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2014/10/14

明恵上人夢記 43

43

一、さて、同十一月廿九日、大明神之御殿の御前に於いて、論義講一坐、之を修す。幷に心經七卷の佛事、之を始む。

一、十二月七日の夜、夢に云はく、同行六七人と共にして、有る處に行きて、既に到り已りて將に家へ入らむとする道に、二段許り、糞穢(ふんゑ)充滿せり。同行等又箸を以て之に浸す。

[やぶちゃん注:「同十一月廿九日」建永元(一二〇六)年十一月二十九日。栂尾に参って住するようになった十一月二十七日から二日目。次の夢はそれらの修法を開始してから凡そ一週間の後に見た夢であることを示唆している。注意されたいが、この前段は明恵の夢日記によく挿入されてある事実の日録である。しかもそれを夢とともに記している明恵には確信犯でその記載事実と前後の夢が強い因果関係にあることを信じて疑わないまさに確信があるのである(しかも明恵は常に夢を予知夢として認識していたと思われることも大切である)。この夢も、栂尾という自身の結界で初めて始めたところの修法が――それは明恵の存在が、と言い直してよい――齎すこれからの出来事を意味するものとして明恵が認識していたと考えるのが妥当なのである。

「大明神」底本注に、『春日明神をさす』とある。高山寺公式サイトを見ると、現在、明恵の時代の唯一の遺構とする石水院(五所堂とも呼ぶが、現在ある位置とは旧地と異なる。以下、詳述する)は、創建当時、東の経蔵として金堂の東にあったとある。それは安貞二(一二二八)年の洪水によって現在の東経蔵の谷向いにあった原石水院は亡んだとある。その後、現在の東経蔵が春日明神と住吉明神を祀って、石水院の名を継ぎ、現在の高山寺の中心的な堂宇となったとある。しかも後世のこと乍ら、寛永一四(一六三七)年の古図にあっては、その石水院が、春日と住吉を祀る内陣と五重棚を持つ、顕経蔵・密経蔵とによって構成された経蔵兼社殿となっているとある(明治二二(一八八九)年に現在地へ移築されて住宅様式に改変されたとある。恐らく廃仏毀釈の影響を受けたために表立って祀ることが出来なくなっていたからと推測される)。さらに石水院の西正面にある「廂の間」の解説には『かつて春日・住吉明神の拝殿であったところで、正面には神殿構の板扉が残る』ともある。この解説に記された事実を見る限りに於いて、この明恵が「論義講一坐」を修した「大明神之御殿」というのは実にこの、現在の金堂の東の谷に下った位置にあった、原石水院たる東経蔵そのもの(若しくはその原型)であったと考えるのが自然であるように思われる。

「同行六七人と共にして、有る處に行きて、既に到り已りて將に家へ入らむとする道」とは、今まさに春日明神を祀るための論義講の一座を修し、一週日を過ぎた般若心経七巻転読の仏事の完遂を指していると読むべきである。即ち、栂尾という場所に一人の名実ともに定立したところの自身の現存在を意味している。

「二段許り、糞穢(ふんゑ)充滿せり」階梯にして二段にも及ぶ汚物が、これ見よがしに帰り道に積まれて、一見、彼らを阻んでいるように見える。

「同行等又箸を以て之に浸す」ところが、明恵の同行の者たち――ここは平等で独立した他の対立する宗派の僧侶であるとは私は考えていない。確かに明恵が信じ、また、明恵を信じ、明恵も彼もとともに「同行」する数少ない「六七人」の心の友たる人々である。それは私は僧とは限らないと考えているのである。何故ならそれ故にこそ、彼らの目的地が社寺ではなくて或「る處」なのであり、それは参詣や修行ではないものだからこそ、「既に到り已りて將に家へ入らむとする道」という表現になっているのだと私は思うのである――は、その汚物の山の中に、自身が生を繋ぐに用いるはずのところの、箸を恭しく「浸す」のである。この二段に盛られた累々たる糞尿の山は実は天女菩薩如来のそれであり、それは実はネクターと明恵と同行衆は認知しているのではあるまいか? だからこそ、同業者は勿論、明恵自身、この一見、おぞましく見える夢の光景を淡々と記すことが出来たのだと私は読むのである。]

 

■やぶちゃん現代語訳

43

一、さて、同十一月二十九日、大明神の御殿の御前に於いて、論義講一座を修した。并びに般若心経七巻の転読、これをも始めた。

一、そうこうして一週日の過ぎた、十二月七日の夜、見た夢。

「私は同行の者六、七人とともに、とあるところに行って、そこで、その同行の者らも皆、そこへ無事に辿り着いて、そこで同行の者らとともに、なしく思っていたことをも、しっかりと成し終え、さてもまさに皆して家へ帰って、寺内(いえうち)へと入ろうとした――その眼の前に――二段ばかりに積み上げられた、糞尿の山が充満していた。

 すると、同行の者らは、また実に穏やかな表情のまま、懐(ふところ)より食膳の箸を取り出だすと、それを以て、その糞尿の山の中に、恭しくこれを浸して供えるのであった。……

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