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2015/01/07

日本その日その日 E.S.モース(石川欣一訳) 第十六章 長崎と鹿児島とへ 元垂水

M569

図―569

 

 翌朝は湾を十マイルか十二マイル下り、曳網をしたり、岸に沿うて採集したりすることになっていた。我々と同行すべく知事によって選ばれた官吏は、私に陸上の高所に貝殻の堆積があり、人々がそれを焼いて石灰をつくっている場所があると話した。彼の説明を聞いた私は、それを古代の貝墟に違いないと思った。我々は四時に起き、必要品を取りまとめてから、湾を下り始めた。風が無いので長いこと漕ぎ、湾の東岸にある元垂水という、非常に美しい場所に着いた。官吏は私と一緒に上陸し、種田氏と下僕とは曳網をしに舟を出した。こんな所へは外国人なんぞ来ないので、海ぞいの小さな漁村を通りすぎると、村民達は一斉に私を見に出た。私は、ある山間の渓流で飲んだ水が、非常にうまかったことを覚えている。我々は想定的貝墟まで、殆ど三マイル、海岸について歩いた。それは貝墟には違いなかったが、人工的なものではなく、海岸で磨滅された貝殻の巨大な堆積であった。比較的新しい時代に海岸が隆起し、これ等の貝を水面から、かなり高い所迄持ち上げたのである。ダーウィンは『博物学者の航海』で、チリー、コキムボに於る同様な海岸隆起を記述している。これは更に山容によって示された、この地方の火山性性質を証拠立てるものである。ここを歩くことは、古い習慣がすべて行われているので、誠に興味が深かった。子供達は遊びをやめて丁寧に私にお辞儀をし、男や女は私が通ると仕事を中止してお辞儀をした。これ等に対して私もまた丁寧にお辞儀をしかえした。練習の結果、私は日本風のお辞儀が大層上手になっていたのである。我々は鞍も鐙(あぶみ)も日本古来の物をつけた馬に乗って来る人に逢った。万事日本風である。ある家の背方を過ぎた時、私はニューイングランドの典型的なはねつるべを見た(図569【*】)。

 

 

* この写生図は『日本の家庭』にも出ているが、私は再びそれをここに出さずにはいられない。

 

[やぶちゃん注:「十マイルか十二マイル」十六・一~一九・三キロメートル。現在の鹿児島県垂水市市木下元垂水(もとたるみず)は桜島の南西一一・三キロメートル位置にある。鹿児島からは錦江湾東の鹿児島港からなら、鹿児島湾を直線で計測しても十七キロメートルあり、桜島の南岸を少し迂回せねばならず、穏当な距離測定と言えよう。

「種田氏」モースの右腕で正規の助手(教場助手補)種田織三。既注。

「三マイル」四・八三キロメートル。この石灰を採取出来るほどの多量の貝の堆積層があった場所は不明であるが、叙述の中に桜島が出ない点、モースが「殆ど三マイル、海岸について歩いた」と述べている点、官吏は「陸上の高所」と呼んでいる点などから考えると、私は元垂水、現在の垂水港の北にある市木の港を起点として、南(北では殆んど桜島直近となり、桜島を描写しないのは不自然であるから排除出来る)の海岸線で、そこから土地が有意に急速に高くなっている場所と考えてよいと思われる。現在の佐多街道に沿って南下すると、この距離だと、現在の鹿児島県垂水市柊原(くぬぎばる)か、その北にある垂水市本城(ほんじょう)地区(尾根が伸びていて明らかに有意に高い)辺りではなかったかと推理する。現地の方から御意見を戴けると誠に嬉しい。よろしくお願い申し上げる。

「博物学者の航海」これは原文も“Voyage of a Naturalist”となっているのであるが、恐らくは知られた“The Voyage of the Beagle”のことと思われる(「ビーグル号航海記」の邦訳名で知られるこれは一八三八年から一八四三年にかけて出版された“Zoology of the Voyage of H.M.S. Beagle”(全五巻)を皮切りに、改題と改稿を繰り返している)。私は凡愚にして、まともに読んだことがない。

「チリー、コキムボ」コキンボ(スペイン語:Coquimbo)。チリのコキンボ州(北にアタカマ州・南側にバルパライソ州と接し、東は全面がアルゼンチン共和国国境、西部は全面が太平洋に面している)にある港湾都市でエルキ県の県都。前注通りであるからして、途方に暮れていたところ、検索で「さとふみ」氏という方がブログで膨大な「ダーウィンの日記」を対訳されておられ(凄い! 必見!)、その「ダーウィンの日記1835年5月19日」にまさにそのコキンボでの日記が載っているのを発見! 快哉! そうしてそこには実に、

