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2015/02/02

耳嚢 巻之九 蜘蛛の怪の事

 蜘蛛の怪の事

 

 水野の若州(ぢやくしふ)大阪勤(づとめ)の内、御役宅火の見の椽下(えんのした)に夜々(よよ)光りものありと、近習の者抔、代る代る心を附(つけ)て見しに、晝は左もなし、夜に入(いり)て兎角に光りありといゝしが、日數へて或時一束(ひとつか)の丸(まろ)き光りもの、右場所を放れて四五軒餘飛びて馬場へ落(おち)しを、近習の輩(ともがら)追駈(おひかけ)て見しに、馬場成(なる)石の上へ落てくだけ散(ちり)しが、其邊は不殘(のこらず)蜘(くも)なりし由。大小數千疋ともいふべき、何故光りあるや、飛ぶも又怪しと語りぬ。

 

□やぶちゃん注

○前項連関:なし。本格怪談物。岩波版長谷川氏注に、『蜘蛛が鏡のように光って人を捕ることが』寛文六(一六六六)年刊の浅井了意の「御伽婢子」(おとぎぼうこ)の巻之六「蛛の鏡」にあるとある。「御伽婢子」は私の好きな仮名草子であるが、少し長いので、訳の後に補注で示しておいた。

・「水野の若州」水野若狭守忠通(ただゆき)。既注。岩波版長谷川氏注によれば、彼は寛政一〇(一七九八)年三月より文化二(一八〇五)年八月まで大坂町奉行であったとある。大坂町奉行は東西にに分かれており、彼は東町奉行であった。「卷之九」の執筆推定下限は文化六(一八〇九)年夏であるから、また比較的近い都市伝説に戻っている。

・「四五軒餘」七~九メートルほど。

・「何故光りあるや」クモ類で生体発光する種というのは少なくとも私は本邦では聴いたことがない(洞窟内で発光バクテリアなどが付着していたとか、光沢が強くしかも草色の明るい色のクモ類を光っていると誤認したケースは別)。クモ類の殆んどは八個の単眼を持っており(種によっては六個或いは四個のものもいる)、これが薄暗い場所で光を集光して光るケースはまま見る。さらに言えば、これが縁の下暗がりで、そこの土壁部分や土台板にクモの大きな卵嚢(後注参照)が形成されていた場合、観察者の見えない位置から縁の下に差し込んでいる陽光を、この密集したクモの糸の塊が、それをたまたま鏡のように反射していた考えることは、決して非科学的なことではないと考える(但し、この手の卵嚢を作っている糸は必ずしも我々が戸外で普通に見るような、はっきりと陽に輝く蜘蛛の巣の構成糸とは異なるようには思われる)。

