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2014/12/02

日本その日その日 E.S.モース(石川欣一訳) 第十六章 長崎と鹿児島とへ 神戸着

第十六章 長崎と鹿児島とへ

 

 ここしばらくの間、私は南方への旅行に持って行く、曳網や壺やその他の品を、まとめつつあった。大学は私に、夏休になる前に出発することを許し、またこの旅行の費用を全部払ってくれる。我々は鹿児島湾、長崎、神戸で網を曳くことになっているが、その地方の動物は半熱帯的であるから、大学博物館の為に、いろいろ新しい材料を集めることが出来るであろう。一八七九年〔明治十二年〕五月九日、我我は神戸に向けて横浜を出帆した。荒海を、向い風を受けて航行した辛さは、記録に残さずともよかろう。この航海を通じて陸地が見えたのであるが、私はあまり陸を見なかった。水曜日の夜出帆して、神戸には金曜日の午後三時に着いた。階梯(はしご)が下されるや否や、私ははしけに乗りうつり、上陸するとホテルへかけつけて食事をし、その後町を散歩した。この町は背後に高い丘をひかえ、街路はどちらかというと狭く、店舗は東京のと全く同じである。女の髷は、北方のとは多少違っているらしく思われたが、どんな風に結んであったかは覚えていず、また写生をするには余りに疲れていた。子供達は確かに東京のよりも可愛らしく、顔立ちはより上品で、顔色の橄欖(オリーヴ)色も、より明澄であった。彼等はすべて頭髪を最もキッパリした形で垂前髪(まえだれがみ)に切っているが、これは古い日本の風習で、外国人の真似をしたのではないのである。人力車は東京のよりもいささか不細工に見え、車夫はより肥え、男前がいいように思われた。提灯は北方に於るが如く手に持たず、梶棒の末端にぶら下げる。乞食も数名いたが、しつっこくは無く、穏和な種類とでもいう可きであろう。街頭を行く荷馬車には、頑丈な車輪が二つあり、長い繩で引張るのだが、後に一人、あるいは二人の男がいて、積荷の平衡をとる。横浜では荷を引くのに、勢よく唸ったり、歌ったりするが、ここではそんなことは無い。牡牛車は変な形の代物である。三輪で、その一つは前方に、二つは後方にあり、牡牛の背負っている鞍へ梶棒をくくりつける。三百マイル離れた丈で、風俗、習慣に、こんな相違があるのは不思議に思われる。

[やぶちゃん注:磯野先生の「モースその日その日 ある御雇教師と近代日本」によれば、明治一二(一八七九)年一月の時点では、モースは腕足類の研究及び論文執筆、子供らの教育という観点から、この年の秋に帰国することを決意していたが、未だ西日本に足を踏み入れていないことが気になっていた。『そこで、帰国前に九州と関西を訪問する計画を立て』た。『九州行は動物採取が大きな目的だったが、関西訪問は陶工を訪問し、陶器を収集することが主たるねらいだった』とある(当該書二五〇頁)。

「一八七九年五月九日」底本では西暦の下に石川氏の『〔明治十二年〕』という割注が入る。但し、磯野氏前掲書によれば、この「九日」というのはモースの記憶違いで七日が正しく、この日に上海行き「名古屋丸」に乗船、「九日」の午後三時に神戸に着き、後掲されるように布引の滝を訪ね、神戸に一泊している。同書によれば、『同行者は種田織三、菊池松太郎、内山富次郎』で(これらの人物は既注)、『東海道線が全通するのは十年後の明治二十二年、この頃は船しかなかった』とある。

「水曜日の夜出帆して、神戸には金曜日の午後三時に着いた」明治一二(一八七九)年のカレンダーを調べてみると、五月七日が水曜、九日が金曜であるから、曜日の記載は合っていることが分かる。

「牡牛車」この三輪の牛車というのはよく分からない。識者の御教授を乞う。

「三百マイル」約四百八十三キロメートル。地図上の直線距離で東京―神戸間は約四百三十キロメートル。]

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