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2014/12/02

日本その日その日 E.S.モース(石川欣一訳) 第十五章 日本の一と冬 火事場の情景 / 第十五章 日本の一と冬 了

 

 市の労働者が、道路を修繕しているのはよく見受けるが、それは道路を三分した、中央の部分だけに就て行われる。調べて見ると、市の当局は道路の中央三分一だけの世話をし、両側の地主たちが残りの三分の一ずつを注意するのだということが判った。同様にして、我々は側道を清掃する義務を持っている。米国人が屢々雪を取り去ることを怠るのに比較して、この仕事がすべての人によって、如何に正直に行われつつあるかは、驚嘆すべきである。

M533

図―533

M534

図―534

 

 今朝(四月八日)五時、半鐘が鳴った。恰も疾風の最中だったので、私は即座に衣服を着、二マイル走って火事場へかけつけたが、消防夫の奮闘を見るには、遅すぎた。然しながら、見て興味のあるものはあった。大火の範囲は、それが如何に速にひろがったかを見せていたし、また一部焼けた建物を見ると、消防夫の仕事が、外国人が考える程詰らぬものではないことが知られた。すくなくとも疾風中で火事の蔓延を喰いとめるには、偉大な努力と巧みさとを必要とするであろう。日本の家は火事が起ると共に、非常に速くひろがる程、かよわく出来ているので、消防夫の主要な仕事は、一般市民の助力をかりて、家産からはぎ取ることの出来る物――襖(ふすま)、畳、薄い杉板で出来ている天井等――を、すべて取って了うことである。家屋の唯一の耐火被覆物である厚い屋根瓦を、シャベルで落しているのを見ると、如何にも莫迦げているが、これは屋根板をめくり取るのを容易にする為で、かくすると棰(たるき)から棰へ火が飛びうつらぬことが観察される。この問題は、研究するに従って、消防夫の仕事に対する第一印象が誤っていたことが判って来、そして彼の手際に対する尊敬が増加する。私は初めて、警察部に所属する、消防機関の新しい型を見た。二輪車にとりつけてあって、機関の上に蛇管が巻きつけてある。これは水を吸い上げ、相当な水流を発射する。機関は車から取外し、六人か七人かがそれを扱う。これは最近、外国の型から採ったものである。図533はその一台が火事場へ向う所であるが、消防夫達は町々を走りながら、猫のような叫び声を出す。図534は建物を立った儘で救った、機関隊の名を出している消防夫である。

[やぶちゃん注:「二マイル」約三・二キロメートル。

「警察部に所属する、消防機関」ウィキ日本消防」の「歴史」より引用しておく。『大政奉還に伴い、従来の常設消防機関であった定火消は姿を消し、江戸以来の町火消は消防組と呼ばれるようになる。明治時代に、内務省は消防組を警察機関の一部として吸収していった。いわゆる警察消防時代の幕開けである。消防技術の面では、腕用ポンプや蒸気ポンプが輸入・国産化され、近代的な消防戦術が導入された。腕用ポンプは吸管を使い水利部署し、ホースを伸ばして火点を直接攻撃するという現代の消防に通じる消防戦術の歴史上のエポックとなった。また、蒸気ポンプはその運用に技術を要し、消防は高度化・専門化を促され、「鳶職」から消防へと専門化を遂げ、その過程で現代に通じる「消防署」を見る事となった』。『大正期には、電話も普及し自動車ポンプが輸入され、都市を中心に消防が充実していき、地方都市でも消防組内に常備部を置くようになった。自動車用のエンジンを使った手引きガソリンポンプや三輪消防ポンプが昭和に入って普及し始め』た。『第二次世界大戦後は、GHQの指導により警察から独立』、昭和二三(一九四八)年に『いわゆる自治体消防制度が発足した。第二次大戦中に警防団として組織された消防組も、警察部門から切り離されて消防団として再出発した。その後、消防は着実に進展を遂げ、20世紀末までに消防常備化がほとんど完了し、日本の消防は世界的にも非常に優れた組織・技術を持つに至っている』。『現在の日本では、消防の任務は消防組織法により規定されている』。

「蛇管」「だかん/じゃかん」と読む。ホース。]

M535

図―535

 この火事があってから間もなく、又別の火事が起り、風が強かったので、私はそれへ向って走った。私はまた写生をしようとしたが、動く群衆がお互同志を押し合い又私をも押したり、その他の邪魔が入ったりしたので、至って貧弱な絵が出来て了った(図535)。かかる災難にあった人々が彼等の不運に直面して示す静かな態度は、興味深く感じられた。気持がよく、微笑していない顔は、一つも見られない。劇場では泣く女の人達が、大火事で住宅が完全にぶちこわされたのに、このように泰然としているのは、不思議である。持ち出した家財と共に、彼等は襖や簞笥(たんす)や畳を立てて一種の壁をつくり、その内に家族が集り、火鉢には火があり、お茶のために湯をわかし、小さな篝火(かがりび)で魚を焼いたり、僅かな汁をつくったりし、冬以外には寒くない戸外で、彼等は平素通り幸福そうに見える。

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