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2014/11/24

芭蕉翁終焉記 其角 (前)――芭蕉の末期の病床にシンクロして――

さあ、続けよう――



芭蕉翁終焉記   其角

 

[やぶちゃん注:宝井其角が元禄七(一六九四)年に出した芭蕉追善集「枯尾花」の一節。底本は小宮豊隆校訂「芭蕉臨終記 花屋日記」(昭和一〇(一九三五)年岩波文庫刊)の「附錄の一」を用いた。踊り字は「〱」「〲」は正字若しくは「々」に代えた。ポイント落ち割注は〔 〕同ポイントで出した。]

 

芭蕉翁終焉記

 

 はなやかなる春は、かしら重くまなこ濁りて心うし。泉石冷々たる納涼の地は、殊に濕氣をうけて夜もねられず、朝むつけたり。秋はたゞかなしびを添て、腸をつかむばかり也。ともかくもならでや雪のかれ尾花と、無常閉關の折々は、とぶらふ人も便なく立歸て、今年就中老衰なりと歎あへり。抑此翁、孤獨貧窮にして、德業にとめること無量なり。二千餘人の門葉、邊遠ひとつに合信する因と緣との不可思議、いかにとも勘破しがたし。天和三年の冬、深川の草庵急火にかこまれ、潮にひたり苫をかづきて、煙のうちに生のびけん、是ぞ玉の緒のはかなき初め也。爰に猶如火宅の變を悟り無所住の心を發して、其次の年夏の半に甲斐が根にくらして、富士の雪のみつれなければと、それより三更月下入無我といひけん、昔の跡に立歸りおはしければ、人々うれしくて、燒原の舊草に庵をむすび、しばしも心とどまる詠にもとて、一かぶの芭蕉を植たり。雨中吟、芭蕉野分して盥に雨を聞く夜哉と侘られしに、堪閑の友しげくかよひて、をのづから芭蕉翁とよぶことになむ成ぬ。その比、圓覺寺大巓和尚と申が、易にくはしくおはしけるによりてうかゞひ侍るに、或時翁が本卦のやうみんとて、年月時日を古曆に合せて筮考せられけるに、萃といふ卦にあたる也。是は一もとの薄の風に吹れ雨にしほれて、うき事の數々しげく成りぬれども、命つれなく、からうじて世にあるさまに譬たり。さればあつまるとよみて、その身は潛ならんとすれども、かなたこなたより事つどひて、心ざしをやすんずる事なしとかや。信に聖典の瑞を感じける。さのごとく草庵に入來る人々の、道をしたへるあまり、とにもかくにも慰むれば、所得たる哉、橋あり、舟有、林あり、塔あり。花の雲鐘は上野か淺草かと眼前の奇景も捨がたく、をのをのがせめておもふもむつまじく侍れど、古郷に聊忍ばるゝ事ありとて、貞享初のとしの秋、知利をともなひ、大和路やよし野の奧も心のこさず、露とくとくこゝろみにうき世すゝがばや。是より人の見ふれたる茶の羽織、ひの木笠になん、いかめしき音やあられと風狂して、こなたかなたのしるべ多く、鄙の長路をいたはる人々、名を乞句を忍ぶこと安からず聞えしかば、隱れかねたる身を竹齋に似たる哉と凩の吟行に、猶々德化して、正風の師と仰ぎ侍る也。近在隣郷より、馬をはせて來りむかふるも、せんかたなし。心をのどめてと思ふ一日もなかりければ、心氣いつしかに衰滅して、病雁のかた田におりて旅ね哉とくるしみけん、其年より大津・膳所の人人いたはり深く、幻住庵〔猿蓑に記あり〕義仲寺、ゆく所至る所の風景を心の物にして、遊べること年あり。元來、根本寺佛頂和尚に嗣法して、ひとり開禪の法師といはれ、一氣鐵鑄生(ナス)いきほひなりけれども、老身くづほるゝまゝに、句毎のからびたる姿までも、自然に山家集の骨髓を得られたる、有がたくや。さればこそ此道の杜子美也ともてはやして、貧交人に厚く、喫茶の會盟に於ては、宗鑑が洒落も教のひとかたに成て、自由體・放狂體、世擧つて口うつしせしも現力也。凡、篤實のちなみ、風雅の妙、花に匂ひ月にかゞやき、柳に流れ雪にひるがへる。須磨・明石の夜泊、淡路島の明ぼの、杖を引はてしもなく、きさがたに能因、木曾路に兼好、二見に西行、高野に寂連、越後の緣は宗祇・宗長、白川に兼載の草庵、いづれもいづれも故人ながら、芭蕉翁についてまぼろしにみえ、いざやいざやとさそはれけん、行衞の空もたのもしくや。〔奥のほそ道といふ記あり〕十餘年がうち、杖と笠とをはなさず、十日とも止る所にては、又こそ我胸の中を、道祖神のさわがし給ふ也と語られしなり。住つかぬ旅の心や置火燵、是は慈鎭和尚の、たびの世にまた旅寐してくさ枕ゆめの中にもゆめをみる哉とよませ給ひしに思ひ合せて侍る也。遊子が一生を旅にくらしてはつと聞得し生涯をかろんじ、四たびむすびつる深川の庵を又立出るとて、鶯や笋籔に老を鳴。人も泣るゝわかれなりしが、心待ちするかたがた、とにかくかしがましとて、ふたゝび伊賀の古郷に庵をかまへ、〔三日月の記有〕爰にてしばしの閑素をうかゞひ給ふに、心あらん人にみせばやと、津の國なる人にまねかれて、爰にも冬籠する便ありとて思ひ立ち給ふも、道祖神のすゝめ成べし。九月廿五日、膳所の曲翠子よりいたはり迎へられし返事に、此道を行く人なしに秋の昏と聞えけるも、終のしをりをしられたる也。伊賀山の嵐紙帳にしめり、有ふれし菌(クサビラ)の塊積(ツカエ)にさはる也と覺えしかど、苦しげなれば例の藥といふより水あたりして、長月晦の夜より床にたふれ、泄痢度しげくて、物いふ力もなく、手足氷りぬれば、あはやとてあつまる人々の中にも、去來京より馳せくるに、膳所より正秀、大津より木節・乙州・丈艸、平田の李由つき添て、支考・惟然と共に、かゝる歎きをつぶやき侍る。もとよりも心神の散亂なかりければ、不淨をはゞかりて、人々近くも招かれず。折々の詞につかへ侍りける。たゞ壁をへだてゝ、命運を祈る聲の耳に入けるにや、心弱きゆめのさめたるはとて、

