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2015/01/13

耳嚢 巻之九 形に不似合憶病者の事

 形に不似合憶病者の事

 

 文化五年二月十七日、しれる人、淺草觀音へ參詣いたしけるに、上野より淺草の間、別(べつし)て人群集なしける中に、年頃四拾斗(ばかり)にて頰骨荒れたくましく、髮は惣(さう)はつの大たぶさにて、すぐれてゆき短(みぢか)の小袖、丈け短き袴を着し、袖なしのぶつさき羽織、朱鞘(しゆざや)の大小を横たへ、小兵(こへう)なれど刀の長き事五六尺ばかり、廣德寺前の種物(たねもの)あきのふあたりを通りけるに、家中の侍體(てい)の武家三人、若黨(わかたう)草履取(ざふりとり)召連(めしつ)れ行違(ゆきちが)ひけるに、草履取彼男の刀を見て、扨もけしからぬ長刀(ちやうとう)かなと獨言(ひとりごと)いゝしを、かの男をし止(とど)め、武士の刀を嘲弄する事の可有哉(あるべきや)、討捨(うちすて)くれんと、刀の束に手を懸け大(だい)の眼(まなこ)をいからしければ、草履取大(おほい)に恐れ地に手を突(つき)て、何分御免あれと佗(わび)けれども、中々合點せず。若黨も立戻(たちもど)り、此間(このあいだ)田舍より召抱(めしかかへ)しものなれば、麁言(そげん)申(まうし)候はゞ宥免(いうめん)あれと侘ければ、彼男主人の名をたづねんと申けれど、主人の名前申さんもいかゞと、行過(ゆきすぎ)し主人に追ひ付(つき)、しかじかと語りける故、主人三人共(とも)立戻り、兩人は彼男の左右に立(たち)、壹人は前に來りて小腰をかゞめ、家來麁言申候儀、不調法の至り、何分用捨に預り度(たし)と丁寧に申けれど、何分勘忍なりがたきと答ふ故、然る上は御十分になさるが宜(よろしく)候、しかし江戸廣しと申せども、かゝる長き刀を帶(たい)せる人は是迄見候事も無之(これなく)、下郎が麁言申せしもことわりに候はんか、斯迄(かくまで)長き刀は御覺(おんおぼえ)有(あれば)こそ御帶(おんたい)しも候はん、我等もかたの如き短き刀を帶(たい)し候得共(さふらえども)、短きなりに覺ありて帶し候、我等家來を御討捨(おんうちすて)と承り、さまざま御佗を申、御承引なくば是非に不及(およばず)、我等御相手可罷成(まかりなるべし)、如何に如何にとさし寄せければ、彼男にがり切(きつ)たる顏色にて一言も出さず。其時彼藩中の侍、かく申に御挨拶無之(これなく)、御無言に候上は、御承引被下(くだされ)候事と有るなり、左あらば參り申さん、皆々來るべしと、同道は不及申(まうすにおよばず)、若黨並(ならびに)草履取共引連れ行去(ゆきさ)りぬ。彼男は手持(てもち)ぶさたなる顏色にてそろそろ歩行(ありき)しを、群集の者口々に、長刀の大(おほ)たわけ大馬鹿ものと、種々惡言(あくげん)申かくれど、群集の中なれば誰(たれ)相手ともしれざれば詮方なく、憖(なまじひ)異風の形なれば逃隱(にげかく)る事もならず、見苦しさ云(いは)ん方なし。漸(やうやう)細き横道に這入(はひいり)、足早にいづちへか逃去(にげさ)りぬ。げにや外に餘りある者は内にたらずと、古(いにしへ)の人いゝしも、かゝる事ならむかし。

 

□やぶちゃん注

○前項連関:事実奇譚で軽く自然な流れで連関。棕櫚のお化けみたような頭に、手足の半分が丸見えになったちんちくりんの上下を着し、朱色のド派手な鞘の異様に長い大小を差した、背もついでにちんちくりんのちょっと老けた傾奇(かぶき)者のとんだ嘲笑譚である。江戸の庶民の如何にも楽しそうな明るい笑い声が聴こえてくる好きな笑話である。

・「不似合」「にあはざる」と読む。

・「文化五年二月十七日」「卷之九」の執筆推定下限は文化六(一八〇九)年夏。日付まで入れてあるのは珍しい。

・「髮は惣はつの大たぶさ」「惣はつ」は「惣髪」で総髪とも書き、「そうごう」「そうがみ」とも呼んだ、男子の結髪の一つ。月代(さかやき)を剃らずに、髪を伸ばした、その髪の毛総てを頭頂で束ねて結ったもの。近世では主に儒学者・医師・山伏などが結った髪形。「大たぶさ」は「大髻」と書き、「髻」(たぶさ/もとどり/みずら 音ケツ/ケイ/ケ/ケチ)は髪を頭上に集め束ねた所で、ここは束ねたそれが豊かで大きいもののことをいう。

