臍を嗟むと雖も

 梅に西湖あり 枝を指して拜す

 未だ開かざるの遺恨 翠禽 啼く

 

    同

 一橫 枝上 西湖を粘(ねん)ず

 名字 斯の花 別に呼ばず

 意外の春風 眞假合(しんけがふ)

 傍人 定めて道(い)ふ 畫圖を成すと

 

 但し、二番目の漢詩は今一つ、私には意味が読み取れない。識者の御教授を頂けると嬉しい。

……私もいつか、この――亡き母聖子の名と同音の梅を――見に行きたいと思っている。]

 

櫻梅 同所にあり。花は重瓣なり。八木の一なり。

普賢像 本堂の前左の脇にあり。一品に怡顏齋の櫻品にも見えたり。

文殊櫻 同所にあり。普賢像に對しての稱なるべし。共に八木の一なり。

[やぶちゃん注:「怡顏齋の櫻品」儒家で本草学者の松岡恕庵(じょあん 寛文八(一六六八)年~延享三(一七四六)年:名は玄達、「怡顏齋」(いがんさい)は号)が動植物や鉱物を九品目に分けて書いた「怡顔斎何品」の中の桜の図譜「怡顔斎桜品(いがんさいおうひん)」のこと。]

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