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2015/01/09

淨瑠璃寺の春 堀辰雄 ベタ・テクスト ―― PDFの読めない方のために

淨瑠璃寺の春   堀辰雄
 
[やぶちゃん注:「浄瑠璃寺の春」は昭和一八(一九四三)年一月から『婦人公論』に連載を始めた「大和路・信濃路」で「淨瑠璃寺」と題して、同年七月号に掲載された。後に「淨瑠璃寺の春」と改題して、作品集「花あしび」(青磁社昭和二一(一九四六)年刊)に所収された。
 このロケーションは昭和十八年の春である。四月十二日に多恵子夫人同伴で信濃から大和の旅へ出立、木曾路に入って木曽福島藪原に泊り、翌十三日、木曾路から伊賀を経、大和に入り、十四日には奈良ホテルに泊まっているが、この日が本作の作品内時間である。
 底本は角川書店昭和二三(一九四八)年刊の「堀辰雄作品集 六 花を持てる女」所収の正字正仮名のものを用いた。途中の「*」は底本では小さな「*」が一マスに三角形に並ぶ記号である。
 なお、底本では会話記号の後に地の文が続く箇所では、有意な字空きが多くの箇所に見られる(『「まあ本當に……」妻もすこし意外なやうな顏つきをしてゐた。』や『「まあ、これがあなたの大好きな馬醉木(あしび)の花?」妻もその灌木のそばに寄つてきながら、』、コーダの『さうかなあ。僕にはおんなじにしか見えないが……」僕はすこし面倒くささうに、』の箇所などにはない)。当初、私はこの通常では見られないこの字空きであるが、視覚的にはあった方が、台詞と地の文とのほど良いクッションとなっていて、私などには朗読の際にも、非常に流れがよい印象を与える感じがした。ただ、これは作者の意図というよりも、植字工の癖なのではないかとも感じた(この底本の他の作品でも同様の現象が見られる)。そうでない箇所を総て補正統一して空けることも考えたが、実際にそうしてみたところが、激しい違和感を生ずる箇所が出来することも分かり(例えば、『「九體寺(くたいじ)やつたら、あこの坂を上りなはつて、二丁ほどだす」 と、そこの家で寺をたづねる旅びとも少くはないと見えて、』とやったのでは如何にも視覚印象も朗読も躓いていしまうのである)、結果としては、この字空きは無視することとしたことを述べておく。
 私の偏愛してやまない本作を、私はここで私のブログの六十五万アクセス突破記念として公開する。【二〇一五年一月日 藪野直史】]
 
   淨瑠璃寺の春
 
 この春、僕はまへから一種の憧れをもつてゐた馬醉木(あしび)の花を大和路のいたるところで見ることができた。
 そのなかでも一番印象ぶかかつたのは、奈良へ著いたすぐそのあくる朝、途中の山道に咲いてゐた蒲公英(たんぽぽ)や薺(なづな)のやうな花にもひとりでに目がとまつて、なんとなく懷かしいやうな旅びとらしい氣分で、二時間あまりも歩きつづけたのち、漸つとたどりついた淨瑠璃寺(じやうるりじ)の小さな門のかたはらに、丁度いまをさかりと咲いてゐた一本の馬醉木(あしび)をふと見いだしたときだつた。
 最初、僕たちはその何んの構へもない小さな門を寺の門だとは氣づかずに危く其處を通りこしさうになつた。その途端、その門の奧のはうの、一本の花ざかりの緋(ひ)桃(もも)の木のうへに、突然なんだかはつとするやうなもの、――ふいとそのあたりを翔け去つたこの世ならぬ美しい色をした鳥の翼のやうなものが、自分の目にはいつて、おやと思つて、そこに足を止めた。それが淨瑠璃寺の塔の錆(さび)ついた九輪(くりん)だつたのである。
