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2014/10/11

日本その日その日 E.S.モース(石川欣一訳) 第十五章 日本の一と冬 モース陶器に魅了さるる語(こと)

M502

図―502

M503

図―503

 人が如何に徐々に、そして無意識に、日本の芸術手芸品に見出される古怪な点、変畸な点を鑑賞するようになるかは、不思議である。勿論芸術家は即座にその美を見わけるし、また誰でも刀剣の鍔(つば)その他の美しい細工には、感心せずにはいられない。然し、一例として、日本人の陶器をあげると、それには写生風の模様がついていて、形は不規則で態々(わざわざ)へこませたりし、西洋人が見慣れている陶器とはまるで違うので、一体そのどこに感心してよいのやら、人には見当もつかない。だが彼をして、蒐集を開始せしめよ。若し彼が生れつきの蒐集家ならば、彼は必ず茶入その他の陶器の形態に、夢中になるであろう。私は小さな蒐集を始め、最近二つの品をそれに加えた(図502・503)。一つは醬油入れである。これは織部の赤津で、もう一つのは薩摩の土瓶である。二つともすくなくとも百五十年前のもの、或はもっと古いかも知れない。これ等を取扱っていると、実に気持がよく、そしてこのような宝物を、最も簡単な小骨董店で見出す面白さは、蒐集家の精神を持つ者のみが真に味い得るところである。骨董蒐集家にとって、日本は本当の天国である。彼はどこへ行っても、フルイ ドーグヤと呼ばれる古物商の店に、陶器、金属及漆塗の細工、籠、刀剣、刀剣具その他あらゆる種類の古物が並べてあるのを見る。人力車で過ぎる、最も小さな村にさえ、古い物を僅か集めた、この種の店は見受けられる。我国の古物商が、古い家具、古い本、古い衣類等に限って売り、骨董品を含む店は、大都市中の若干にしか無いという事実を、思い浮べぬ訳に行かない。加之(のみならず)、日本の店にある品は、僅かな例外――支那及び朝鮮から来たもの――を除いては、国産品であるが、米国にある品は、必ず欧洲かアジアから来たもので、例えばオランダのデルフト〔十四世紀の当初オランダのデルフトで創製された陶器〕、イタリーのマジョリカ〔十六世紀頃イタリー人がスペイン領マヨリカ島から持ち帰った陶器〕、ドイツの鉄細工といった具合である。我々自身の国で出来たものに、保存しておく価値を持つ品が見当らぬというのは、意味の深い事実である【*】。

 

* もっとも最近三十年間に於て、国内の芸術、工芸運動、並に多数の窯が、芸術的の陶器を産出しつつあるから、将来の骨董店は、「米国製」の芸術品を持つようになるであろう。

[やぶちゃん注:「織部の赤津」原文“Akatsu, Oribe;”。現在は赤津焼(あかづやき)と濁るのが正しい。瀬戸焼の内で瀬戸市街の東方にある赤津地区で焼かれる焼物をいう。参照したウィキ赤津焼」によれば、『瀬戸窯とともに発展した窯で平安時代の開窯とされ、当地には室町時代の窯跡である小長曽陶器窯跡が残る。戦国時代、瀬戸では「瀬戸山離散」と呼称される窯屋の急激な減少が発生し、多くの窯が美濃地方に移った』。慶長一五(一六一〇)年)になって『尾張藩初代藩主・徳川義直が当時の赤津村に陶工を集めて瀬戸窯の復興を図った(窯屋呼び戻し)と言われていたが、近年では現存する資料から徳川家康が名古屋開府に合わせて窯屋を呼び戻したものとされている』。また、元和二(一六一六)年には名古屋城に赤津から陶工を呼び、御深井丸に窯を築いた。これは明治四(一八七一)年の廃藩置県に伴い、廃止されたが「尾州御庭焼」として知られており、『この御庭焼への出仕を通じてそれまでの赤津焼には無かった安南風の呉須絵の技術が陳元贇より伝えられ、現在では「御深井釉」と呼ばれている』。文化四(一八〇七)年、『加藤民吉によって瀬戸に磁器の製法が導入されたが赤津では定着せず、現在に至るまで陶器を主体としている』。七種の『釉薬(灰釉・鉄釉・古瀬戸釉・黄瀬戸釉・志野釉・織部釉・御深井釉)と』十二種類の『装飾技法が今に伝わ』るとある。

「薩摩」ウィキ薩摩焼より引く。『鹿児島県内で焼かれる陶磁器で、竪野系、龍門司系、苗代川系がある。主な窯場は姶良市の龍門司窯、日置市(旧東市来町)の苗代川窯、鹿児島市の長太郎窯など。「白もん」と呼ばれる豪華絢爛な色絵錦手の磁器と「黒もん」と呼ばれる大衆向けの雑器に分かれる。初期の薩摩焼においては豊臣秀吉の文禄・慶長の役の際に、捕虜として連行されてきた朝鮮人が島津義弘の保護の下に発展させた』。以下の種類がある。

   《引用開始》

白薩摩(白もん)

日置市の旧東市来町の美山にある苗代川窯で焼かれていた陶器。藩主向けの御用窯で、金、赤、緑、紫、黄など華美な絵付を行った豪華絢爛な色絵錦手が主である。元々は苗代川焼と呼ばれ、薩摩焼とは名称を異にしていた。

黒薩摩(黒もん)

白薩摩に対して、大衆用の日用雑器として焼かれていた陶器で、鉄分含有量が多い土を用いるため、黒くなる。特に、黒ヂョカ(茶家)と呼ばれる素朴な土瓶は、焼酎を飲むときに用いられる。

   《引用終了》

これ以外に、「京薩摩」「横浜薩摩」といって、『幕末から明治初期に掛けての京都で、欧米への輸出用に、より伝統的な日本のデザインを意識し、絵付けされた京薩摩が作られた。横浜や東京で絵付けされ、横浜港から輸出されたものは横浜薩摩と呼ばれた』とある。

「フルイ ドーグヤ」原文は“furui doguya”。底本では直下に石川氏の『〔古道具屋〕』と云う割注が入る。]

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