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2014/11/25

前後日記 支考 (全)――芭蕉の末期の病床にシンクロして――

前後日記   支考

 

[やぶちゃん注:各務支考編になる元禄八(一六九五)年奥書の「笈日記」の一節。「笈日記」は芭蕉の死後に支考自らが伊賀・伊勢・近江・江戸などを巡って芭蕉の遺句や遺文を集めたものであるが、その中に芭蕉臨終の前後が日記風に詳しく記されており、以下はその部分。底本は小宮豊隆校訂「芭蕉臨終記 花屋日記」(昭和一〇(一九三五)年岩波文庫刊)の「附錄の一」を用いた。踊り字は「〱」「〲」は正字若しくは「々」に代えた。ポイント落ち割注は〔 〕同ポイントで出した。本文脇に附された編者のママ注記は省略した。小宮氏によって補填された字は《 》で示した。]

 

 

   去年元祿の秋九月九日、奈良より難波津

   にわたる。生涯の邊より日を暮して

菊に出て奈良と難波は宵月夜     翁

 

   今宵は十三夜の月をかけて、すみよしの

   市に詣けるに、晝のほどより雨ふりて、

   吟行しづかならず。殊に暮々は惡寒にな

   やみ申されしが、その日もわづらはしと

   て、かいくれ歸りける也。次の夜はいと

   心地よしとて、畦止亭に行て、前夜の月

   の名殘をつくなふ。住吉の市に立てとい

   へる前書ありて

舛買て分別かはる月見かな

 

   十六日の夜、去來・正秀が文をひらくに、

   奈良の鹿殊の外に感じて、その奧に人々

   の句あり。

北嵯峨や町を打越す鹿の聲      丈 草

露草や朝日にひかる鹿の角      野 明

猿の後聞出しけりしかの聾      荒 雀

棹鹿の爪に紅さすもみぢかな     爲 有

振わけて尾花に見せよ鹿の角     風 國

啼鹿を椎の木間に見付たり      去 來

南大門たてこまれてや鹿の聲     正 秀

   冬の鹿

鹿の影とがつて襲き月夜哉      洒 堂

きよつとして霞に立や鹿の角     支 考

川越て身ぶるひすごし雪の鹿     臥 高

 

  其柳亭

秋もはやはらつく雨に月の形     翁

    此句の先「昨日からちよつちよつと

秋も時雨かな」といふ句なりけるに、い

かにおもはれけむ、月の形にはなしかえ

申されし。廿一日・二日の夜は雨もそぼ

   降りて靜なれば

秋の夜を打崩したる咄かな

    此句は寂寞枯稿の場をふみやぶりたる

   老後の活計、なにものかおよび候はんと、

   おのおの感じ申あひぬ。

 

   車庸亭

面白き龝の朝寐や亭主ぶり      翁

 

     廿六日は淸水の茶店に連吟して、

    泥足が集の俳語あり。連衆十二人。

人聲や此道かへる秋のくれ

此道や行人なしに龝の暮

     此二句の間いづれをかと申されしに、

    この道や行ひとなしにと獨歩したる所、

    誰かその後にしたがひ候半とて、是に、

    所思といふ題をつけて、半歌仙侍り。

    爰にしるさず。

松風や軒をめぐつて秋暮ぬ

   是はあるじの男の深くのぞみけるより、

  かきてとゞめ申されし。

 

   旅懷

此秋は何で年よる雲に鳥

     此句はその朝より心に籠てねんじ申

    されしに、下の五文字寸々の腸をさか

    れける也。是はやむ事なき世に、何を

    して身のいたづらに老ぬらんと、身に

    おもひわびられけるが、されば此秋は

    いかなる事の心にかなはざるにかあら

    ん、伊賀を出て後は、明暮になやみ申

    されしが、京・大津の間をへて、伊勢

    の方におもむくべきか、それも人々の

    ふさがりてとどめなば、わりなき心も

    出きぬべし、とかくしてちからつきな

    ば、ひたぶるの長谷越すべきよし、し

    のびたる時はふくめられしに、たゞ羽

    をのみかいつくろひて、立日もなくな

    り給へるくやしさ、いとゞいはむ方な

    し。

 

