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2014/11/09

明恵上人夢記 44

44

一、同十二月中旬、夢に云はく、蜈(むかで)懷中に入ると云々。又、一卷の書に縈(まつは)りて緣の下に入ると云々。其の中に小さき樹の枝の生ひたるに、之に糟(かす)等を塗りて、□如く置きて充滿せりと云々。又、何處よりぞと思しくて、長持を持ちて來れり。心に思ふ、是、寶樓閣之曼荼羅を人之許より取りて來る也と云々。

[やぶちゃん注:この夢、短い乍ら、意味がとりにくい。まず「云々」「又」の語法から、これは全部で三つから構成された夢と考えるべきであろう。実際には、三つの夢は一連のストーリーの中で展開していた可能性も私は高いように感じるが、明恵自身がその連関性を記憶していない(特に第二夢」では「云々」と中間部の記憶が有意に欠落していると考えるべきである)ことがこれらの語法の多様からも推察出来るように思われる。にしても第二の夢がよく分からない。酒糟が生木の枝に塗りつけられてある(若しくは塗りつける)という行為が、何か当時のプラグマティックな意味を持っていたものかどうかがまず不分明で(前に蜈蚣が出ることからこれは何かの昆虫類を誘引するためのものかと当初は思ったが、断絶した独立の夢として明恵が記している以上、そうした解読は無理がある)、しかも判読不能の文字が「如く」に繋がり、「充滿」する何かの対象を差しているのではないと思われること、そうすると「置きて」も「充滿せ」るも、孰れもその目的語がいささか不確かになる。しかし明恵はこの短文を特に難解に書いているようにはまた見受けられないので、取り敢えず、「充滿」するのは糟をまんべんなく塗られた小いさな樹の枝が縦横無尽に伸び、それが縁の下に何者かによって「置」かれて(植えられて)あるように生えている光景と読んでおいた。

「同十二月中旬」建永元(一二〇六)年十二月中旬。栂尾に参って住するようになった十一月二十七日から半月余りの後である。

「寶樓閣」宝楼閣経法。既注であるが再注する。諸尊が住む楼閣を讃え、その陀羅尼の功徳を説いた唐の不空訳になる「宝楼閣経」(ほうろうかくきょう。正式には「大宝広博楼閣善住秘密陀羅尼経」という)三巻に拠って滅罪・息災・増益などを祈る修法をいう(中経出版「世界宗教用語大事典」に拠った)。底本の先の「17」夢の注に、『釈迦如来のいる楼閣を中央に描いた曼陀羅を掛けて行う』とある。]

 

■やぶちゃん現代語訳

44

一、同十二月中旬に見た、その最初の夢。

「百足が私の懐の中へと入って来る。……」

また、続く第二の夢。

「私は一巻の仏書に関わる理由から本寺の縁の下へと入ってゆく。……するとその本堂本尊の丁度、真下にあたる地面に小さな樹が枝を四方へと伸ばして生えているのであったが、これはその枝に万遍なく酒糟などが念入りに塗られてあって、まるで□の如くに、そこに植えられてあり、その酒糟をたっぷりとつけた枝々は四方に伸びて縁の下にびっちりと充満しているのであった。……」

また、続く三番目の夢。

「何処(いずこ)より持ち込まれたものかと訝しく思うところの、長持ちが、本堂に持ち込まれて置かれてある。それを見ながら心の中で、『これは、宝楼閣の修法に欠かせぬ曼荼羅を、とある人の元から取り上げ、ここへと運んできたものだな』と何か至極落ち着いて納得している私がいるのである。……」

 

[やぶちゃん補説:この夢は一つ一つが短いために、それぞれの夢を解釈することは難しい。河合隼雄氏の「明惠 夢に生きる」では、「43」夢の「糞穢」の山と並列させ、百足が懐に入るのを「汚れ」と捉え、明恵の高山寺入山に際して経験した相当な世俗的負荷としてそれらを解釈し、『人間が真に宗教的に生きようとするとき、清く美しいもののみでなく、必ず汚くおぞましいものと対面しなくてはならなくてはならないのではなかろうか』(太字は底本では傍点「ヽ」)という如何にもユング派らしい解釈をされておられる。

