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2014/11/02

耳嚢 巻之九 救人命取計に手段ある男の事

 救人命取計に手段ある男の事

 

 本所邊に住居せるおのこの由、夜分隅田川邊より歸る道にて、いかにも不賤(いやしからざる)女のおとろへたるが先へ立行(たちゆく)に、跡になり先になりしが、夜にも入(いる)に何とも不審はれがたきゆゑ、いかなる女なりと尋(たづね)しかば、われらは何町誰(だが)妻なるが、夫の身持(みもち)よろしからず殊に此者へ對しなさけなき事、云(いは)ん方なし、されば迚離緣して親へ歸らんにも、親元も歸りがたき子細あれば、人の見ざる所にて身をなげ死(しな)んと爰元(ここもと)まで來りしといふゆゑ、夫は不了簡なり、かゝる事も世に有(ある)ならひなれば死するには及ぶまじ、先(まづ)我(わが)元へ來り給へと教諭(をしへさとし)なしければ、奉公にてもいたし世にあらんは望(のぞむ)所なれども、夫(それ)とても世話する者なく、能きに取(とり)計ひ給はれと申(まうす)ゆゑ、しからば我(わが)跡に付き來るべしといふて先へ立(たて)、あづま橋を渡りて土手通(どてどほ)り吉原町へ至り、大門(おほもん)を入りて、とある所に彼(かの)女を待(また)せ、我等は宿元(やどもと)へ先へ行きて、夫々家内へも申聞(まうしきけ)、むかひに可參(まゐるべき)間暫く待(まつ)べき旨申(まうし)て立分(たちわか)れしが、夜ふくれども彼(かの)者不來(こず)。其内に町内の者亦(また)女を見付け、いづ方の者やと尋けれど不答(こたへず)、人を待つ者なりとのみ申(まうし)けれど、切に尋ねければ、しかじかの由答えけるゆゑ、其男の名、格(かく)かう尋(たづね)けれど一向心當りなければ、いたし方なく吉原町より、あくる日人を付て彼の親元へ送り屆けると也。大門を夜る女を不出(いださず)。繁花(はんくわ)の町故、右女子を爲待置(またせおき)いづれからか引(ひき)はづして、吉原町の者に世話やかせて人命をすくひたる趣向、能(よき)工夫なりとやいはん。

 

□やぶちゃん注

○前項連関:なし。結果として見ると、思ったほどの奇計とは見えぬが、女の立場や、客観的な映像として想起してみると、これ、実は、なかなか面白く、またその手段も巧妙である。ともかくも、彼女の逢った男が真正の女衒(ぜげん)でなく、かくも誠実な知恵者であってまっこと、よかったというのが本当のオチというべきか。なお、訳で用いた「吉原会所(かいしょ)」というのは、吉原内に置かれた独自の自警組織で主に遊女の脱走や御法度の相対死(あいたいじに:心中。)を監視した組織である。四郎兵衛会所と言い、代々名主は四郎兵衛を名乗った。

・「救人命取計」「人命を救ふ取り計らひ」と読む。

・「不賤女」相応の町家の大店の娘か何かが駆け落ちしたものか。

・「あづま橋」浅草直近の隅田川に架かる橋。西岸は台東区雷門二丁目及び花川戸一丁目を分かち、東岸は墨田区吾妻橋一丁目。創架は安永三(一七七四)年で、それまでは「竹町の渡し」と呼ばれた渡し舟があった。江戸時代に隅田川に架橋された五つの橋の中で最後に架橋された橋である。古くは「大川橋」と呼んだ(ウィキの「吾妻橋」に拠る)。因みに「卷之九」の執筆推定下限は文化六(一八〇九)年夏。

・「土手通り」吾妻橋を西に渡って大川沿いに少し遡ると待乳山聖天で西折れて吉原方向へ向かう水路(ここでは山野堀と呼ばれた)があり、その包みを土手通り、日本堤と呼んだ。吉原へのメイン・ストリート(山野堀を舟で行くのが通とされた)あった。

 

■やぶちゃん現代語訳

 

 人命を救うための取り計らい方になかなか味な手段を用いたる男の事

 

 本所辺りに住まいする男の由。

 夜分、隅田川辺りより帰るさの道にて、如何にも賤しからざる、まあ、相応の身分の女で、ひどく憔悴して見えたる女が、かの男の前の方(かた)に見えたが、それとのぅ追い越してはみたものの、何やらん、妙に気になって、歩みを緩めたれば、女はかの男の後になり、また、先にもなって行くので御座ったが、これ、やはり、尋常なる様子とも見えぬ。最早、夜(よる)も遅くになりつつあるに、この女の挙措動作、如何にも不審、腑に落ちなんだによって、