 なにもかもが思ひがけなかつた。――さつき、坂の下の一軒家のほとりで水菜を洗つてゐた一人の娘にたづねてみると、「九體寺(くたいじ)やつたら、あこの坂を上りなはつて、二丁ほどだす」と、そこの家で寺をたづねる旅びとも少くはないと見えて、いかにもはきはきと教へてくれたので、僕たちはそのかなり長い急な坂を息をはずませながら上り切つて、さあもうすこしと思つて、僕たちの目のまへに急に立ちあらはれた一かたまりの部落とその菜畑を何氣なく見過ごしながら、心もち先きをいそいでゐた。あちこちに桃や櫻の花がさき、一めんに菜の花が滿開で、あまつさへ向うの藁屋根の下からは七面鳥の啼きごゑさへのんびりと聞えてゐて、――まさかこんな田園風景のまつただ中に、その有名な古寺が――はるばると僕たちがその名にふさはしい物古りた姿を慕ひながら山道を骨折つてやつてきた當の寺があるとは思へなかつたのである。……
 「なあんだ、ここが淨瑠璃寺(じやうるりじ)らしいぞ。」僕は突然足をとめて、聲をはずませながら言つた。「ほら、あそこに塔が見える。」
 「まあ本當に……」妻もすこし意外なやうな顏つきをしてゐた。
 「なんだかちつともお寺みたいではないのね。」
 「うん。」僕はさう返事ともつかずに言つたまま、桃やら櫻やらまた松の木の間などを、その突きあたりに見える小さな門のはうに向つて往つた。何處かでまた七面鳥が啼いてゐた。
 その小さな門の中へ、石段を二つ三つ上がつて、はひりかけながら、「ああ、こんなところに馬醉木(あしび)が咲いてゐる。」と僕はその門のかたはらに、丁度その門と殆ど同じくらゐの高さに伸びた一本の灌木がいちめんに細かな白い花をふさふさと垂らしてゐるのを認めると、自分のあとからくる妻のはうを向いて、得意さうにそれを指さして見せた。
 「まあ、これがあなたの大好きな馬醉木(あしび)の花?」妻もその灌木のそばに寄つてきながら、その細かな白い花を仔細に見てゐたが、しまひには、なんといふこともなしに、そのふつさりと垂れた一と塊りを掌のうへに載せたりしてみてゐた。
 どこか犯しがたい氣品がある、それでゐて、どうにでもしてそれを手折つて、ちよつと人に見せたいやうな、いぢらしい風情をした花だ。云はば、この花のそんなところが、花といふものが今よりかずつと意味ぶかかつた萬葉びとたちに、ただ綺麗なだけならもつと他にもあるのに、それらのどの花にも增して、いたく愛せられてゐたのだ。――そんなことを自分の傍でもつてさつきからいかにも無心さうに妻のしだしてゐる手まさぐりから僕はふいと、思ひ出してゐた。
 「何をいつまでもさうしてゐるのだ。」僕はとうとうさう言ひながら、妻を促した。
 僕は再び言つた。「おい、こつちにいい池があるから、來てごらん。」
 「まあ、ずいぶん古さうな池ね。」妻はすぐついて來た。「あれはみんな睡蓮ですか?」
 「さうらしいな。」さう僕はいい加減な返事をしながら、その池の向うに見えてゐる阿彌陀堂を熱心に眺めだしてゐた。
 阿彌陀堂へ僕たちを案内してくれたのは、寺僧ではなく、その娘らしい、十六七の、ジャケット姿の少女だつた。
 うすぐらい堂のなかにずらりと竝んでゐる金色(こんじき)の九體佛(くたいぶつ)を一わたり見てしまふと、こんどは一つ一つ丹念にそれを見はじめてゐる僕をそこに殘して、妻はその寺の娘とともに堂のそとに出て、陽あたりのいい緣さきで、裏庭の方かなんぞを眺めながら、こんな會話をしあつてゐる。
 「ずゐぶん大きな柿の木ね。」妻の聲がする。
 「ほんまにええ柿の木やろ。」少女の返事はいかにも得意さうだ。
 「何本あるのかしら? 一本、二本、三本……」