 しかしどうも私には、失礼を承知で言えば極めて短絡的なこの触穢のシンボル解釈が腑に落ちないのである(既に「43」夢の糞の山の解釈も河合氏とは自ずと異なる訳を私はしている)。夢を表面でなぞったところの解釈として「糞」や「蜈」がネガティヴなものであることは、これ、当たり前である(当たり前であることを軽蔑するものではない。かつてのフロイトの夢解釈にはその引き倒しのような形で汎性象徴が語られるという図式が有意に顕在的であった)。

 しかし乍ら、それらを敢えて夢として記述したくなるというのは、そこにもっと積極的な意味を見出し得ると記載者本人が感じたからに他ならない。これは少なくとも凡愚の私にとってさえそうであるし、ユングなどより遙かに高みをつらまえた象徴性や予知性共時性を夢に認めていた明恵にあっては有意にその方向で解釈されねばならないとさえ私は考えている(但し、河合氏の基本的なスタンス自体もそこにあることは周知の上で、敢えて私はこの箇所に就いて反論しているのである)。そこで言う「積極的意味」とは、例えば河合氏の述べられるような、一種の――乗り越えられるべき現世的試練の象徴――であっても無論、構わないのである。構わないが、それこそ寧ろ、ユング派であるならば、「糞」と「蜈」にフロイト的な隠微陰性の象徴性を感ずるよりは、積極的なパラドキシャルな意義(神聖)を見出しても問題はないはずである、否、寧ろそれこそがユング派の真骨頂であろうと私は心得ているのである。

 そうした観点からこの「44」夢の一見おぞましい細部を再度見てみようではないか。しかも、このそれぞれが解釈に堪えるにはあまりに短いと思われるが故に、敢えてこの三つの夢にある共通したネガティヴに見える要素としてあるそれらを抽出し、連関させて考えてみたいのである。

 それは

「明恵の懐に入るおぞましい百足」

であり、

「糟を塗って縁の下に枝を充満させる奇体な樹」

であり、

「他人が所持していたものを無理矢理奪取し、ここへと持ち込まれてある長持ち」

という三つのシンボルである。

 ユングは錬金術の象徴性に強く惹かれたが、百足はまさに本邦のフォークロアの世界では錬金と関連する。山中の鉱脈やタタラ精錬とは、その環境や形態等が節足動物門多足亜門ムカデ上綱唇脚(ムカデ)綱 Chilopoda と極めて親和性を持っていると言ってよい。「和漢三才図会」の「蜈蚣」(巻五十四 湿生部)の項には、『蜈蚣者毘沙門天之使也不知其所由』(蜈蚣は毘沙門天の使ひなり。其の由る所を知らず)とあるように、この毘沙門天(=多聞天)は強力な富をもたらす神、宝玉と金の神として古来より信仰されてきた。例えば、まさに鉱山と百足との関係性を考察した若尾五雄氏の「黄金と百足・鉱山民俗学への道」(人文書院一九九四年刊)などを元に、百足と坑道坑脚との類似性などについて考証した分須求米ムカデと鉱山民俗学の本をとりよせたら」という記事が頗る参考になる。『毘沙門天の原型は、インドの神様クベーラ(KUBERA)という財宝神だ。北方を支配し、民に富をあたえるので大人気。いつも宝石を身につけ、金の壺(鞄)を持っている』。『棍棒ももっているが、これは防御のためでなくて、地下にうまる宝をほりだすためらしい。仏教にとりいえられて、四天王の一つ、北方を守護するになる。クベーラを継承した、財宝の神として、毘沙門は四天王の中では一番の人気者に。中国の民間信仰でも、右手に傘、左手に銀のネズミをもった姿の毘沙門天は四天王の枠をこえて、信仰された。毘沙門がゆくところ、お金がばらまかれると。四天王が日本にはいったのは、飛鳥時代。聖徳太子の肝いりだった』。『毘沙門は、1)仏教信仰として、寺院に四天王の一つ、守護神としてつたわり、2)民間の信仰としては、財宝神(伎楽の「呉公」)としてつたわった、のではないか。呉公は、青緑の顔をしているが、毘沙門もまた、体が緑と、符合している。ムカデの化身である財宝神の呉公と、仏教の毘沙門天とが日本でもう一度融合するにあたって、ムカデが毘沙門の使い、という形をとって一体化したのだろう。そして、ムカデの背後には、橋つくり、坑道つくりの呉の土木技術があったと』(以下、若尾氏の坑脚と百足の類似性を語る箇所が画像で紹介されてある)。即ち、ここで私が言いたいのは、明恵の懐に這い入って来るのは「おぞましい毒虫としての蜈蚣」などではなく、仏法の七宝の筆頭たる「金のシンボルとしての蜈蚣」ではなかったか? ということなのである。

