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2014/12/01

芥川龍之介手帳 1―9

《1-9》

 

〇婆さんの所へ thief はいる thief 婆さんにゆるしてもらふ 外へ出ると Frau の放免に追はれてくるのにあふ さうして自分をとりに來たのかとおそれて始ちよいとかくれる

[やぶちゃん注:現在知られる作品に一致するものはない。設定からはもしかするとこれも、予定していたとも言われる原「偸盗」の続編の中の一要素だったのかも知れない。

thief」通例では暴力に拠らずこっそりと行なう泥棒を指す英語。

Frau」ドイツ語若しくはドイツ語語源の英語で、英語の Mrs. または Madam に相当するドイツ女性の敬称に用いる「夫人」の意。]

 

〇一度斷る 大ぼさつの奉幣 鶴ケ岡の廻廊に舞臺を設く

○工左エ門尉祐經 ―― つづみ

 畠次郎 重忠  ―― 銅拍子

○頼朝 jealousy をおそれ反對す

 政子 始め靜をほめず ここに至つて急にほむ 卯の花襲ねの御衣

[やぶちゃん注:この三条は、「しづやしづしづのをだまきくり返し昔を今になすよしもがな」「吉野山峰の白雪ふみわけて入りにし人の跡ぞ戀しき」で知られた、義経の愛人静御前が頼朝と政子の命によって鶴岡八幡宮廻廊で舞った有名なエピソードを小説素材としようとした龍之介のメモである。具体は私のテクスト「北條九代記 義經の妾白拍子靜」及び私の注を参照されたい(以下の引用部分も丁寧に語注を施したつもりである)。

 まず、一条目であるが、静は頼朝からの舞踊の命令を『病痾(びやうあ)の由を申し參らず。身の不屑(ふせう)に於いては、左右(さう)に能はずと雖も、豫州の妾として忽ちに掲焉(けちえん)の砌りに出ずるの条、頗る耻辱の由、日來内々に之を澁』(「吾妻鏡」文治二(一一八六)年四月八日の廻廊で舞ったその日の条。以下、同じ)っており、また、『御臺所、頻りに以つて勸め申さしめ給ふの間、之を召さる。偏へに大菩薩の冥感(みやうかん)に備ふべきの旨、仰せらる』と政子が鶴岡八幡宮の八幡大菩薩に供えるための舞い、ととりなすも『近日、只だ別緒(べつしよ)の愁(うれ)ひ有り。更に舞曲の業(なりはひ)無きの由、座に臨みて猶ほ固辭す。然れども貴命再三に及ぶの間、憖(なまじ)ひに白雪の袖を廻らし、黄竹の歌を發す』と「鶴岡の廻廊」に於いてしぶしぶ舞うこととなる点が、「一度斷る」及び「大ぼさつの奉幣」というメモと完全に一致する。

 二条目は、

   *

左衛門尉祐經、鼓(つづみう)つ。是れ、數代勇士の家に生れ、楯戟(じゆんげき)の塵を繼ぐと雖も、一﨟上日(いちらふじやうじつ)の職を歷(へ)て、自(みづか)ら歌吹(かすい)の曲に携はるの故に、此の役に從ふか。畠山二郎重忠、銅拍子(びやうし)を爲す。靜、先づ歌を吟じ出だして云はく、

  吉野山峯の白雪ふみ分けて入りにし人の跡ぞ戀しき

次に別物(わかれもの)の曲を歌ふの後、又、和歌を吟じて云はく、

  しづやしづしづの苧環(をだまき)くりかへし昔を今になすよしもがな

誠に是れ、社壇の壯觀、梁塵も殆々(ほとほと)動きつべし。上下皆興感を催す。

   *

という「吾妻鏡」の記載と一致する。

 三条目の「jealousy」は個人的な感情で優越者を妬み、憎悪する感情であって、静のここでの感懐に相応しい表現である。但し、頼朝がそれを「おそれ」というのはやや舌足らずな表現であり、また「反対」とあるが、実際には頼朝は、「八幡宮寳前に於いて藝を施すの時、尤も關東の萬歳を祝ふべきの處、聞こし食(め)す所を憚らず、反逆の義經を慕ひ、別れの曲を歌ふは奇恠(きかい)なり。」と怒りに近い反応を示している。これは芥川が、静の中にあるところの負け組である義経への強烈な愛憐哀傷と、その対称ベクトルとしての同パワーを持った勝ち組頼朝への強力な憎悪軽侮として描き、それを――例えば、好色故に女に対して実は強く出られない情けない男として頼朝を設定し、そのしょぼい頼朝の内心にある――対称的な静の貞女性や、彼女が身を捧げんとする義経の持っていた純粋性に、一種の「おそれ」を抱いていたのだと措定――そこで、神饌儀を穢すとは何事かという、如何にもな事大主義的反対理由の拳を振り上げてしまう――その振り上げた拳を納める方途も考えずに――といった所謂、銀のピンセットでクールな心理解剖をしようとした――のかも知れない。

