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2014/11/30

耳嚢 巻之九 剛勇伏狐祟事

 剛勇伏狐祟事

 

 小笠原官次郎は、帶佩(たいはい)の家、弓術の家筋なり。或年伊勢へ代拜として家來兩人差立(さしたて)しに、右家來、東海道三遠(さんゑん)の内、宿場も聞(きき)しが忘れたり、旅籠屋に一宿して湯など遣ひ食事仕廻(しま)ひしに、亭主出(いで)て願(ねがひ)ある由申しけるゆゑ、いかなる願やと尋(たづね)しに、御先觸(おんさきぶれ)にて見候得(みさふらえ)ば小笠原家の御内(おみうち)の由、御家は弓術の御名も高ければ願ひ奉るにて候、私娘二三ケ年野狐に付(つか)れ相惱み候、醫藥祈禱手を盡し候得共しるしなし、何卒鳴弦蟇目(めいげんひきめ)の御術(おんわざ)にて落し給(たまは)り候得と深切に願ひければ、兩人存(ぞんじ)の外の願ひ、素より射術の家に仕ふれども、弓を射し事もなき程なれば大(おほい)に難澁せしが、右の内壹人申けるは、我等を見懸けての賴みいなむべきやうなし、二三年もつき居る野狐なれば卒尓(そつじ)の事にては退散覺束なし、得(とく)と考(かんがへ)て可答旨申(こたふべきむねまうし)、さて一間に入りしが、今一人の男、御身は何を以て請合(うけあ)ひ給ふや、御身我等とも弓術の家に仕ふとはいへども、我は弓を射し事もなしと申ければ、我に任せ、我(わが)申し付る通りいたさるべしと申付(まうしつけ)、さて其身は兩人とも水をあび麻上下(あさがみしも)を着して、彼(かの)壹人の者にいふやう、我等射術の家に仕へ弓射るすべしらずと答へば、我々のみにあらず主人の恥辱、天下の恥なり、誠に一生懸命の所なり、我等は生きて歸る心なしとはげまし、さて弓具を持出(もちいだ)しけるゆゑ、是を見るに、かけ釣の弓矢か、又は奉納の弓矢にや、獵師の弓矢なるや、亭主差出(さしいだ)しければ、さらば病床へ案内あれとて、右狐付を引据ゑ置(おき)、諸肌を拔(ぬき)て彼弓に大雁股(おほかりまた)の矢をつがひ、病人に向ひ大いに罵しりて云やう、畜類の身分、人間の體に宿をかり、殊に女の身分をなやます事不埒至極なり、最愛の娘なれども、是(これ)まで手を盡したるうへは死すとも不悔(くひず)と親々も申(まうし)なれば、我(われ)今此雁股を以て射殺すなり、覺悟せよと申ければ、病人大(おほい)に歎き、眞平(まつぴら)ゆるし給へ、最早立退(たちのく)なりと震ひわなゝき詫(わび)けるゆゑ、しからば只今立去(たちさ)るべしといふと、とらへ居(ゐ)し人を震(ふり)はなし、表の方へ駈出(かけい)で戸口に倒れけるゆゑ、介抱して水などそゝぎければ、息出(いで)て本性と成(なり)しとなり。今一人の男、だんだん樣子を尋ねければ、我等主人の恥、武備のおとろへと思へば、死を決し、彼を射殺す心なりと、語りしと也。

 

□やぶちゃん注

○前項連関:妖狐譚二連発。

・「剛勇伏狐祟事」「剛勇(がうゆう)、狐祟(こすい)を伏する事」と読む。

・「小笠原官次郎」底本鈴木氏注に、『三村翁「小笠原館次郎神田橋外にて高七百八十五石なり』とあえい、岩波長谷川氏注に、同人として『小笠原持齢(もちとし)。射礼師範の家。天明六年(一七八六)小性組番士』とある。ネットを調べると、川勝隆安甥の小笠原館次郎とあって小学館「日本大百科全書」の「小笠原流」に、京都小笠原家の系統を記す中で、六郎播磨入道康広が『徳川家康に仕え、縫殿助(ぬいどののすけ)を号して長房、持真、持広、持賢、持易(もちかね)、持齢(もちとし)』と続き、歴代七百八十五石の旗本として『射礼師範、先手弓頭を勤め、幕末の鐘次郎の代に講武所弓術師範役を勤め明治維新に至った』とある。因みに「卷之九」の執筆推定下限は文化六(一八〇九)年夏である。

