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2015/01/05

ただ若き日を惜しめ 杜秋娘作 佐藤春夫訳

  ただ若き日を惜しめ

 

       勸君莫惜金縷衣

       勸君須惜少年時

       花開堪折直須折

       莫待無花空折枝

            杜秋娘

 

綾にしき何をか惜しむ

惜しめただ君若き日を

いざや折れ花よかりせば

ためらはば折りて花なし

 

[やぶちゃん注:佐藤春夫「車塵集」より。

 原作者について「車塵集」は末尾に無署名乍ら佐藤自身の筆になる「原作者の事その他」という後書があるので、そこから引いておく(以下、「車塵集」ではこの注書を略し、※で挟んで示す。なお、底本自体が編者によって振り仮名が振られているので、それ以上に私が読み難いものに読みを現代仮名遣で振った。アンバランスなのは最後に説明する)。

    ※

杜秋娘西曆七世紀初頭。唐。もと金陵の娼家の女。年十五の時、大官李錡(りき)の妾となった。常に好んで金縷曲(きんるきょく)――靑春を惜しむ歌を唱えて愛人に酒盞(しゅさん)を酭めた。ここに譯出したものが今に傳わっているが、「實情」「須惜」「堪折」「須折」「空折」など疊韻のなかに豪宕(ごうとう)な響(ひびき)があるというのが定評である。李錡が後に亂を起して滅びた後、彼女は召されて宮廷に入り憲宗のために寵せられた。その薨去の後、帝の第三子穆宗(ぼくそう)が即位し、彼女を皇子の傅姆(ふぼ)に命じた。その養育した皇子は壯年になって漳王(しょうおう)に封ぜられたが、漳王が姦人のために謀られ罪を得て廢削(はいさく)せられるに及んで彼女は暇を賜うて故郷に歸った。偶々(たまたま)杜牧が金陵の地に來てこの數奇にも不遇な生涯の終りにある彼女を見て憫れむのあまり杜秋娘詩を賦したが、それは樊川(はんせん)集第一卷に見られる。

    ※

 この小伝について疑問があるので簡単に注しておく。

・「酭めた」というのは、私は実は不遜にも誤字ではないかと疑っている。「酭」(音ユウ)という字は「報いる」の意で、とても読めない「廣漢和辭典」にも載らない字である(だのに底本にはルビが振られていないのは如何にも不審ではないか?)。ところが、ここに、よく似た字体で「酳」(音イン)があり、これは「すすめた」と読めるのである。大方の御批判を俟つ。

・「豪宕」気持ちが大きく、細かいことに拘らず、思うがままに振る舞うこと。「豪放」に同じい。

・「傅姆」乳母。

   *

 「車塵集」(昭和四(一九二九)年九月武蔵野書院刊)は正しくは頭に「支那歷朝名媛詩鈔 車塵集」と冠りし、扉(底本の)表題の左下には、

 

 芥川龍之介が

 よき靈に捧ぐ

 

という二行分かち書きの献辞を持つ(芥川龍之介の自死は先立つ二年前の昭和二年七月二十四日)。非公式の情報であるが、佐藤春夫のこの漢詩訳詩集は実は芥川龍之介と共著とする予定であったという記載をネット上で見かけた。この献辞はその可能性をよく伝えるもののように思われる。その場合、どんなものになったのか、想像するだけでも心惹かれるものがある。――

    *

 扉裏(底本の)には、

 

濁世何曾頃刻光

人間眞壽有文章

     薄少君悼夫句

 

とある。この後に門弟で中国文学者の奥野信太郎の序文が入る(著作権継続中につき、省略)。彼は本訳詩集の原典紹介の協力者である(但し、出版当時は未だ慶応の学生であった)。

    *

 奥野の序文の終わった頁の裏右頁(底本では)には、

 

美塵香骨

化作車塵

  「楚小志」

 

と記す。次より本文で、第一篇が杜秋娘の訳詩「ただ若き日を惜しめ」となる。

   *

 底本は講談社文芸文庫一九九四年刊佐藤春夫「車塵集 ぽるとがる文」を用いたが、恣意的に漢字を正字化した。こうすると、私には生理的に虫唾の走る事態となることは百も承知である。実はこの底本の親本である講談社版「佐藤春夫全集」自体が新字新仮名採用であるらしい。その関係上、漢字は正字で仮名遣は現代仮名遣となってしまう(特に原作者小伝で顕著)。しかし、かといって私は漢詩をおよそ新字なんぞで示したくはない。向後、初出原本を入手した際には、全篇を正しく補正するとして、この私のブログ版では、どうか、この混在表記を御寛恕願いたく存ずる。なお以下、佐藤春夫「車塵集」より引用は総てこれに基づくので以下では、この一段全部の注を略す。]



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