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2014/10/14

生物學講話 丘淺次郎 第十一章 戀愛(2) 一 細胞の戀

     一 細胞の戀

 

 「うに」・「ひとで」・「なまこ」の類は生殖するに當つて雌雄相觸れることなく、各々勝手に生殖細胞を吹き出すだけであるが、かやうな動物では雌雄相近寄る必要がないから、その間にすこし戀愛はない。互に相近づかうと欲するのは、戀愛の第一歩であるから、近づくことを欲せぬようでは戀愛はまるで問題にならぬ。しかも戀愛がなくても、一部の卵と精蟲とがどこかで必ず相出遇つて受精するのは何の力によるかといふに、これはやはり一種の戀愛である。但し個體間の戀愛ではなくて細胞間の戀愛であるから、親からいふと無意識の戀愛で、親の意志とは全く無關係である。即ち海水中で、卵細胞と精蟲とが偶然相近づけば、精蟲は急いで卵細胞に游ぎ著き、卵細胞からは歡迎の突起を出して直に相合してしまふ。已に親の體を離れた後のこと故、親はその合同を助けることも出來ねば止めることも出來ぬ。

 

 このやうな異性の生殖細胞間の戀愛は決して「うに」・「なまこ」のやうな個體間に戀愛のない種類に限るわけではなく、如何なる動物・植物でも苟しくも有性生殖を營む以上は、その卵細胞と精蟲との間には必ず強い戀愛がある。受精によつて新な一個體の生ずるには、卵細胞と精蟲とが、體と體と合し核と核と合して、眞に一個の細胞となることが必要であるから、如何に卵と精蟲とを出遇はしめる仕組が完全に出來て居ても、肝心の兩細胞が相合しなかつたなら何の役にも立たぬ。恰も如何に他人が骨を折つて男女を出遇はせても、當人らにその心がなければ到底子が出來ぬのと同じ理屈である。それ故如何なる生物でも、生殖細胞間の戀愛は必要であるが、これはいつも個體の意志とは別で、その當人と雖も如何ともすることは出來ぬ。例へば如何に道德堅固の聖僧でもその精蟲を卵細胞の傍へ持ち行けば、必ず直にこれに突き入るであらう。また如何に貞操の譽れ高い婦人でも、その卵細胞の周圍へ精蟲が集まつて來れば、忽ち表面から突起を出して先着者を迎へるであらう。これは當人からいへば無意識の範圍に屬することで、如何なる念力を以つても止めることは恐らく不可能であらう。生殖細胞は互に相近づいた以上は、細胞間の戀愛によつて必ず受精するが、そこまで確實に相近寄らしめるためには、種々の手段を取らねばならぬ。個體間の戀愛は、この目的のために生じたものである。

 

 戀愛する動物を有情と見做せば、戀愛を知らぬものは當然これを非情と名づけねばならぬが、水中に産する動物には非情の種類が決して少なくない。「うに」・「ひとで」・「なまこ」・類のほかに「はまぐり」・「あさり」・「しゞみ」の如き二枚貝類、「くらげ」の類、珊瑚の類、その他海の底には生涯固著して動かぬ動物が數多くあるが、これらは殘らず非情の部に屬する。同じ貝類の中でも「さざえ」・「たにし」・「ほらがひ」などの如き卷貝類は、雌雄相求めて體内受精を行ひ、「たにし」や「にな」は形の具はつた大きな子を胎生するが、「はまぐり」や「しゞみ」の類は全く「うに」・「なまこ」などと同じく、雌と雄とが各々勝手に生殖細胞を吹き出すだけで、親と親との間に少しも戀愛はない。戀愛には二個が相近づくを要し、相近づくには運動が必要であるから、動かぬ動物は到底戀愛をする資格がない。「くらげ」類は動くことは動くが、ただ傘を開閉して水を煽ぎ、その反動によつて方角を定めず漂ふに過ぎぬから、目的を覗うてこれに近づくことは出來ぬ。また珊瑚や「いそぎんちやく」の類では、雄の吹き出した精蟲は水に流されて雌の體に近づき、その口から體内に入つて卵と合する。「いそぎんちやく」には胎生する種類もあるが、卵が受精し發育するのも食物が消化せられるのも同じ場處であるから、かやうな類では胃と子宮との區別がないことに當る。子は成熟して親と同じ形になると、口から産み出される。すべて非情の動物では、親は單に生殖細胞を吹き出すだけで、その後は運を天にまかせておくのであるから、松や銀杏などが花粉を風に吹き飛ばさせるのと全く同樣である。

 

 蟲媒植物の花には美しい色や好い香がものが多いが、これは昆蟲を誘うて花粉を運搬させるためのものゆえ、やはり廣い意味の戀愛現象の範圍内に屬する。しかし動物界に於ける色や香が常に同種類の異性の注意を引くためのものなるに反し、植物の花はたゞこれによつて甘い蜜のある場處を昆蟲に示し、美しい色、好い香の花にさへ行けば、自分の食慾を滿足せしめることが出來ると覺え込ませ、相手の本能を利用して、當方の花粉を知らず識らず運ばせるのであるから、有情の戀愛とは全く趣が違ふ。自身の精蟲を他の生物に託して、先方まで屆けしめるものは、動物の方には一種もない。

 

 さて細胞間の戀は如何にして起こつたものか、その眞の原因は一向わからぬが、單細胞の原始動物にも、既にその存することは明である。系統を異にする「ざうりむし」が、各々相手を求めて二疋づつ接合するのは、即ち細胞間の戀愛の實現で、夜光蟲でも「つりがねむし」でも接合をする以上は、必ずこの本能を具へて居る。そして相接合する二細胞の間に分業が起り、一は大きく重く一は小さく輕くなると、重い方は動かずに待ち、輕い方はが進んで近づくが、この相違がその極に達すると、一方は明に卵細胞、一方は明に精蟲と名づくべきものとなる。單細胞動物では各個體の全身がたゞ一個の細胞から成る故、接合する二疋は全身が或は卵或は精蟲の形を有せざるを得ぬが、通常の動物では身體は無數の細胞から成り、生殖の役を務めるのは僅にその一部なる生殖細胞のみに限るから、細胞間の戀愛もたゞこれらの細胞のみに傳はり、他の細胞は單に分裂によつて、無性的に數を增し得るのとなつたのであらう。

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