・「飛ぶも又怪し」クモ類の幼虫や一部の成虫が糸を使って空を飛ぶ「Ballooning」(バルーニング)は、現在ではかなり知られた現象であり、本話もその円形の物体(以下に述べる卵嚢の周囲に団居した形状に酷似する)実見印象に基づく可能性が非常に強い。以下、ウィキの「バルーニングから引く。『クモ類は一腹の卵を糸で包んで卵嚢を作る。卵が卵嚢内で孵化すると、一令幼虫は卵嚢内に止まり、もう一度脱皮して二令になって初めて出てくる。多くのクモ類ではしばらくの間はこの卵嚢の周囲に子グモが集まって過ごす。これを「まどい(団居)」と呼ぶ。その後、子グモは分散して行く訳であるが、この時、かなりのクモが飛行する。これをバルーニングと呼ぶ』。『バルーニングを行うクモでは、まどいの後の子グモは、それぞれに周囲の草や木の上に向かって上って行く。この先の行動は大きく二つに分かれる。原始的なジグモ』(クモ綱クモ目クモ亜目ジグモ科ジグモ属 Atypus )『などは子グモが糸を出してその先にぶら下がり、風に吹かれて糸が切れると、そのまま風に乗って飛んでいく。多くの高等なクモでは草や木の先端に出ると、体を持ち上げ、腹部を上に向け、糸疣から数本の細い糸を出し始める。糸は上昇気流に乗って吹き上がり、やがてクモが脚を離すと、そのまま空中へ吹き上げられる。ちょうどタンポポの種子のような格好である』『多くのクモではこの飛行はごく幼い時期のみに限られるが、小型である』サラグモ科コサラグモ亜科 Erigonidae のコサラグモ類、例えばアカムネグモ属セスジアカムネグモ Ummeliata insecticeps 『などは、成虫も飛行することがある』。これらの飛行は『時に長距離になり、航空機に網をつけるとクモが取れるとか、大洋の沖合で船にクモの糸が引っ掛かったといった報告が聞かれることもある。このことはこの方法がクモ類にとって分布拡大に大きな力になることの証拠と言ってよい。実際、生物がいない区域に真っ先に侵入する生物の一つは、まず間違いなくクモである。空中の生物を調べるために、高いところへ網をかける調査が行われた場合も、往々にしてクモが引っ掛かってくる』。『この空中飛行のため、バルーニングを行うクモ類は、非常に分布の範囲が広くなっている場合がある』ため、新種同定に躊躇する場合があるという。『例えば移動能力に乏しい陸産貝類であれば、せいぜい日本周辺の文献を当たって、そこで該当するものがなければおおよそ新種と判断できるが、クモの場合はアジア全域の文献を当たるくらいでないと危ない』とも言われるほど、こうしたバルーニングによる分布拡大が意想外に広いらしい。『実際、南西諸島で見つかった未知種が、やっとその正体が分かって見れば、インドで見つかっていたものだったなどという例がある』とある。『その結果として、このような長距離移動を行うクモでは、地域による変異を生じにくいようである。他方、バルーニングを行わないクモでは、地方変異が多く見られる例もある』。『クモの子が木に登る際の通り道になった部分は、白いリボンがかけられたかのように、糸の帯となって残る場合があり、人目を引くこともある。さらに、飛んで行ったクモの出した糸が吹き寄せられると、綿くずの固まりのようになり、多くの人を驚かすまでになる。たとえば、不審な綿くずのようなものがそこいらを飛んでいる、とか、木々や建物に引っ掛かっている、という目撃談を生じる』。『この現象は古くから人目を引き、西洋ではゴッサマー(英:gossamer)と呼ばれ』、十三世紀ころから既に伝えられており、『シェークスピア等にも言及した部分がある。これがクモの子であることが判明したのは』十七世紀以降で、中国では「遊糸」と呼ばれ、五世紀頃には漢詩などに現われ、十二世紀になってやっと『その正体がクモである旨の記載がある。日本では、東北地方の一部で雪迎え(秋のもの)、雪送り(春のもの)などと称する』が、これがこうした蜘蛛のバルーニングであることは、やっと昭和一四(一九三九)年に『東北大学の岡田要之助の発表で知られるようになった』ものである。『他に、空中を飛んでくる綿毛様のものとして伝えられているものにエンジェルヘアー、しろばんば、ケサランパサランなどがあり、それらの正体もこれではないかとの説もある。ただし、その一部は』有翅亜綱半翅(カメムシ)目腹吻(ヨコバイ)亜目アブラムシ上科アブラムシ科 Aphis 属ワタアブラムシ Aphis gossypii などと混同されている傾向も見られる(所謂、「雪虫」である。これはアブラムシ上科 Aphidoidea の中で白腺物質を分泌する腺が存在するものの通称で、体全体が綿で包まれたような状態で空中を流れるように飛翔する。「雪虫」という呼び方は主に北国での呼び名で、他に「綿虫」「オオワタ」「シーラッコ」「シロコババ」「オナツコジョロ」「オユキコジョロ」「ユキンコ」「しろばんば」といった俗称がある。体長は五ミリメートル前後。アブラムシ類は通常、羽のない姿で単為生殖によって多数が集まったコロニーを作るが、秋になって越冬する前などに羽を持つ成虫が出現し、交尾をして越冬卵を産む。この時の羽を持つ成虫が蝋物質を身に纏って飛び、その姿が雪を思わせるのである。アブラムシの飛ぶ力は弱く、風に靡いて流れるため、なおのこと、雪を思わせると言える。しかも北海道では初雪の降る少し前に出現するように感じられることが多いことから、冬の訪れを告げる風物詩ともなっている。この部分はウィキ雪虫に拠った)『日本では歌人としても業績を残したクモ研究家の錦三郎が、山形県南陽市をフィールドに、この地の泥炭湿地で観察される「雪迎え」現象について詳しい研究を行っている』とある。

