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2015/01/15

北條九代記 卷第七 降霜石降冬雷 付 將軍家御臺所御輿入

      ○降霜石降冬雷  將軍家御臺所御輿入

 同七月十六日には、霜の降る事冬の如し。八月六日には日中より雨降り出で、瀉(うつ)すが如なりければ、洪水、俄(にはか)に漲りて、河邊の居民等家共(いへども)押流され、溺死(おぼれし)する者數知らず、古老の輩(ともがら)、未だかゝる洪水は例(ためし)をも聞及ばすとぞ申合ひける。同八日には、申刻より大風吹出でて、雨交りにして、夜半に及ぶ。草木の葉は枯落ちて、冬の氣(き)の如く、五穀損亡して、萎伏(しほふみ)したり。九月八日の申刻より、寅〔の〕時に至るまで少の休む時もなく、大風吹起り、御所中を初て、諸寺、諸社の鳥居、寶殿(はうでん)、武家、民屋(みんをく)、悉く破損顚倒す。只事とも思はれず。陸奥国芝田(しばたの)郡には、石の降る事、雨の如く、その大さは柚柑(ゆかう)の勢(せい)にて、細く長し。下道二十餘里の間に、馬人鳥類(てうるゐ)、打たるゝ者、數知らず。又、十一月十八日に、鎌倉の邊(あたり)、風雨頻(しきり)にして、申刻より夜に至り、大風大雨、大雷(おほがみなり)に、諸人、魂(たましひ)を惱ませり。冬至の日に、雷鳴(いかづちな)る事は希代(きたい)の變異なり。十二月五日には、客星(かくせい)西に見ゆ。是等の災變、只事ならず。飢饉疾疫兵亂の瑞兆なりと、京都、鎌倉共に申しければ、旁々(かたがた)、御愼深く、樣々の御祈禱あり。今年、將軍家十三歳、御嫁娶(よめどり)のこと御沙汰あり。故將軍賴家公の御娘(おんむすめ)竹御所(たけのごしよ)とておはしける、御年二十八にならせ給ふを、將軍賴經公の御臺所と定めらる。十二月九日、今日吉日なり。早卒(さうそつ)の密儀なれば御輿(みこし)に召されて、小町口(こまちぐち)より入り給ふ。式部〔の〕大夫政村、大炊〔の〕助有時、以下、布衣(ほい)にて馬に乘りたり。相摸守時房、武蔵守泰時は、狩衣にて供奉せらる。物靜なる御有樣、後(のち)は知らず、めでたかりける御事なり。

[やぶちゃん注:「吾妻鏡」巻二十七の寛喜二(一二三〇)年七月十六日、八月六日・八日、九月八日、十一月八日・十八日、十二月五日の天変地異の記事、及び同年十二月九日の竹御所の将軍頼経へのお輿入れの記事基づく。今回も特に「吾妻鏡」原文を引く必要は私は感じない。

「降霜石降冬雷」「かうさういしふりふゆがみなり(こうそういしふりふゆがみなり)」と読む。

「同七月十六日」の「同」は前章の最初の(後ではない)同じ夏に降雪(寛喜二(一二三〇)年六月十六日)という天変地異の起こった寛喜二年を指すので注意されたい。因みにグレゴリオ暦換算では九月一日である。

「八月六日」グレゴリオ暦換算九月二十一日。

「瀉(うつ)す」流れ注ぐ。「瀉」は水や液体が内から外へ又は上から下へ移ることをいう。「うつす」という訓が実際にある。

「九月八日」グレゴリオ暦換算十月二十二日。

「申刻」午後四時頃。

「萎伏」訓も含め、特殊な用例と思う。植物が枯れて(但し、水気を含んでずくずくになり、萎えて倒れるの謂いであろう。

「寅時」午前四時頃。

「陸奥国芝田郡」現在の宮城県柴田郡柴田町。

「柚柑」ムクロジ目ミカン科ミカン属ユコウ Citrus yuko 。果実はユズよりやや大きく、香気が強いことから(柚香はそれに由来)。自然交雑によって生まれたユズ Citrus junos の変種で日本原産であるが、本邦では四国を中心に栽培が盛ん。「吾妻鏡」では『大如柚』(大いさ、柚のごとし)であり、宮城県であることから、これはユズ Citrus junos でよいように思う。