白菊の目にたてゝ見る塵もなし    翁

     是は園女が風雅の美をいへる一章な

    るべし。昨日の一會を生前の名殘とお

    もへば、その時の面影も見るやうにお

    もはるゝ也。

 

   畦止亭

    今宵は九月廿八日の夜なれば、秋の名

   殘をおしむとて、七種の戀を結題にして、

   おのおのほつ句あり。是は泥足が其便集

   に出し侍れば、爰にしるさず。

 

    明日の夜は芝柏が方にまねき、おもふ

    よしにてほつ句つかはし申されし。

秋深き隣は何をする人ぞ       翁

 

 

 廿九日

 此夜より泄痢のいたはりありて、神無月一日の朝にいたる。しかるを此叟は、よのつね腹の心地惡しかりければ、是もそのまゝにてやみなんと思ひいけるに、二日・三日の比よりやゝつのりて、終に此愁とはなしける也。されば病中の間は、晉子が終焉記にくはしければ、但よのつねの上、わづかにかきもらしぬる事を、支考が見聞には記し侍る。

 

 十月五日

 此朝南の御堂の前、しづかなる方に病床をうつして、膳所・大津の間、伊勢・尾張のしたしき人々に、文したゝめつかはす。その暮支考をめして、殊の外に心の安置したるよし申されしを、さばかりの知識達も生死は天命とこそおぼし候へ、たゞ心のやすからんはありがたう侍ると申して、介抱のものも心とけぬ。

 

 六日

 きのふの暮よりなにがしが藥にいとこゝちよしとて、みづから起かへりて、白髮のけしきなど見せ申されしに、影もなくおとろへはて、枯木の寒岩にそへるやうにおぼえて、今もまぼろしには思うはるれ。

 

 七日

 此朝湖南の正秀夜船より來る。直に枕のほとりにめされて、何ともいふ事はなくて、泪をおとし給へりけるが、いかなる心かおはしけむしらず。その程も過ぎるに、洛の去來きたる。その暮つがた乙州・木節・丈艸おのおの來りつどふ。平田の李由きたる。

 洛の去來は、しばらくも病家をはなれず。いかなるゆへにかと申に、此夏阿叟の我方にいまして、誰れ誰れの人は吾を親のごとくし侍るに、吾老て子のごとくする事侍らずと仰せられしを、いさしらず、去來は世務にひかれてさるべき孝道もなきに、かゝる事承る事の肝に銘じおぼえければ、せめて此度ははなれじとこそおもひ候へと申されし也。

 

 八日

 之道すみよしの四所に詣して、此度の延年をいのる。所願の句あり。しるさず。此夜深更におよびて、介抱に侍りける呑舟をめされて、硯の音のからからと聞えければ、いかなる消息にやとおもふに

     病中吟

    旅に病で夢は枯野をかけ廻る   翁

 その後支考をめして、「なをかけ廻る夢心」といふ句づくりあり、いづれをかと申されしに、その五文字は、いかに承り候半と申ば、いとむづかしき事に侍らんと思ひて、此句なににかおとり候半と答へける也。いかなる不思議の五文字か侍《る》らん。今はほいなし。みづから申されけるは、はた生死の轉變を前にをきながら、ほつ句すべきわざにもあらねど、よのつね此道を心に籠て、年もやゝ半百に過たれば、いねては朝雲暮烟の間をかけり、さめては山水野鳥の聲におどろく。是を佛の妄執といましめ給へるたゝちは、今の身の上におぼえ侍る也。此後はたゞ生前の俳諧をわすれむとのみおもふはと、かへすかへすくやみ申されし也。さばかりの叟の辭世はなどなかりけると、思ふ人も世にはあるべし。

[やぶちゃん字注:「たゝち」は「こゝち」の原典の誤字であろう。]

 

 九日

 服用の後支考にむきて、此事は去來にもかたりをきけるが、此夏嵯峨にてし侍る大井川のほつ句おぼえ侍る歟と申されしを、あと答へて

    大井川浪に塵なし夏の月

と吟じ申ければ、その句園女が白菊の塵にまぎらはし。是もなき跡の妄執とおもへば、なしかへ侍るとて

    淸瀧や波にちり込む靑松葉    翁

 