 「みんなで七本だす。七本だすが、澤山に成りまつせ。九體寺(くたいじ)の柿やいうてな、それを目あてに、人はんが大ぜいハイキングに來やはります。あてが一人で捥(も)いで上げるのだすがなあ、そのときのせはしい事やつたらおまへんなあ。」
 「さうお。その時分、柿を食べにきたいわね。」
 「ほんまに、秋にまたお出でなはれ。この頃は一番あきまへん。なあも無うて……」
 「でも、いろんな花がさいてゐて。綺麗ね……」
 「そうだす。いまはほんまに綺麗やろ。そやけれど、あこの菖蒲(あやめ)の咲くころもよろしいおまつせ。それからまた、夏になるとなあ、あこの睡蓮が、それはそれは綺麗な花をさかせまつせ。……」さう言ひながら、急に少女は何かを思ひ出したやうにひとりごちた。「ああ、そやそや、葱とりに往かにやならんかつた。」
 「さうだつたの、それは惡かつたわね。はやく往つてらつしやいよ。」
 「まあ、あとでもええわ。」
 それから二人は急に默つてしまつてゐた。
 僕はさういふ二人の話を耳にはさみながら、九體佛をすつかり見をはると、堂のそとに出て、そこの緣さきから蓮池のはうをいつしよに眺めてゐる二人の方へ近づいていつた。
 僕は堂の扉を締めにいつた少女と入れかはりに、妻のそばになんといふこともなしに立つた。
 「もう、およろしいの?」
 「ああ。」さう言ひながら、僕はしばらくぼんやりと觀佛に疲れた目を蓮池のはうへやつてゐた。
 少女が堂の扉を締めおはつて、大きな鍵を手にしながら、戻つてきたので、
 「どうもありがたう。」と言つて、さあ、もう少女を自由にさせてやらうと妻に目くばせをした。
 「あこの塔も見なはんなら、御案内しまつせ。」少女は池の向うの、松林のなかに、いかにもさわやかに立つてゐる三重塔のはうへ僕たちを促した。
 「さうだな、ついでだから見せて貰はうか。」僕は答へた。「でも、君は用があるんなら、さきにその用をすましてきたらどうだい?」
 「あとでもええことだす。」少女はもうその事はけろりとしてゐるやうだつた。
 そこで僕が先きに立つて、その岸べには菖蒲のすこし生ひ茂つてゐる、古びた蓮池のへりを傳つて、塔のはうへ歩き出したが、その間もまた絶えず少女は妻に向つて、このへんの山のなかで採れる筍(たけのこ)だの、松茸(まつたけ)だのの話をことこまかに聞かせてゐるらしかつた。
 僕はさういふ彼女たちからすこし離れて歩いてゐたが、實によくしやべる奴だなあとおもひながら、それにしてもまあ何んといふ平和な氣分がこの小さな廢寺をとりまいてゐるのだらうと、いまさらのやうにそのあたりの風景を見まはしてみたりしてゐた。
 傍らに花さいてゐる馬醉木よりも低いくらゐの門、誰のしわざか佛たちのまへに供へてあつた椿の花、堂裏の七本の大きな柿の木、秋になつてその柿をハイキングの人々に賣るのをいかにも愉しいことのやうにしてゐる寺の娘、どこからかときどき啼きごゑの聞えてくる七面鳥、――さういふ此のあたりすべてのものが、かつての寺だつたそのおほかたが既に廢滅してわづかに殘つてゐるきりの二三の古い堂塔をとりかこみながら――といふよりも、それらの古代のモニュメントをもその生活の一片であるかのやうにさりげなく取り入れながら、――其處にいかにも平和な、いかにも山間の春らしい、しかもその何處かにすこしく悲愴な懷古的氣分を漂わせてゐる。