・「ゆき」「裄(ゆき)」で、着物の背縫いから肩先を経て袖口までの長さ。肩ゆき。

・「ぶつさき羽織」打裂羽織(ぶっさきばおり)。帯刀に便利なように背縫いの下半分を縫い合わせていない羽織。武士などが乗馬・旅行の際などに用いた。

・「五六尺」約一・二~一・八二メートル。

・「廣德寺」浅草山谷町(現在の台東区東浅草二丁目)にある浄土宗大運山西照院広徳寺。増上寺末寺で天文二一(一五五二)年に創建された。この寺は、浅草寺の北北東、直線でも一キロメートル強離れた場所にある。町域の北部が吉原に向う日本堤に接しているから、相応に繁華な地であったことが窺われる。

・「種物」冬場保存しておいた植物の種子。野菜や豆類の種がこの辺りで商いされていたらしい。

・「若黨」特に身近に置いた若い側近の家来。

・「草履取」武家の下僕の一人。主人の外出の際に草履を揃え、切れた際のために替えの草履を持って供をした者。

・「侘」他の二箇所とともに底本では右に『(詫)』と訂正注がある。

・「憖(なまじひ)」のルビは底本編者によるもの。

 

■やぶちゃん現代語訳

 

 傾奇(かぶ)いたる姿形に似合わぬ憶病者の事

 

 文化五年二月十七日のこと、私の知れる者が、浅草観音へ参詣したが、その折りに実見致いた話を以下に再録致す。

 

……折りから、上野より浅草の間、何時にも増して人が群集(ぐんじゅ)なしておった中に、年の頃、もう四十ほどにもなろうかという、顴骨(かんこつ)の尖(とん)がり出た悪相も逞しい、髪は惣髪(そうはつ)の大髻(おおたぶさ)にて、驚くほど裄(ゆき)短かの小袖(こそで)に、これまた丈(たけ)のちんちくりんな袴を着し、袖無しの打裂羽織(ぶっさきばおり)を引っ掛け、毒々しい朱鞘(しゅざや)の大小を殊更に横向きに佩いた――背(せえ)は、これ。ついでにやっぱり、ちんちくりんの――男が、往来を我が物顔に闊歩致いておるのと同じき方へと歩んで御座った。

 こ奴、小兵(こひょう)のくせに、刀の長いことというたら、これ、実に五、六尺もある物干し竿の如き本差(ほんざし)で御座った。

 そ奴が、広徳寺前の種物(たねもの)を商(あいきの)うお店(たな)が並んでおる、あの辺りを通った時で御座る。

 相応の格式と思しい御家中の侍と見える御武家三人が若党・草履取りらを召し連(めしつ)れたのと行き違って御座ったが、その草履取り、かの傾奇(かぶ)いたる男の刀を見て、

「……なんと、まぁ、けったいな長刀(ちょうとう)やなあ……」

と独り言を呟いて御座った。

 それを聴き及んだかの傾奇者(かぶきもの)、その草履取りの男の袖を、ぐいっと摑んで押し止め、

「――武士の命たる刀を嘲弄すること、これあるべきやッ! 討ち捨てくれんッツ!」

と息巻いて、刀の束に手を掛け、どんぐり眼(まなこ)を裂けんばかりに見開いて怒らしたによって、草履取りは、大いに恐れ、地べたに手を突いて、

「……な、何分、ご、ご容赦下さりませぃ!」

と詫びをなしたれども、傾奇者、これ、なかなかに合点致さぬ。

 先に歩いておった若党も、この騒ぎに気づいて、すぐに立ち戻ると、傾奇者に謝して、

「――この奴はつい先だって、田舎より召し抱えたばかりの者なれば――沮喪(そそう)なる物謂いを成して御座ったとならば、どうか、ここは平(ひら)に御宥免(ごゆうめん)のほど、あれかし!」

と、誠意を込めて、ともに詫びたと申す。

 すると、男は、

「御主(ごしゅ)の御名(おな)をお訊ね申さん!」

と申した。されど、このような場所と仕儀にあって、主人の名前を口に出だすということは、これ、憚られたによって、直接に告げ知らすに若くはなし! と、

「――しばしお待ち下されませ!」

と断りを入れた上、既に遙かに行き過ぎて御座った主人に追いつくと、しかじかの由、語ったところが、主人ら三人ともに立ち戻って、二人は、かの傾奇者の左右に立ち、草履取りの主(しゅう)たる一人が前に徐ろに立って、小腰をかがめ、傾奇(かぶき)に対し礼を成しつつ、