 すると第二の夢の曰く言い難い、寺の縁の下の奇体な「充満する樹の枝の群れ」が、私には実にスムースに腑に落ちたのである。肌色の強い光沢(つや)を持った酒「糟」を厚く塗った、細かに分岐した奇体なる樹木の枝が、仏のあらせられるその地の底から生えているのである。それはまさに「気持ちの悪いぐにゃぐにゃと分岐した変な枝を茂らせた樹」などではなく、「仏法の七宝の一つである美しい艶を持った驚くべき形象で枝を分枝させた美しい珊瑚樹」そのものなのではあるまいか?(因みに、この判読不能の字はもしかすると「珊」か「瑚」なのではなかろうか? 原物をご覧になられた方、如何であろう?)

 さすれば、第三夢の「他人の持っていた、宝楼閣修法に用いる曼荼羅が入っている長持ち」というのも見え方が違ってくる。長持ちは必需品としての衣類丁度は勿論のこと、曼荼羅が入っているように、先の真の仏法の宝たる金や珊瑚、七宝を入れるべきもの、転じて真正の仏法の象徴物として在るといって問題あるまい。しかも、これが「長持ち」であること、「何處よりぞ」「持ちて來れり」「人之許より取りて來る也」という執拗に畳み掛けた表現に着目するならば、「長持ち」のもう一つの属性に気づく。「長持ち」とはまさに「嫁入り道具」を最も代表する一つであるということである。ここには真の仏法の「花嫁」が来嫁すべき真の婿たる明恵の元へと来駕しているという象徴が示されているのではあるまいか? しかもそのことを明恵は至極当然のこととして受け取っている(という風に私はとうに確信犯で現代語訳したのであるが)のである。そもそもが、この末尾の「心に思ふ、是、寶樓閣之曼荼羅を人之許より取りて來る也」という、何だか妙にくどくどしい謂い方は、無論、不満不服でも、言い訳でもない。実は、秘かな『ここにこそ、この長持ち=嫁御は在るべきである』という強い確信に満ちた明恵の自負表現が、いささかの衒いとともに現れたものなのだと私は読むのである。――それはあたかも、錬金術に於ける不完全なる男女の完全なる神聖なる結合によって、ラピス・フィロソフイウム(賢者の石)=明恵にとっての真の仏法の在り方への到達、という「金」や「珊瑚」が生ずるような予兆として――である。

 私は正直、このトンデモ夢解釈に自信があるのだ。何の自信か、だって? そんなの決まってるさ、識者や心理学者やアカデミズムなんぞじゃあ、ない――この夢を見た明恵自身がきっと納得してくれるであろうという――意味に於いての「自信」だよ。]

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