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2014/10/05

生物學講話 丘淺次郎 第十一章 戀愛(1) 巻頭言

     第十二章 戀愛

Rennaidori_2

[戀愛鳥]

[やぶちゃん注:本図は国立国会図書館蔵の原本(同図書館「近代デジタルライブラリー」内)の画像からトリミングし、補正をしたものである。底本の図版は特に元が写真画像である時、画素が粗くなって細部が観察出来ないためである(向後はこの最後の理由である場合はこの一文は略す)。]

 

 卵と精蟲とを出遇はせる方法は實にさまざまであつて、そのため親なる動物に種々の器官の具はつて居ることは、前の章に述べた通りであるが、たゞ設備が整うて居るだけでは何の効もない。必ずこれを使用せずには我慢が出來ぬといふ極めて強い本能がこれに伴はねばならぬ。世に戀愛と名づけるものの根柢は即ちこゝに存する。この本能を滿足せしめるためには、動物は如何なる危險をも冒し、如何なる妨害にも打ち勝ち、往々命をも捨てて顧みぬが、各種族の維持繼續は、たゞこの本能の滿足によつてのみ行はれ得べきことを思へば、これも決して無理ではない。各個體がこの本能を滿足せしめるか否かは、實はその個體のみに關する問題ではなく、種族の生命が續くか絶えるかが、それによつて決するのであるから、種族にとつては實に隨一の大問題である。素より各種族の内には個體が數多くあること故、必ずしも一個一個が悉く子を殘さねば種族が斷絶するといふわけではないが、もしも各個體にこの本能が強く發達せず、隨つてこの問題に對して冷淡であつたならば、種族が忽ち絶えることは極めて明である。雌雄の間の戀愛的擧動の特に目立つ例は鳥類に數多くあるが、その中でも「いんこ」の一種で「戀愛鳥」〔セキセイインコ〕と名づけるものは雌雄が瞬時も離れず、始終接吻ばかりして居る。鳩なども雄と雌とは嘴を互に相接して舐め合て居るのを常に見掛ける。されば動物界に於けるすべての動作の原動力は、一は個體の維持を目的とする食慾、一は種族の維持を目的とする色慾であつて、追ふのも逃げるのも鬪ふのも戯れるのも必ずこの二慾のいづれかが原因となつて居る。そしてこの慾を滿足せしめねば止まぬことは、各個體の持つて生まれた本能であつて、到底長くこれを抑へることは出來ぬ。動物の擧動を見ると、恰も卵と精蟲とに操られて居る如くであるとは前に一度述べたが、雌雄の間に行はれる種々動作を通覽すると、愈々その感じが深くなり、各個體はそれぞれ自分の意志によつて活動して居る如くに見えながら、實は何物かに動かされて居るのであらうと考へざるを得ない。即ち、卵と精蟲とが種族からの依賴を受け、その維持繼續を謀るために各個體を操縱して居るかの如くに思はれる。しかし個體を離れて別に種族なるものはないから、種族の依賴と見ゆるものは、やはり各個體の神經系または原形質の構造・成分等に基づく無意識の働と見做さねばならぬが、かく論ずると、戀愛なるものの根柢は無意識の範圍に屬し、その働の意識せられる部分を戀愛と名づけて居るのであらう。本章に於いてこれから説く所は、諸種の動物に見る戀愛の有樣であるが、その中には無意識の如くに見えるものもあり、意識ある如くに見えるものもあり、その中間にあるものもあつて、判然と分けることは出來ぬ。しかし種々の違つた場合を集めて比較して見ると、抑々戀愛の始る所から、その最も著しくなる所までの進歩の筋道が幾分か察せられるであらう。

[やぶちゃん注:『「戀愛鳥」〔セキセイインコ〕』お馴染みのオウム目インコ科インコ亜科セキセイインコ属Melopsittacus undulatus が「恋愛鳥」と呼ばれていた情報を確認出来なかったが、習性記載(但し、始終ではなく求愛期にである)と図版から「セキセイインコ」とした。もし、別種若しくは亜種である場合は御教授願いたい。

「卵と精蟲とが種族からの依賴を受け、その維持繼續を謀るために各個體を操縱して居るかの如くに思はれる。しかし個體を離れて別に種族なるものはないから、種族の依賴と見ゆるものは、やはり各個體の神經系または原形質の構造・成分等に基づく無意識の働と見做さねばならぬ」以前にも述べたが、私はイギリスの生物学者クリントン・リチャード・ドーキンス(Clinton Richard Dawkins 一九四一年~)が提唱する、生物は遺伝子のヴィークル(乗り物)に過ぎないという考え方を支持するゆえに、厳密には生物の主体は個体ではなくDNAであり、生殖行為とは〈個体の持つところの基本的なDNAが自己を継承することを目的とするもの〉と言うべきであろうと考えている。ところがこの最も先鋭的ともいうべき理論と同じことを、丘先生は既に大正五(一九一六)年のここで「原形質の構造・成分等に基づく無意識の働」と述べているということに、私は驚くのである。因みにこれはワトソンとクリックによるDNAの二重螺旋構造発表(一九五三年)どころか、遺伝子の化学的本体がDNAであると認識された一九四〇年代からも、有意に前であるということに着目されたいのである。]

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