「――家来の者、沮喪なる物謂いを申し候儀、不調法の至り。――何分、御容赦に預りとう存ずる。」

と丁寧に申した。ところが、傾奇(かぶき)は、

「――うんにゃ! 何分、勘忍、な、り、が、た、し、じゃ!……」

と憎々しげ答えた。

 すると、

「――なるほど。相い分かり申した。――しかる上は、どうか、貴殿の御気持ちのままに、御十分になさるるが宜しゅう御座ろう。――しかし、江戸広しと申せども、かかる長き刀を帯(お)びたる御仁は、これまで我らも、一度も見申し上げたこと、こ、御座ない。我らが下郎(げろう)が沮喪にも申せしも、これ、理(ことわ)りにあらんかと存ずる。……さても。かくまで長き太刀をお佩きになられておらるると申すは、これ、剣の御覚え、相当のあらるればこそ、かくは帯(たい)しておらるるものと拝察仕った。我らは、このの通り、普通の、短かき刀を帯(たい)しては御座れど、短かきなりに、拙者も腕に覚えの御座って帯(お)びて御座る。我ら家来を御討ち捨てにならるると承り――また、さまざま御なる詫びを申したにも拘らず――それにても御宥免御承引なきとならば――是非に及ず!――我ら、この我らが草履取りの代わりとして――御相手、仕らん! さあ、如何に! さッさ、如何にッ!」

と、

――ずいっ

と! 傾奇の鰓顔(えらがお)に寄り迫ったところが、

……かの男は……

……これ……

……すっかり苦り切った顏色にて……

……しかもこれ……

……一言も言うこと……

出来ずに、ただただ俯いて、歯嚙み致いておるようで御座った。

 すると、かの藩中の侍で男の横に立って御座った一人が、

「――かくも申し上げたるに――御挨拶も、これなく、御無言にておらるると申すは、これ、御宥免、御承引下されたものと、受け取ってよろしいかと存ずる。さ。されば皆、参ろうではないか。」

と言挙(ことあ)げ致いたによって、同道の今一人、今にも刀を抜かん勢いにて御座った傾奇の正面に立っておったる御仁の二人は申すに及ばず、若党並びに草履取りともども皆々引き連れ、浅草寺の賑わいの方へと悠々と去りなして御座った。

 さて、かの中年の傾奇者(かぶきもの)はと申せば、

……手持無沙汰なる顔色にて……

……そろうり……そろそろ……

……びくつくように……

……街路の真ん中で……

……阿呆面(あほづら)提げたまま……

……あっちへうろうろ……こっちへうろうろ……

と致いて御座ったれど……そのうち……あっちからも……こっちからも……

「長刀(ちょーとう)の大(おー)たわけじゃ!」

「傾奇(かぶき)被(かぶ)った鰓張(えらば)りちんちく!」

「……打裂(ぶっさき)の面子(めんつ)も一気にぶっ裂けて……」

「……袖なし意気なし胆(きも)なっしー……」

「大(おー)たぶさの、大臆病(おーおーくびょう)!」

「赤鞘赤っ恥(ぱじー)いの! お、お、ば、か、モンじゃあ!……」

と、これまた、周囲の群集(ぐんじゅ)の者たち、口々に、いろいろなる、ありとある罵詈雑言、これ、奴(きゃつ)に浴びせかけ始めて御座った。

 この頃には、野次馬も最高潮に集まっておったればこそ、足の踏み場もなきほどに群集(ぐんじゅ)致いた中のことなれば、どこの誰がどの悪罵を申したかは申すに及ばず、言いかけたる相手がどの辺りにおるかさえも定かならねば、せん方なく、また、なまじいに異風の形相(ぎょうそう)・着衣なればこそ、逃げ隠るることもままならず、端(はた)で見ておっても、まっこと、その見苦しきこと、これ、言いようも御座らなんだ。

 そのつまらない奴は、身動きもし難き大群衆の中を泳ぐようにして、ようよう、近くの人気なき細き露地へとこそこそと這い入ったかと思うと、一目散に、何処(いづこ)かへと逃げ去って御座った。

……げにも、『外見に威勢を張らんとする者はその身に於いて頗る気の弱い者なり』と、古えの人の言うたも、これ、このようなことを申すので御座いましょうかの……。

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