・「帶佩」本義は太刀甲冑などを身に帯びることをいうが、転じて能・舞楽・武術などの型や作法の意となった。ここでは小笠原流弓術特有の型や作法を指す。

・「三遠」三河国と遠江国。

・「先觸」公家や武家の公用旅行に於いて、前以って宿駅に立ち寄った際の手配を指示した命令書。

・「鳴弦」弦打(つるうち)ともいう。弓に矢を番えずに張った弦を手で強く引き鳴らす古式作法。その発する音によって妖魔を退散させ、邪気や穢れを祓うと考えられた。

・「蟇目」朴(ほお)又は桐製の大形の鏑(かぶら)矢。犬追物(いぬおうもの)・笠懸けなどに於いて射る対象を傷つけないようにするために用いた矢の先が鈍体となったもの。矢先の本体には数個の穴が開けられてあって、射た際にこの穴から空気が入って音を発するところから、妖魔を退散させるとも考えられた。呼称は、射た際に音を響かせることに由来する「響目(ひびきめ)」の略とも、鏑の穴の形が蟇の目に似ているからともいう。

・「卒尓(そつじ)」の読みは底本のもの。卒爾・率爾。①予期せぬことが突然起こること。俄か。②注意や思慮を欠くこと。軽率。③失礼な行いをすること。無礼。ここは表面上は俄かのこと、軽率な仕儀の意である。しかし読む者にとっては実は、軽率に成すことによって特に小笠原流弓術を伝える主家に対する礼節を欠くこととなっては、の話者の本心にある虞れをも読み解くと厚みが出るように思われる。

・「得(とく)と」の読みは底本のもの。

・「かけ釣」岩波のカリフォルニア大学バークレー校版では「かけ的」とあり、これだと「賭け的」庶民の遊びで物を賭けて的を射ること賭博用のキッチュな弓というニュアンスになって、話柄を面白くするに相応しい。これで訳した。

・「大雁股」「雁股」は鏃(やじり)の一種で、先が二股に分かれていて内側に刃がついているもの。飛ぶ鳥や狐などの走る獣の足を射切るのに用いた。その大型の鏃である。

・「震はなし」底本では右にママ注記。岩波のカリフォルニア大学バークレー校版では「震放し」で長谷川氏は「ふりはなし」と読んでいる。「振り放し」で訳した。

 

■やぶちゃん現代語訳

 

 剛勇が狐の祟りを調伏せし事

 

 小笠原官次郎(かんじろう)殿は、正統の小笠原流弓術を伝える家柄にて御座る。

 ある年のこと、主家の礼式とて、伊勢神宮への参詣の代参として御家来衆の内、二人を伊勢へお遣わしになられた。

 この家来衆が――東海道の三河であったか遠江(とおとうみ)であったか、その宿場の名も聴いて御座ったが失念致いた――とある旅籠(はたご)に一宿し、湯なんども浴び、食事も終わって寛いで御座ったところ、その宿の亭主が出て参って、

「……実は……一つ、お願い申し上げたき儀の、これ、御座いまする……」

と申したれば、

「……?……こんな我らに……何の願いの御座る?……」

と訊ねたところが、

「……御先触(おんさきぶれ)を拝見致いておりますれば……あなた方は、これ、かの小笠原家の御内(おみうち)との由……小笠原様は弓術の御名(おんな)も高(たこ)う御座いまする名家(めいか)なればこそ……たって、お願い申し上げ奉りたく存じまする。……私、娘、これ、二、三年このかた、野狐(やこ)に憑りつかれ、ひどぅ悩ませられて御座いまする。……医薬や祈禱、手を尽くして施して見ましたれど、一向に験(しるし)なく……ほとほと参って御座いまする。……されば何卒! 鳴弦(めいげん)・蟇目(ひきめ)の御術(おんわざ)を以って、この憑きたる妖狐を、どうか、落し給わりまするよう、お願い申し上ぐるので御座いまする!……」

