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2015/01/05

やぶちゃん版「澄江堂遺珠」関係原資料集成Ⅵ ■4 推定「第三號册子」(Ⅲ) 頁3

《頁3》

澄むこと知らぬ濁り江に

かがやかなりや支那金魚

わが 欲念のもなかにも

さこそはすぐる

 

[やぶちゃん注:これは「■3」の【頁21】【頁22】に生きた推敲が残る。]

 

心ふたつにまよひつつ

たどきも知らずわが來れば

まだ晴れやらぬ町ぞらに

怪しさ虹ぞそびえたる

 

[やぶちゃん注:「怪しさ」はママ。「怪しき」の書き損じではあるまいか? 後の《頁12》に、

 

たどきも知らずわが來れば

ひがしは暗き町ぞらに

怪しき虹ぞそびえたる

 

とある。そうしてこの抹消詩篇とほぼ相同のものが「■2」に出る。

 

心ふたつにまよひつつ

たどきも知らずわが來れば

まだ晴れやらぬ町ぞらに

怪しき虹ぞそびえたる

 

「怪しさ」以外は全く同一であることが分かる。ところがまたしても、これは生きた同一詩篇が現存資料には見当たらないのである。私はこれも、堀辰雄によって掘り起こされて補正され「てしまった」芥川龍之介の一篇であると考える。]

 

光は薄き橋がかり

靜はゆうに出でにけり

昔めきたるふりながら

君に似たるを如何にせむ

 

[やぶちゃん注:この抹消詩篇はほぼ全く相同のものが「■2」に出る。

 

光はうすき橋がかり

靜はゆうに出でにけり

昔めきたるふりながら

君に似たるを如何にせむ

 

「うすき」の漢字表記以外は全く同一であり、これもやはり遺憾乍ら、生きた同一詩篇が現存資料には見当たらないのである。堀辰雄による恣意的復元「未定詩稿」の一篇である。再度、言っておくが、私は抹消を抹消として復元したものであるなら、それは立派に芥川龍之介の「未定詩稿」であると肯んずるものである。しかし乍ら、堀辰雄のそれにはそうした一切の削除指示や解説も何もないのである。しかも前の一篇では「怪しさ」を「怪しき」に、ここでは「薄き」を「うすき」と堀が勝手に訂して知らんぷりして芥川龍之介の詩篇で御座いと投げ出したとしか思われないのである。このように杜撰な校訂は到底許されるものではないと私は考えるし、この「澄江堂遺珠」という極めてプライベートな――その詩篇の多くは私は有意に片山廣子への掻き毟るような恋情に裏打ちされていると考えている――(但し、総て、ではない。明らかに別なあの女性、かの女性へ向けたものもある。そして私個人の中ではその具体的な人名を名指しすことも可能である。孰れにせよ、これらの膨大な夢魔は、同時に芥川龍之介自身の複数の具体な女性(にょしょう)に対する夢魔であり、同時にまた、抽象的複合体としての「月光の女」に対する夢魔なのである)――詩篇に於いて、その抹消した詩篇やフレーズを安易に弄るという行為が(これは私にも言えることではあるが)、芥川龍之介の魂をどれほど痛めつけることになるかを考えると、やはり堀辰雄の「未定詩稿」の一部は、これ、到底、許すことが出来ないのである。]

 

しらべかなしき蛇皮線に

小翠花(シヤウスヰホア)はうたひけり

耳環は金にゆらげども

きみに似たるを如何にせむ

 

[やぶちゃん注:「小翠花」は京劇の名花旦として知られた別名、于連泉(Yú Liánquán ユィ リェンチュィアン うれんせん 本名桂森 一九〇〇年~一九六七年)を指す。但し、正しい芸名は筱翠花(しょうすいか)である。幼い時に郭際湘(芸名水仙花)に師事し、芸名を「小牡丹花」と名乗った。特に花旦の蹻功(きょうこう:爪先立った歩き方の演技を言うと思われる。)に優れていた。北京市戯曲研究所研究員を務め、晩年は中国戯曲学校で人材の育成に力を尽くした龍之介の「上海游記」の「九 戲台(上)」「十 戲臺(下)」にも記される京劇の花旦(huādàn:可愛い若い女性役の男優。)の名優である。《頁10》にも二つの推敲形が残り、「澄江堂遺珠」には、

 

しらべかなしき蛇皮線に

小翠花(セウスヰホア)は歌ひけり

耳環は耳にゆらげども

きみに似たるを如何せむ

 

で載る。「うたひ」が「歌ひ」となっているが、推敲形は悉く「うたひ」と平仮名である。私はこれについては、佐藤春夫によるおかしな補正が行われたのではないかと、深く疑っている。それは「小翠花」のルビ(読み)に関わる芥川の詩稿では一貫して「シヤウスヰホア」と記してある。それが「澄江堂遺珠」では何故、「セウスヰホア」となっているのか? これは「小」の日本語の音「ショウ」を歴史的仮名遣「セウ」で補正したとしか思われないのである。しかし、芥川はこの京劇役者の艶な響きを持った芸名の中国音「小翠花」(xiǎo cuì huā 正しい「筱」(篠)でも音は xiǎo )を忠実にカタカナに模そうとしたのではなかったか? それは芥川にとって「セウスヰホア」なんぞではなかったのだ!「シヤウスヰホア」であったのではなかったか?! という激しい疑義なのである。大方の御批判を俟つものではある。]

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