 続く三条目の政子の「始め靜をほめず ここに至つて急にほむ」の部分は、芥川のオリジナルっぽい。事実は、政子は静が鎌倉に護送されて以降、常に彼女に対しては好意的であり、義経の子の出生と斬殺に対しても極めて同情的である。この辺りに、芥川は独自の解釈を導入するつもりでいたのかも知れない。但し、「吾妻鏡」でも、この部分は、非常に面白い展開を見せており、憤怒した頼朝に対して、

   *

御臺所、報(こた)へ申されて云はく、「君、流人として豆州に坐(おは)し給ふの比(ころ)、吾に於いては芳契有りと雖も、北條殿、時宜を怖れて、潛かに之を引き籠めらる。而れども猶ほ君に和順して、暗夜に迷ひ、深雨を凌ぎ、君が所に到る。亦、石橋の戰場に出で給ふの時、獨り伊豆山に殘り留まりて、君の存亡を知らず、日夜、魂を消す。其の愁ひを論ずれば、今の靜が心のごとし。豫州多年の好(よしみ)を忘れ、戀ひ慕はずんば、貞女の姿に非ず。外に形(あら)はるるの風情に寄せ、中に動くの露膽(ろたん)を謝す。尤も幽玄と謂ひつべし、抂(ま)げて賞翫し給ふべし。」と云々。

時に御憤り休(や)むと云々。

   *

と続くので、私は少なくともこの部分に芥川がちゃちな小細工を施そうとした可能性は考え難いと思っている。「卯の花襲ねの御衣」は、上記引用に続く、頼朝がしぶしぶ静に褒美として『小時(しばらく)あつて御衣(おんぞ)〔卯花重(うのはながさね)。〕を簾外に押し出だし、之を纒頭(てんとう)せらる』というシーンからのメモ書きである。

 ともかくも、龍之介が書いた静の舞いの小説――鎌倉フリークの私としては、まっこと、読んでみたかった作品である。]

 

○畠山重忠の死を注しんにくる義時の批評 「運命を知らない 忠義に確信を持ちすぎた いい事に確信を持ちすぎてさへさうである 況や惡い事をや」と時政が云ふ 義時が「御互に dangerous ですね」と云ふ 時政が苦い顏をして荅へない

[やぶちゃん注:これも私好みの素材である。詳しくは私の「北條九代記 武藏前司朝雅畠山重保と喧嘩 竝 畠山父子滅亡」のテクスト及び注を参照されたい。但し、この時政の台詞は恐らく芥川龍之介のオリジナルであろう(少なくとも「吾妻鏡」や「北條九代記」などにはない。もし、典拠をご存知の方がいたら教え願いたい)。そもそもが畠山重忠の乱自体が近視眼的な武蔵掌握を図る北条時政の策謀で、しかもこれには娘婿に当たる平賀朝雅が畠山重保のことを牧の方に讒言、それを聞いた牧の方が時政に讒訴したことに端を発しており、牧の方と時政は共謀して源実朝を殺害、朝雅を新将軍に擁立して幕政を握ろうというとんでもない謀略を用意していたから、この時政の台詞は如何にも薄っぺらく響いてしまい、芥川好みの映像には実は相応しくない。義時は結局、実父時政を失脚させることによって、結果的に時政が狙った武蔵での実質的な権力掌握を成功させており、義時が深謀遠慮によって得宗執権の根を揺るぎないものにしたとも言え、そうした意味では芥川がこの海千山千の義時に関心を持ち、そこから始まる北条氏の権謀術数をターゲットとして、王朝物から脱皮するための「鎌倉物」のようなものを画策していたとも考えられないことはない。そうして呉れていたら、これはもう、私などには垂涎なのであるが、しかし、そうすると芥川は単なる凡百の時代小説家の一人になり下がっていたかも知れない。]

 

○高時の犬 未定

[やぶちゃん注:北条高時は古来、闘犬と田楽に耽溺して政務を顧みず、結局、幕府を滅亡させてしまった暗愚な当主として描かれることが多い。特に「太平記」巻第五の「相模入道田樂をもてあそび竝鬪犬の事」で描かれるように、彼の異常な闘犬好きによって、鎌倉では変わった犬を飼うのが流行し、後の徳川綱吉の「お犬さま」扱いと同等な奇体な事態が現出していた。芥川が如何にも素材として好みそうな病的な現実ではあるのだが、実は知る人ぞ知る、芥川龍之介はの犬嫌いであった(猫派であったことは片山廣子の「黑猫」ではっきりしている。リンク先は私の電子テクスト。未読の方は是非読まれんことを!)から、この「未定」というメモを見ると、何だか、そうした芥川の犬への生理的嫌悪感が匂ってくるような気がするのである。]

 

○義經記 承久記 北條九代記

[やぶちゃん注:「承久記」が挙がっているところが興味深い。後鳥羽院官軍サイドからの敗北に至るエピソードの幾つかを芥川は構想していたものか? 私は「承久記」についてはつい最近、「北條九代記」のテクスト注のために初めてじっくりと読んだのだが、これ、まことに面白い作品なのである。このあったかも知れない幻の芥川作品、やっぱり、是非是非読んでみたかったものなんである。]

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