 自然を超えんとして人間の意志したすべてのものが、長い歳月の間にほとんど廢亡に歸して、いまはそのわづかに殘つてゐるものも、そのもとの自然のうちに、そのものの一部に過ぎないかのやうに、融け込んでしまふやうになる。さうして其處にその二つのものが一つになつて――いはば、第二の自然が發生する。さういふところにすべての廢墟の云ひしれぬ魅力があるのではないか? ――さういふパセティックな考へすらも(それはたぶんジムメルあたりの考へであつたらう)、いまの自分にはなんとなく快い、なごやかな感じで同意せられる。……
 僕はそんな考へに耽りながら歩き歩き、ひとりだけ先きに石段をあがり、小さな三重塔の下にたどりついて、そこの松林のなかから蓮池をへだてて、さつきの阿彌陀堂のはうをぼんやりと見かへしてゐた。
 「ほんまになあ、しよむないとこでおまつせ。あてら、魚食うたことなんぞ、とんとおまへんな。蕨(わらび)みてえなものばつかり食つてんのや。……筍(たけのこ)はお好きだつか。さうだつか。このへんの筍はなあ、ほんまによろしうおまつせ。それは柔(やは)うて、やはうて……」
 そんなことをまた寺の娘が妻を相手にしやべりつづけてゐるのが下の方から聞えてくる。――彼女たちはさうやつて石段の下で立ち話をしたまま、いつまでたつてもこちらに上がつて來ようともしない。二人のうへには、何んとなく春めいた日ざしが一ぱいあたつてゐる。僕だけひとり塔の陰にはいつてゐるものだから、すこし寒い。どうも二人ともいい氣もちさうに、話に夢中になつて僕のことなんぞ忘れてしまつてゐるかのやうだ。が、かうして廢塔といつしよに、さつきからいくぶん瞑想的になりがちな僕もしばらく世間のすべてのものから忘れ去られてゐる。これもこれで、いい氣もちではないか。――ああ、またどこかで七面鳥のやつが啼いてゐるな。なんだか僕はこのまますこし氣が遠くなつてゆきさうだ。……
         *
 その夕がたのことである。その日、淨瑠璃寺(じやうるりじ)から奈良坂を越えて歸つてきた僕たちは、そのまま東大寺の裏手に出て、三月堂をおとづれたのち、さんざん歩き疲れた足をひきずりながら、それでもせつかく此處まで來てゐるのだからと、春日(かすが)の森のなかを馬醉木の咲いてゐるはうへはうへと歩いて往つてみた。夕じめりのした森のなかには、その花のかすかな香りがどことなく漂つて、ふいにそれを嗅いだりすると、なんだか身のしまるやうな氣のするほどだつた。だが、もうすつかり疲れ切つてゐた僕たちはそれにもだんだん刺戟が感ぜられないやうになりだしてゐた。さうして、こんな夕がた、その白い花のさいた間をなんといふこともなしにかうして歩いて見るのをこんどの旅の愉しみにして來たことさへ、すこしももう考へようともしなくなつてゐるほど、――少くとも、僕の心は疲れた身體とともにぼおつとしてしまつてゐた。
 突然、妻がいつた。
 「なんだか、ここの馬醉木と、淨瑠璃寺にあつたのとは、すこしちがふんぢやない? ここのは、こんなに眞つ白だけれど、あそこのはもつと房が大きくて、うつすらと紅味を帶びてゐたわ。……」
 「さうかなあ。僕にはおんなじにしか見えないが……」僕はすこし面倒くささうに、妻が手ぐりよせてゐるその一枝へ目をやつてゐたが、「さういへば、すこうし……」
 さう言ひかけながら、僕はそのときふいと、ひどく疲れて何もかもが妙にぼおつとしてゐる心のうちに、けふの晝つかた、淨瑠璃寺の小さな門のそばでしばらく妻と二人でその白い小さな花を手にとりあつて見てゐた自分たちの旅すがたを、何んだかそれがずつと昔の日の自分たちのことででもあるかのやうな、妙ななつかしさでもつて、鮮やかに、蘇らせ出してゐた。

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