    旅に病て夢は枯野をかけ廻る

また枯野を廻るゆめ心ともせばやと申されしが、是さえ妄執ながら、風雅の上に死ん身の、道を切に思ふ也と悔まれし。八日の夜の吟也。各はかなく覺えて、

     賀會祈禱の句

    落つきやから手水して神集め  木節

    凩の空見なをすや鶴の聲    去來

    足がろに竹の林やみそさざい  惟然

    初雪にやがて手引ん佐太の宮  正秀

    神のるす賴み力や松のかぜ   之道

    居上ていさみつきけり鷹の貌  伽香

    起さるゝ聲も嬉しき湯婆哉   支考

    水仙や使につれて床離れ    呑舟

    峠こす鴨のさなりや諸きほひ  丈艸

    日にまして見ます顏也霜の菊  乙州

 是ぞ生前の笑納め也。木節が藥を死ぬ迄もとたのみ申されけるも、實也。人々にかゝる汚を耻給へば、坐臥のたすけとなるもの、呑舟と舍羅也。これは之道が貧しくて有ながら、切に心ざしをはこべるにめでゝ、彼が門人ならば他ならずとて、めして介抱の便とし給ふ。そもかれらも緣にふれて、師につかふまつるとは悦びながらも、今はのきはのたすけとなれば、心よわきもことわりにや。各がはからひに、麻の衣の垢つきたるを恨みて、よききぬに脱ぎかはし、夜の衣の薄ければとて、錦繡のめでたきをとゝのへたるぞ、門葉のものどもが面目なり。

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