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2014/11/09

耳嚢 巻之九 石狛犬を失ひしを掘得し工夫の事

 石狛犬を失ひしを掘得し工夫の事

 

 或人の噺しけるは、何(なん)の國にありしや、これも忘れたり。有(ある)神社の狛犬(こまいぬ)の、社前の河原の内にむかひ合ひてありしが、其社地壞廢(くわいはい)して、神主社務の怠りにや、右の狛犬も出水の節、何れへ流れ失せしや又は砂の内へ埋(うも)りしや、ふたつながら不見(みえず)。兩三年の後、氏子など集りて寄進し、社頭も古(いにしへ)にかえり繁昌せしが、彼(かの)狛犬は石なれば、流れ失(うす)べきやうなしと、其あたりを穿鑿せしに見えず。ありし所を掘穿(ほりうが)ちけれど、夫(それ)と覺しき品もなし。山川(やまかは)の急水(せきみづ)なれば川下へ流れし事もあるべしと、有りしと思ふ所にしるしして、其川下を搜せどさらに見えざりければ、各(おのおの)せんかたなし。しかるに老(おい)たる人是(これ)を聞き、有(あり)し所より川上五七間を掘(ほり)見給ふべしといひしゆゑ、其如(そのごとく)尋ねければ、二基ともに川上より掘得しとなり。彼(かの)老人に、いかなれば川上へ流れしをしり給ふと問ひしに、老人笑ふて、石なれば川下へ流れべき謂(いはれ)なし。急水なれば左右に當れば其下を掘る故、川上へうちかへりて砂に埋りし道理也と申(まうし)ければ、皆々其老功を稱しけるとなり。

 

□やぶちゃん注

○前項連関:なし。

・「五七間」九・一~一二・七メートル。

・「左右」岩波のカリフォルニア大学バークレー校版では『右石』である。この方がしっくりくる。訳ではここだけ、バークレー校版を採用した。

 

■やぶちゃん現代語訳

 

 石の狛犬(こまいぬ)を出水によって失のうた後に美事に掘り得たる工夫の事

 

 ある人の話に――何処(いずこ)の国のことやら、これも忘れてしまったが――とある神社の狛犬が、社前の河原のうちに向かい合って建って御座ったが、その社地、これ、一時期、大層、荒廃致いて、神主が日頃の社務を怠って御座ったからか、この狛犬、ある年の出水(でみず)の折り、何処(いずこ)かへ流れ失せてしまったものか、または土砂の中へ埋ってしもうたものか、両方とも見えずなったと申す。

 丸三年の後、氏子などが集まり、寄進致いて、本社社頭も古えに還って繁昌するに相い成ったが、ある者、

「あの狛犬は石なれば、流れ失するはず、これ、御座ない。」

と申したによって、皆して、その辺りを掘り穿って探してみたが、一向、見当たらぬ。

 確かにここにかつてあったという申す者のあって、その確かと思わるる所を、掘り穿ってみたが、やはりそれと思しい石くれも見つからなんだ。

「山川(さんせん)の鉄砲水なればこそ、その勢いに、きっと川下へと流れてしもうたに相違ない。」

と、かつて確かにあった思わるる所に竹竿を立て、印致いて、その位置から川下を総出で捜してみたものの――やはり、これ、影も形もない。

 人々、皆、これはもう、ずっと下(しも)の方(かた)へと押し流されてしもうたものと、諦めんとした。

 然るに、一人の村の古老が、この一部始終を聴き、

「……そりゃぁ……そのあった所より川上――そうさ、五、七間のところを――これ、掘ってみらるるがよかろうぞ……」

と申したによって、半信半疑乍ら、その辺りを試みに掘ってみたところが、

あっちで、

――カッチン!

こっちで、

――コッチン!

狛犬が二基、これ、欠けざる形のままに、ともに川上より掘り得た、という申す。

 かの老人に、

「……どうして……川上へ向かって流れたということ、これ、知ることが出来なすった?……」

と訊ぬると、老人は笑って、

「石だからと申し、急度(きっと)、川下へ流れねばならぬと申す謂れは、これ、御座ない。恐るべき力を持ったる鉄砲水なればこそ、かの、相応に重く、がたいもあるものに当たらば、その下のところを、これ、強(つよ)ぉに抉りを掘りおるものじゃ。されば、それが何度も、何度も、繰り返し起こったと考うれば、これ、遙か川上へと遡り、結果、その重さによって、その辺りの砂の下へと、さらに埋もるるは、これ、道理、じゃて。」

と申した。されば皆々、その古老の明察を褒め称えたとのことで御座る。

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