 

■やぶちゃん現代語訳

 

 蜘蛛の怪の事

 

 水野若狭守忠通(だだゆき)殿が大坂東町奉行を勤めて御座った先頃のことで御座った由。

 

「……役宅に御座った火の見櫓の縁の下に、これ、夜な夜な、妖しき光り物のあると、これ、噂、しきりなれば、近習(きんじゅう)の者なんどが、代わる代わる、特に、その辺りを注意致いて警備して見廻って御座った。

 されど、これ、昼のうちは、どうということも御座らなんだ。

 ところが、夜になると、しきりに光っておる、との話。

 日数(ひかず)経たある日のこと、この縁の下から、一塊(ひとかたまり)の丸(まろ)き光り物が、これ、そこより突如、飛び出だいて参り、そうさ、四、五軒あまりも飛んで、邸内の馬場へと落ちた。

 されば、近習の者らが、すわ! っと、それを追い駈けて参って、これ、よく見てみたところ……その馬場にあった石の上へ……その光り物、これ、墜ちて御座って、散々に砕け散って御座った。

 ところが……これ……その辺り、一面……

――蜘蛛だらけ

であった。

 その数たるや、そうさ、

――大小合わせて

――数千匹もおった。……

 

「……何故(なにゆえ)、それが、光りを放って御座ったものか……またそれが、「飛ぶ」と申すも、これまた、如何にも妖しきことで、御座った、の。……」

と、水野殿の直談で御座る。

 

[やぶちゃん補注:先に示した浅井了意「御伽婢子」巻之六「蛛(くも)の鏡」の全文を試みに引いておく(底本は松田修・渡辺守邦・花田富二夫校注になる新日本古典文学大系「伽婢子」に拠ったが、恣意的に正字化した。踊り字「〱」は正字化した。一部の読みを省略し、一部に私が読みを歴史的遣に訂し、他にも読みをと読点を追加した)。

 

 蛛(くも)の鏡

 

 永正(えいしやう)年中の事にや、越中の國砺並(となみ)山のあたりにすむものあり。常に柴をこり、山畑(やまばた)を作り、春は蠶(かひこ)をやしなふて、世を渡る業(わざ)とす。蠶する比は猶(なほ)山深く入(いり)て、桑の葉を買(かひ)もとめ、夏に至れば又山中の村里をたづねめぐり糸帛(いとわた)を買あつめ、諸方に出しあきなふて利分(りぶん)をもとむ。山より山をつたひて、ふかく分入(わけいる)ところ、谷ふかく水みなぎりて渡りがたき所おほし。或は藤かづらの大綱を引(ひき)わたし、苔の兩岸の岩ね・大木につなぎをく。道行(みちゆく)人、この綱にとりつき、水を渡る所もあり。しからざればみなぎる水、矢よりはやくしておしながされ、岩かどにあたりてくだけ死す。あるひは東の岸より西の岸まで葡萄蔓(ぶだうづる)の大綱を引はり、竹の籠(かご)をかけ、道行人をこれにのせ、向ひより、かごを引よする。その乘(のる)人もみづから綱(なは)をたぐりてつたひわたる。もし籠の緒(を)きれおつれば、谷のさかまく水にながれ、岩にあたりて死する所もあり。