 十日

 此暮より身ほとをりて、つねにあらず。人く殊の外におどろく。夜に入て去來をめして良談ず。その後支考をめして遺書三通をしたゝめしむ。外に一通はみづからかきて、伊賀の兄の名殘におくらる。その後は正秀あづかりて、木曾塚の舊草にかへる。

 是より後、十六日の夜曲翠亭に會して、おのおのひらき見るに、伊賀への文は、たゞ何事もなくて先だち給へる事の、あさましうおぼゆるよし、かへすがへす申殘されしなり。

 外の三通には、思ひをける形見の品々、おほくは反故・文章等の有所、なつかしき人々への永き別をおしめるなりけり。

  一 新式  埋木 〔二傳〕

  一 古今ノ序註  百人一首 〔兩部〕

  一 三日月日記  奧の細道

  一 披風  銅鉢

[やぶちゃん字注:「披風」は「被風」(ひふ:羽織様の外着。)の誤字。]

 その外ばせを庵に安置申されし出山の尊像は、支考が方につたへ侍る。是は行脚の形見なるべし。

 夜ふけ人いねて後、誰かれの人々枕の左右に侍りて、此後の風雅はいかになり行侍《る》らんとたづねけるに、されば此道の吾に出て後、三十餘年にして百變百化す。しかれどもそのさかひ、眞・草・行の三をはなれず。その三が中に、いまだ一・二をもつくさゞるよし。唇を打うるほし打うるほしやゝ談じ申されければ、やすからぬ道の神なりと思はれて、袖をねらす人殊におほし。

 

 十一日

 此暮相に晋子幸に來りて、今夜の伽にくはゝりけるも、いとちぎり深き事なるべし。その夜も明るほどに、木節をさとして申されけるは、吾生死も明暮にせまりぬとおぼゆれば、もとより水荷雲棲の身の、この藥かの藥とて、あさましうあがきはつべきにもあらず。たゞねがはくは老子が藥にて、最期までの唇をぬらし候半とふかくたのみをきて、此後は左右の人をしりぞけて、不淨を浴し香を燒て後、安臥してものいはず。

 

 十二日

 されば此叟のやみつき申されしより、飮食は明暮をたがへ給はぬに、きのふ十一日の朝より今宵をかけてかきたえぬれば、名殘も此日かぎりならんと、人々は次の間にいなみて、なにとわきまへたる事も侍らず也。午の時ばかりに目のさめたるやうに見渡し給へるを、心得て粥の事すすめければ、たすけおこされて、唇をぬらし給へり。その日は小春の空の立歸りてあたゝかなれば、障子に蠅のあつまりいけるをにくみて、鳥もちを竹にぬりてかりありくに、上手と下手とあるを見て、おかしがり申されしが、その後はたゞ何事もいはずなりて、臨終申されけるに、誰も誰も茫然として、終の別とは今だに思はぬ也。此夜河舟にてしつらひのぼる。明れば十三日の朝、伏見より木曾塚の舊草に入れ奉りて、茶菓のまうけ、います時にかはらず。埋葬は十四日の夜なりけるが、門葉燒香の外に、餘哀の者も三百人も侍るベし。

 

 十八日

 所願忌

 湖南・江北の門人おのおの義仲寺に會して、無縫塔を造立す。面には芭蕉翁の三字をしるし、背には年月日時なり。塚の東隅に芭蕉一本を植て、世の人に冬夏の盛衰をしめすとなり。此日百韵あり。略之。

    なきがらを笠にかくすや枯尾花 其角

    温石さめてみな氷る聲     支考

    行燈の外よりしらむ海山に   丈草

 

 乃至

 霜月三十日 此時は伊勢の國にありて、我草庵にこの日の供養をまうけ侍る。

 大練忌

 葉落て山つきぬれば、曉の雲の歸るべきたよりもなく、日暮て道遠ければ夜の鶴のうらむべき方もなし。されば此叟の宿世、いくばく人にかちぎりをきける。生前の九十日はしらぬ事のくやしさをかなしみ、死後の四十九日はかへらぬ事のかなしさをくやむ。すべての明暮は誰がためにかかなしみ、誰がためにかくやめるならむ。

 

    節のおもひや竹に積る雪 支考

 

   右は去年の冬季歸鳥庵におゐて記焉

 

[やぶちゃん字注:「節」の後半は底本では踊り字「〱」。]

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