「下道」鎌倉街道下道(しもつみち)。推定される道筋は鎌倉から朝夷奈切通を越えて、六浦津より海路で房総半島に渡り、東京湾沿いに北上して下総国府・常陸国に向かうものの他、房総半島に渡らずに武蔵国側の東京湾沿岸を北上する道筋を、かく呼称する場合もあり、ここは後者の謂いで筆者は使っているものと思われる(以上はウィキ鎌倉街道」に拠る)。

「二十餘里」二十里は七十八・五四キロメートルであるから、八十~百キロメートル前後であるが、現在の宮城県柴田郡柴田町―鎌倉間は直線距離でも有に三百キロメートルを超える。ここはそこに向う武蔵国辺縁までの、比較的、アップ・トゥ・デイトに情報が入り易い地域を限定したものであろう。

「勢」それになんなんとするような勢い、大きさ。

「冬至の日」教育社の増淵氏の現代語訳では、この十一月十八日を冬至とする。グレゴリオ暦換算では十二月三十日であるが、それが当年の確かな冬至であるかどうかは確認出来なかった。文脈上はそういう叙述にはなってはいる。

「十二月五日」グレゴリオ暦換算では翌一二三一年一月十六日に相当する。

「客星」箒星。彗星のこと。

「竹御所」(建仁二(一二〇二)年-~天福二(一二三四)年)は頼家の娘で殺された一幡の同母妹、公暁の異母妹に当たる。この時、実に十五歳歳下の第四代将軍藤原頼経に嫁いだ。

「大炊助有時」北条有時。泰時の異母弟。「大炊」は「おほいのすけ(おおいのすけ)」で、元来は宮中で行われる仏事・神事の供物及び宴会でに於ける宴席の準備・管理を分掌する役職の名。

「布衣」布製の狩衣。

「後は知らず、めでたかりける御事なり」とは如何にも――いやな感じ――の謂いである。ウィキの「藤原頼経から引いておく(アラビア数字を漢数字に代えた)。『北条義時・政子姉弟の担ぎ挙げた傀儡将軍であり、加えて天福二年(一二三四年)には正室・竹御所が死去したこともあり、将軍としての実権はなかった。しかしながら、年齢を重ね官位を高めていくにつれ、義時の次男・朝時を筆頭とした反得宗・反執権政治勢力が頼経に接近し、幕府内での権力基盤を徐々に強めていく。また、父の道家と外祖父の西園寺公経が関東申次として朝廷・幕府の双方に権力を振るい始めた事も深刻な問題と化してきた。特に北条氏との関係に配慮してきた公経が死去し、北条氏に反感を抱く道家が関東申次となると道家が幕政に介入を試みるようになってきた。そのため、頼経と執権・北条経時との関係が悪化し、寛元二年(一二四四年)経時により将軍職を嫡男の頼嗣に譲らされた』が、『翌寛元三年(一二四五年)鎌倉久遠寿量院で出家、行賀と号する。その後もなお鎌倉に留まり、「大殿」と称されてなおも幕府内に勢力を持ち続けるが、名越光時ら北条得宗家への反対勢力による頼経を中心にした執権排斥の動きを察知され、執権時頼により寛元四年(一二四六年)に京都に送還、京都六波羅の若松殿に移った。また、この事件により父道家も関東申次を罷免され籠居させられた(宮騒動)』。『その後、宝治元年(一二四七年)三浦泰村・光村兄弟が頼経の鎌倉帰還を図るが失敗する(宝治合戦)。また、建長三年(一二五一年)足利泰氏が自由出家を理由として所領を没収された事件も、道家・頼経父子が関与していたとされる。建長三年(一二五二年)、頼嗣が将軍職を解任され、京都へ送還された。まもなく父・道家は失意の内に没した』。そして、彼自身もその四年後の康元元(一二五六)年八月、『赤痢のため三十九歳で京都で死去』し、翌月には息子の頼嗣も死去してた。『この頃、日本中で疫病が猛威を振るっており、親子共々それに罹患したものと思われるが、奥富敬之は九条家三代の短期間での相次ぐ死を不審がり、何者かの介在、関与があったのではないかと推測している』とある。]

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