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2014/10/04

大和本草卷之十四 水蟲 介類 蚶(アカガイ)

蚶 アカヾヒ也一名魁蛤又名瓦壟子其殼瓦屋ニ似タ

リ其肉ニ血アリ蛤類ノ内ニテ味尤美ナリ且補益於

人奥州ニ蚶潟ト云名所アリキサの名古シ

○やぶちゃんの書き下し文(冒頭は「蚶」の右に「キサ」、左に「イタラガヒ」と振る)

蚶(キサ/イタラガヒ) アカヾヒなり。一名、魁蛤〔(くわいがふ)〕、又、瓦壟子〔(ぐわろうし)〕と名づく。其の殼、瓦屋〔(かはらや)〕に似たり。其の肉に血あり。蛤類の内にて、味、尤も美なり。且つ、人を補益す。奥州に蚶潟〔(きさがた)〕ト云ふ名所あり、「きさ」の名、古し。

[やぶちゃん注:「蚶〔(きさ/あかがひ)〕」翼形亜綱フネガイ目フネガイ上科フネガイ科アカガイ Scapharca broughtonii 。同科のフネガイ科サルボウ(ガイ) Scapharca kagoshimensis との識別法は、前掲の朗光(さるぼ)の項の注で既に記載したのでそちらを参照されたい。

 なお、国立国会図書館蔵の同じ宝永六(一七〇九)年版の本箇所には手書きと思われる以下の記載が頭書として、

   *

蚶泻奥州ニアラス誤也羽州ニアリ象泻トモカケリ然レトモ蚶滿寺ト云寺アリ蚶本字ナルニヤ

   *

と記す。これは私は、

『象潟の古き寺の名前に、果たして生臭ものである(穿って私が補すると、しかも女陰に似ると言われる)赤貝の「蚶」の字を当てたりするだろうか? 「蚶満寺(カンマンジ)」の「カン」は本字ではなく、もっと別な字なのではないか?』

と疑っているように読める。――

――ところがどっこい! 実はどうも「蚶」は正しいようなのだ!

 ウィキの「蚶満寺」を見てみると、この寺は仁寿三(八五三)年に天台座主円仁(慈覚大師)の開創と伝えられ、蚶方(きさかた)の美景と神功皇后の伝説によりこの地を占って、皇后山干満珠寺と号して創建したと言われはする。『神功皇后の伝説とは、神功皇后が三韓征伐の帰路、大シケに遭って象潟沖合に漂着し、小浜宿禰が引き船で鰐淵の入江に導き入れたが、そのとき皇后は臨月近かったので清浄の地に移したところ、無事に皇子(のちの応神天皇)を産み終えたという『蚶満寺縁起』所載の伝承。その後、象潟で半年を過ごし、翌年の』四月に『鰐淵から出帆し、筑紫の香椎宮に向かったという。蚶満珠寺の名は、干珠・満珠を皇后が持っていたことに由来するとされる』という伝承である(但し、「古寺名刹大辞典」(一九九二年刊)には後に真言宗に転じた際に不動の真言である「カンマン」という梵語により寺号が起ったとする説もあることが紹介されているとある)。ところがこのウィキの脚注を見ると、「出羽国風土記」(明治一七(一八八四)年刊・荒井太四郎・狩野徳蔵著)には、『平安中期の歌人能因法師の項に「出羽の国にまかりて蚶方(きさかた)といふ処にてよみ侍る」とあるところから、象潟の古名が「蚶方」であったことを知ることができる。「蚶」とはアカガイの古名で「キサガイ」と読むことが多い』とあって、更に「秋田県の不思議事典」という本で『大坂高昭は古代の寺院は飛鳥寺・清水寺・壬生寺のように、地名をもって寺号とした慣用を考えれば、「蚶方寺(きさがたてら)」こそ、この寺の古名にふさわしく、その「方」が「万」に転じたというよりは、後世、神功皇后伝説を付会すべく方と万の字画の近似性から、干満珠寺を意図して方を万とし「蚶満寺」としたものではないかと推定している』とある。これは如何にもな神功皇后伝説なんぞより私もずっと信じられる見解である。しかしともかくも――この寺は私にとっては、ただ一点――芭蕉の名吟、

 

象潟や雨に西施がねぶの花

 

の合歓の花の美しさを点ずるだけで――よろしい――とだけは言わずには居れぬ……

「イタラガヒ」不詳。現在の地方名や方言ではそれらしいものは見つからない。当初は、別種(イタヤガイ科 Pectinidae )の和名である「イタヤガヒ」(形状から板屋(根)貝)かと思ったのだが、別本を見ても「ヤ」ではなく、明らかに「ラ」であった。

「魁蛤」「本草綱目」にも載るが、「魁」は中国古代の柄杓の一種を指す。膨らみが厚く貝柄杓には確かに持ってこいではある。但し、私は「本草綱目」の記載の色『黄白色』というのが少しだけ気にはなっている。形状の『杏仁』はよいのだが、記載の中に本種独特の血の色(他のフネガイ科科 Arcidae と同様に呼吸色素がヘモグロビンと同じく鉄ポルフィリンを補欠分子団とするエリトロクルオリンであるために血液が赤い。ここはウィキアカガイ」に拠る)の記載が出ていないからである。但し、洗浄した肉は黄白色と言ってもおかしくはない。

「補益」滋養強壮効果をいう。]

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