   《引用開始》

私は少し谷を溯って、かの階段状の砂利の平原を見た。これはキャプテン・B・ホールによって叙述されているもので、その起源についてはライエル氏によって議論されている。同じ現象はウァスコの谷にもっとはっきりした形で見出される。所により、7つにもおよぶ完全に水平で広さの異なる平原があり、谷の片側または両側に一段々々と昇っているのである。疑いもなく陸地の隆起の間、崖のそれぞれの線がある期間大きな湾の海岸だったのだ。

コキンボでは海の貝が地表近くの層に埋まっていた。この証拠に依拠することなくキャプテン・ホールによって言われているような、湖の障壁の継続的な崩壊という説明は、まったく当てはまらない。

これらの段丘の外見は、特にウァスコにおけるものは、陸地の今日の形状の成因についてまったく関心を持たない者全ての関心を呼び起こすに十分に顕著なものである。平行で平らな線の多さ、その線の多くには谷の反対側のそれがちょうどぴったり対応していて、これは近接の山脈の不規則な輪郭によってよりいっそう異彩を放っているのである。

   《引用終了》

という記載が載る(訳注と補助訳の部分は省略したので、必ずリンク先を確認されたい)。モースが言っているのはこれを元にした「ビーグル号航海記」の一節と見て間違いあるまい。

「この写生図は『日本の家庭』にも出ている」(原注の箇所)以下、“Japanese homes and their surroundings”(1885)の原文、及び斎藤正二・藤本周一訳「日本人の住まい」(八坂書房二〇〇二年刊)の「第二章 家屋の形態」から当該の図54と、その前のこの元垂水行でのスケッチである図53及び当該図の本文の解説箇所を引用しておく。これはまさに本段落をよりよく理解するためには欠くべからざる、学術的にも翻訳著作権の侵害に当たらぬ正当なる引用であると信ずる。

Smai53

Fig. 53. — Shore of Osumi.

Sumai54

Fig. 54. — Farmers' Houses in Mototaru-midsu, Osumi.

 

   The country houses on the east coast of Kagoshima Gulf, in the province of Osumi, as well as in the province of Satsuma, have thatched roofs of ponderous proportions, while the walls supporting them are very low. These little villages along the coast present a singular aspect, as one distinguishes only tlic high and thick roofs. Fig. 53 is a sketch of Mototaru-midsu as seen from the water, and fig. 54 represents the appearance of a group of houses seen in the same village, which is on the road running along the gulf coast of Osumi. The ridge is covered by a layer of bamboo ; and the ends of the ridge, where it joins the hip of the roof, are guarded by a stout matting of bamboo and straw. In this sketch a regular New England well-sweep is seen, though it is by no means an uncommon object in other parts of Japan. Where the well is under cover, the well-sweep is so arranged that the well-pole goes through a hole in the roof.

   《訳文引用開始》

 大隅地方の、鹿児島湾東岸にある家々は、薩摩地方における場合と同様に、どっしりとした感じの草葺きであるが、その屋根を支える壁は非常に背が低く、屋根ばかりが異常に大きくて目立つ。ともかくこの沿岸ぞいに点在する小村落は、奇妙な様相を呈している。見えるのはただ高いずんぐりした屋根ばかりなのである。五三図は、海上から眺めた元垂水(もとたるみず)というところの風景である。また五四図は、同村の一画で、その独特な家のたたずまいを示している。蛇足ながらこの村は、大隅地方の鹿児島湾岸ぞいに走る街道に面している。これらの家の屋根の棟は、棟押(むねおさえ)に竹を使っており、棟の両端の上棟(あがりむね)は、竹と藁でできた丈夫な当て物によって防護している。この図(五四図)では、標準型のニューイングランド式撥釣瓶が見えている。これは、日本の他の地方においてもよく見られるものである。井戸に簡単な屋根が取り付けられている場合でも、水を汲み上げる竿は、屋根に開けられた穴を通るようにうまく作られている。

   《訳文引用終了》

いつものことながら、こちらの絵の方が生地で屋根の特殊な造りなどもよく分かる。]

M570

図―570

 

 図570では、一種の粗末な厩を示す。日本の馬は頭の方から馬房に入って行かず、尻の方から後むきに入れられる。

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