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2014/10/02

日本その日その日 E.S.モース(石川欣一訳) 第十五章 日本の一と冬 大小暦

M495_2

図―495

 三十一日ある月と、三十日或はそれ以下の日数の月とを指示する、奇妙な工夫を、図495で示す。これは褐色にこがした不規則形な木片で、文字は白く書いてある。第一の行の先頭には「小」さいことを示す字があり、二、四、六、九、十一なる数がそれに従う。これ等の月には三十日、或はそれ以下の日数しかない。三十一日ある月を並べた第二行には「大」を意味する漢字が先頭に立っている。底についている菌(きのこ)は熱によって僅かに褐色にした紙で出来、本物そっくりで、市場で見受けるような、小さな藁製の物に入っている。私の娘はこれに一セント半払った。

[やぶちゃん注:底本では「三十一日ある月を並べた第二行には」の「月」は「日」であるが、原文を確認してもこれが「月」の誤植(恐らくは)であることが分かったので訂した。これは大小暦(だいしょうごよみ)と呼ばれるもので、江戸時代から陰暦の月の大小(大月(三十日)・小月(二十九日))をイラスト等で工夫して表現したものがあった。単に大小と表記する場合もある。参照したウィキの「大小暦」によれば(丸括弧内も同注に従った)、『大小の表記を強調したのみの単純な物や、ある種の判じ物(パズル)の様な趣向を凝らした物もある。ただし、暦の売買は江戸幕府及び陰陽道の土御門家によって厳しく規制されていたため、専ら金品の対価を伴わない贈答品として作成されるのが一般的であった』(公認の暦師以外の個人や民間が暦を売買することは法令で禁止されていたことによる)。『太陰太陽暦では月の満ち欠けの周期』(約二十九・五日)『を元に大の月・小の月を決定するが、朔(新月の瞬間)の日付によって毎年、大小の月の配置が変わってしまう。また閏月が追加される年もあるため、暦を見ないとどの月が大の月となるかが不明となり、毎年発行されるカレンダーで確認する必要性があった。大小暦は漢数字を巧みに配した絵で大小の月を読者に知らせた』。『また、絵の他に俳句などの形式を採った語呂合わせも利用された』(俳人宝井其角が元禄一〇(一六九七)年の大小を表すために作った「大庭(は)を し ろ く は く 霜 師走かな」(二・四・六・八・九・十一・十二月が大の月)という句が残されている)『現在日本で用いられているグレゴリオ暦では小の月は固定で俗に』「西向く士(さむらい)」(二・四・六・九・十一月。十一の漢数字縦書き表記が、「士」という字に類似していることに由来する)『と言われるが、これも』元々は天保八(一八三七)年)の『大小暦を覚えるために作られた語呂合わせであ』ったとあり、また『大小絵暦の絵の部分が発展して錦絵となり、後の浮世絵の元となった』ともある。

「私の娘」イーディス( Edith Owen Morse )来日当時は十三歳。息子のジョン( John Gould Morse 同七歳)の姉である。モースは明治十一(一八七八)年四月の来日の際には(前年の来日は単身であった)エレン夫人( Ellen (“Nellie”) Elizabeth Morse )と子らを同伴している。]

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