切に願うのであった。

 両人にとっては寝耳に水、慮外の願い――もとより射術の家に仕えてはおるものの――彼らは二人とも――弓なんどを射し事、これ、一度たりとも――御座ない――。

 さればこそ、内心、大いに難渋致いて御座ったが、かのうちの一人が申すことには、

「……我らを――小笠原流正統の――弓達者の家の――家来――と見込んでの、その方の頼み、これ、断りようも御座ない。……二、三年にも亙って憑き居る野狐なれば、そう簡単には、退散、これ、覚束なきことじゃ。……とくと、策を考え、お答え申すことと致そう。あい、待たれよ。……」

と答え、二人して取り敢えず主人の導い客間へと入った。

 主人が席を外すと同時に、今一人の男は、

「……御身は何を以ってか、あんな申し入れを断らずに、請け合(お)うてしまわれた?!……御身も我らも、ともに弓術の家に仕える身とはいえど……少なくとも我らは……弓なんど、射しこと、これ、一度も御座らぬぞ!……どうさるるお積りじゃ?」

と焦って難じたところが、相手は、

「……我らにお任せあれ。……これより我らが申しつくる通りに、これ、なさるれば、よろしい。……」

と意を含める。

 さてもその後(のち)、主人に命じ、その身両人とも、井戸側(がわ)に於いて潔斎(けっさい)の水を浴び、伊勢参拝に予め持参致いて御座った麻上下(あさがみしも)を着した。

 そうして請けがった方の男は、連れに、

「……我ら射術の家に仕えて弓射る術(すべ)を知らぬなんどと答えたれば、これは我々のみならず、我らが主人の恥辱。いやさ、天下の恥じゃ! ここはまっこと、一生懸命の正念場で御座る!……我らは、これを成さずんば……生きて江戸へ帰参致す所存、これ、御座ない!――」

ときっぱりと述べた。

 連れの男はあまりの謂いに足が震えたが、ともかくも男の言に従うことと致いた。

 さて、主人が参って弓具を持ち出したを、見てみれば……これ……

……賭け的(まと)にでも遣おうものか……

……または……田舎の奉納の破魔矢(はまや)か……

……はたまた……賤しき猟師の用うる弓矢なるか……

……ともかくも……如何にもな、しょぼくれた弓矢を、亭主は差し出だいて御座ったのであった。

 しかし、

「――さらば――病床へ案内(あない)あれ――」

と告げ、家内の男衆とともに娘の部屋へと向かう。

 部屋の真ん中にその狐憑きの娘ごを引き据えおくと、やおら、諸肌脱いで、かの子供だましのようなる弓に、大雁股(おおかりまた)の矢を番え、病人に向って、

「畜類の分際にて! 人の体(からだ)に押し入ってその宿を借り――ことにか弱き女の身を、かくも無惨に悩ますこと――これ、不埒千万!――最愛の娘なれども――これほどまでに手を尽したるうえは死すとも悔いぬ!――と父母も申しておればこそ! 我ら! 今! この雁股を以って妖狐を射殺そうぞッ! 覺悟せよッツ!」

と、大きに罵しり喚(お)めいた!

 と!

 病人はこれ、大きに泣きじゃくりだし、

「……マッピラ!……ドウカ!……オユルシ下サリマセェ!……早速ニ……立チ退キ致シマスヨッテェ!……」

と全身、ぶるぶると、ふるわせつつ、頻りに詫びを入るればこそ、

「――然らば! 本日只今! この場にて立ち去れいッツ!!」

と呼ばわったところが、娘は、据え押しとどめておったる家人らの手を振りほどき、表の方へと駈け出でたかと思うと、

――パッタリ!

旅籠屋の戸口のところで、失神致いて倒れてしもうた。

 されば、介抱して水なんどを注ぎかけたところ、息を吹き返し、すっかり正気を取り戻して御座った。

 

 それより、旅籠屋主人(あるじ)の指し出だいたる手厚き謝礼をも断り、二人は早々に伊勢へと向かった。
 しばらく行って後のこと、連れの一人が、

「……いや……そろそろ話しても、よかろうが。……我ら、どうなるかと……気を揉んで御座ったぁ……」

と水を向けると、妖狐退治の英雄は、

「……いや……我らが主人の恥……加えて我ら武士なれども、武備の衰えなんどと、かの者らに思われては、これ、面目が立たんと、ちょいと思うたに過ぎん。……まあ、お前さんにとっては迷惑……また、信じもせまいが……実は……いざとなったら――死ぬ覚悟を以って――ほんに――かの娘を射殺さんずる決心にて――弓を――引き絞って御座った……」

と語ったと申す。

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