 五月の中比(なかごろ)砺並(となみ)の商人(あきんど)、絲帛を買(かふ)ために山中ふかくおもきしに、さしも、けはしき谷にむかひ、岸は屛風をたてたるがごとく、水は藍(あゐ)をもむに似て、大木、はえしげり、日影もさだかならぬに、谷のかたはらに徑(わたり)三尺ばかりの鏡(かゞみ)一面(ひとおもて)あり。その光り、かゝやきて、水にうつりてみえたり。「かのもろこしにきこえし、楊貴妃帳中(ちやうちう)の明王鏡(みやうわうけい)、汴州(べんしう)張琦(ちやうき)が神恠鏡(しんくわいけう)といふともこれにはまさらじ。百練のかゞみこゝにあらはれしや。天上の鏡のおちくだれるや。いかさまにも靈鏡(れいけう)なるべし。岩間(いはま)をつたひてとりてかへり、德つかばや」と思ひ、そのあり所をよく見おほせて家に歸り、妻に物語りければ、妻のいふやう、「いかでかその谷かげに、さやうの鏡あるべきや。たとひありとても、身に替へて寶を求め、跡にのこして何にかせむ。もし足をあやまち、水におちいらば、くやむとも、かひなからん。たゞ思ひとまり給へ」といふ。商人いふやう、「更にあやまち、すべからず。いまだ人の見ざるあひだに、はやくとりをさめて德つかばや」とて、夜のあくるを、をそしと、刀をよこたへ、出(いで)て行(ゆく)。妻、こゝろもとながりて、めしつかふおとこ一人、わが子とゝもに三人、鐵垢鑓(さびやり)・鉞(まさかり)なんどもちて跡より追(おひ)て行(ゆく)。山ふかく入(いり)て谷にむかへば、白き光り、かゝやき、まろくあきらかなる大鏡あり。商人、谷の岩かどをつたひ、その光のあたりちかく行(ゆく)かと見れば、大音(だいをん)あげて、さけびよばふ事、たゞ一聲にて音もせず。妻と子とおどろきて谷にくだりければ、商人は蠶の繭のごとく、糸にまとひつゝれて、大なる蜘蛛(くも)の黑色なるが、とりつきてあり。三人のもの、立かゝりて、鑓(やり)にてつきおとし、鉞にて切(きり)たをし、刀をもつて糸を割(さき)やぶりしかば、商人は頭(かしら)の腦(なう)おちいり、血ながれて死す。その蜘蛛の大さ、足を伸べたるかたち、車の輪のごとし。妻子なくなく、柴をつみ、火を鑽(きり)て踟蜘を燒(やき)ければ、くさき事、山谷にみちたり。夫の尸(かばね)をば、とりてかへり、葬しけり。そのかみより、鏡に化(け)して、をりをり人をたぶろかしとりけるとぞ。

 

 底本の注を参考に簡単に注しておく。底本注によれば、本話は『五朝小説の諾皐記「元和中蘇湛々」に基づき、明鏡を求めて山中に命を失った主人公蘇湛を田舎渡らいをする越中砺波の商人に置き換えて翻案』したものとある。原話は本邦のものではないということである。

●「永正年中」西暦一五〇四年~一五二〇年。

●「砺並山」倶利伽羅山のこと。

●「糸帛」絹糸と真綿。

●「徑三尺ばかり」直径九十一センチメートルほど。

●「楊貴妃帳中の明王鏡」『鍾馗(しょうき)の精霊が楊貴妃の病魔を退治するために、玄宗皇帝をして枕もとの几帳に立て添えさせたという鏡(謡曲・皇帝)』(底本注)。

●「汴州張琦が神恠鏡」「汴州」は北周時代の、現在の河南省東部にある開封市一帯の州名。「張琦が神恠鏡」は底本注に『未詳』とある。

●「百練のかゞみ」『白楽天が新楽府に歌った、天子のために幾度も錬り鍛えて作った鏡』(底本注)。

●「天上の鏡」『月を言うか。或いは、天道の鏡』(底本注)。

●「德つかばや」金儲けをしたいもんだ。動詞「得づく」は儲かる・利益を得る・裕福になるの意。

●「頭の腦おちいり」頭蓋骨が陥没して。大蜘蛛に噛み砕かれたのであろう。

●「火を鑽て」火鑽(ひきり)・燧(ひきり)、即ち、乾燥させた檜などの木口に棒を当てて激しく揉んで火を起こす道具を用いて火を起こして。

●「たぶろかし」迷わす・惑わす・騙すの意の「誑(たぶら)かす」の転訛。]

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