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2014/09/27

今日のシンクロニティ「奥の細道」の旅 87 月淸し遊行の持てる砂の上

本日二〇一四年九月二十七日(当年の陰暦では九月四日)

   元禄二年八月 十四日

はグレゴリオ暦では

  一六八九年九月二十七日

【その六】この夜、芭蕉は気比神宮に参って、待宵の月を賞した。

 

  元祿二年つるがの湊(みなと)に月を見

  て、氣比の明神に詣(まうで)、遊行上人

  の古例をきく

月淸し遊行(ゆぎやう)の持てる砂の上

 

  氣比のみや

なみだしくや遊行のもてる砂の露

 

  氣比の宮べは遊行上人の白砂を敷ける古

  例ありてこの比(ころ)もさる事有(あ

  り)しといへば

月淸し遊行の持てる砂の露

 

 

[やぶちゃん注:第一句目は「奥の細道」「猿蓑」の句形。これと同形を載せる「俳諧四幅対」(東恕編・享保四年刊)には以下の長い前書が附されてある。

 

  元祿二年

  八月十四日敦賀の津(つ)に宿をもとめ

  て、氣比の宮に夜參す。むかし二世の遊

  行上人この道の泥土(でいど)をきよめ

  んとて、みづから砂をはこび玉ふより、

  砂持(すなもち)の神事とて今の代にも

  つたへ侍るとかや。社頭神さびたうあり

  さま、松の木の間の月の影もりて、信心

  やゝ骨に入(しむ)べし

月淸し遊行の持てる砂の露

 

 第二句目は真蹟短冊でこれが初案、第三句目は「其袋」(そのふくろ・嵐雪編・元禄三年自序)の句形で再案らしい。改作過程の抑制はよく分かる。光景もこれまでの月光のそれに比して格段に鮮やかである。であるがしかし、まさにこの長々しい前書なしには本句の荘厳さは味わえず、従ってこの句はやはり必ずしも優れた句とは私には思われないのである。

 以下、ここでは一つ、福井の等栽宅訪問からここまでの「奥の細道」自筆本を読み易く、整序補足して示しておくこととする。

   *

 福井は三里計なれば夕飯(ゆふめし)したためて出るに、たそかれの道たどたどし。爰に等栽と云ふ古き隱士有り。いづれの年にや、江戸に來りて、予を尋ぬ。遙か十とせ餘り也。

いかに老いさらぼひて有るにや、將(はた)死にけるにや、と人に尋ね侍れば、いまだ存命して、

「そこそこ。」

とをしゆ。市中ひそかに引き入りて、あやしの小家に、夕顏・へちまのはかゝり、雞頭・帚木に戸ぼそをかくす。扨(さて)は此うちにこそと門を扣(たた)けば、侘しげなる女の出でて、

「いづくよりわたり玉ふ道心の御坊にや。あるじは、このあたり何某(なにがし)と云ふものゝ方に行きぬ。もし用あらは尋ね玉へ。」

と云ふ。かれが妻なるべしとしらる。

『むかし物かたりにこそ、かゝる風情は侍れ。』

と、やがて尋ねあひて、其家に二夜(ふたよ)とまりて、名月はつるがの湊(みなと)に、と旅立つ。等栽も共に送らんと、裾(すそ)おかしうからげて、道の枝折(しをり)とうかれ立つ。漸(やうやう)白根が嶽かくれて、比那(ひな)が嵩(たけ)あらはる。あさむつの橋をわたりて、玉江の芦は穗に出でけり。鶯(うぐひす)の關を過ぎて、湯尾(ゆのを)峠を越(こゆ)れば、火打(ひうち)が城(じやう)。かへる山に初鴈(はつかり)を聞きて、十四日の夕暮、つるがの津に宿をもとむ。

 其夜、月、殊(こと)に晴れたり。

「あすの夜もかくあるべきにや。」

といへば、

「越路(こしぢ)のならひ、明夜(めいや)の陰晴、はかり難し。」

とあるじに酒すゝめられて、けいの明神に夜參(やさん)ス。仲哀(ちゆうあい)天皇の御廟(ごべう)也。社頭、神(かん)さびて松の木間に月のもり入りたる、おまへの白砂(はくさ)、霜を敷けるがごとし。

「徃昔(そのかみ)、遊行(ゆぎやう)二世の上人(しやうにん)、大願發起(たいがんほつき)の事ありて、みづから、葦を刈り、土石を荷(にな)ひ、泥渟(でいてい)をかはかせて、參詣徃來の煩(わづら)ひなし。古例、今にたえず、神前に眞砂(まさご)を荷ひ玉ふ。これを『遊行砂持』と申し侍る。」

と、亭主のかたりける。

  月淸し遊行のもてる砂の上

   *

■やぶちゃんの呟き

 明らかに芭蕉は文章を書く面白さに没頭しており、句作への専心度は急激に低下している(採用しなかった句群の拙劣さを見よ)。

 これは曾良と別れたことに端を発していると見てよい。ある意味で芭蕉自身の確信犯、半ばは意識的仕向けたとも言える曾良との留別の仕儀であったが、やはり芭蕉にはそれに対して微かな呵責と悔悟の念を持っていたのではなかったか?

 そうした対人心理的焦燥感の中では、芭蕉は会心の句が作れなくなる。

 作れても妙に投げ出したような、或いは「崩る」「裂く」といった棘のある語彙を選んで、それがどこか仄かに芭蕉独り門弟たちの中で浮いたような印象を残すものとなる(これは若き日の芭蕉から死に至る迄、一貫した特性であると私は考えている)。

 「月淸し遊行のもてる砂の上」の句が辛うじて静謐さを保っているのは、「なみだしくや」と「露」という如何にもな主情性を完全に殺ぎ落として、遂には芭蕉自身を滅却して(それが大袈裟なら他阿上人に擬えて)擬時代詠化したからに他ならない。

 「奥の細道」の句は残りたった四句、文章も自筆本の行で二十三行足らずである。――]

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