「――そなた――如何なる女なるか?」

と誰何(すいか)致いた。

 すると、

「……妾(われ)らは……何町の誰(たれ)それが者の妻にて御座いまするが……夫(おっと)の身持ち……これ……よろしからず御座いまして……ことに……私への酷(むご)き仕打ち……これ……言いようも御座いませぬ。……さればとて……離縁致いて親元へ帰らんにも……これ……少し……帰り難き子細も御座いますればこそ……いっそ……人気なきところにても……身を投げ……死なんものと……こんなところまで……ふらふらと参ってしもうたので御座いまする……」

と申したによって、

「それは考え違いも甚だしいというものじゃ! そなたの味おうておるのと似たようなることは、これ、世の何処(いずく)にもあるものじゃ! 死するには及ばぬこと――そうさ、まずは――どうじゃ? 拙者が屋敷へ奉公人として参られては如何(いかが)?」

と、これまた思いつきの教え諭しなんどを致いたところが、女は、

「……如何なる奉公をも致し……ともかくも死を一等免れて身一つにても生計(たつき)を立つることの出来ましならばとは……これ……望むところのもので御座いましたれど……それとても世間知らずの者なれば……そうした差配のお世話を致いて下さる者とて……我らの近くには御座いませなんだ……どうか……よろしければ……よきに取り計ろうて下さいませ……」

と申したによって、

「――しからば――我らが後について来られよ。」

とぴしりと申すと、女を先へ立てて、吾妻橋を渡り、土手通りから吉原町へと、これ一気に至り、大門(おおもん)をざっと入ってしもうた。

 かくして、とある灯しのある、仲店の路傍の床几に、かの女を座らせると、

「さて――安心召されい。――我ら、これよりまず、我が屋敷と先に参り、この度のそなたとの邂逅、そなたの身の上、その一部始終子細に附き、これいちいち、家中の者ども一人ひとりへ申し聞かしたる上――直ぐに迎えに参ろうと存ずる間、ここにて暫く、待っておらるるがよろしい。――ここは廓内なればこそ、却って怪しき者のそなたを襲う惧れもない。さればここへと連れ参って御座った。安心して、待たらっしゃい!」

と、当然、素人女の来たこともなき吉原の内なることをば、まずは安堵させた上、かく申して、たち別れて御座ったと申す。

 ところが……

……夜もとっぷりと更けて参る……

 然れども

……かの男は、これ、一向に参らぬ……

 そのうち、吉原四郎兵衛会所(かいしょ)の者が、深夜にも拘らず、何するでものぅぼんやり坐っておる、これまた如何にもな、素人女のおるを見咎め、

「……お女中は……何処(いづこ)のお方で?」

と質いたれど、これ、一向に答えず、ただただ、

「……人を待つておる者にて御座います……」

と繰り返し申すばかり。怪しく思うて、

「お前さんねぇ! こかぁは、吉原なんでござんすよ! あんたは誰を待ってるって、言うですかぃ!?」

と強く糺いたところが、

「……実は……」

と、男と出逢(お)うた一部始終を、かくかくしかじかと語ったによって、

「……そんじゃね、まずは、その男の名前は?――何? よく知りません?!……そ、そんじゃ、その御仁の恰好は!?……」

と訊ねてみても、

「……そう、刀をお差しなっておられました……」

ときた。しつこく聴いてみても、夜のこととて、女もよう男の様子を覚えておらず、今一つこれといった特徴のある男でもない。さればこそ、一向、埒が明かぬ。

 結局、そのお武家らしき男は勿論のこと、その女自身も、会所の連中の中には見覚えのある者は御座らなんだ。

 されば、今、住まうところや夫の姓名なんぞを聴き出そうとしてみても、何故かこれ、やはり、一向に答えようとはせぬ。やっとのことで聴き出だいたは、女の実家で、これがまあ、会所の者も知れる、江戸近隣の相応の商家では御座った。

 会所名主の四郎兵衛は、仕方なく、明くる日、日がすっかり昇ってから、出入り商人を呼んで頼み、女の実家の者が不審に思わぬような人物をわざわざ選んで、一緒につけ、その女の親元へと吉原より送り届けたと、申す。

   *

 吉原にては、昼は注意致すが、特に夜には大門から女を出だすことは御座らぬ。

 文字通りの繁華の町なればこそ、夜っぴいて安心して女を待たせておくことも出来ると申そうず。

 しかも命を絶とうとする女にとって吉原は――その手段とするものから最も完璧に遮断されてある特殊な世界――で御座る。

 そこにかの自殺志願の女を置きとどめ、しかも吉原町の者どもに、面倒なる聴き取りや探索、はたまた、最後の世話まで焼かせて、しかも、確かに人命を救ったる、その趣向――

……いや、この話を聴いたある御仁、

「いや! これ、まっこと、上手き工夫ではないか!」

と、膝を叩いたとか叩かなかったとか……♪ふふふ♪……

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