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2015/02/26

日本その日その日 E.S.モース(石川欣一訳) 第十七章 南方の旅 奈良――正倉院に入る

 京都から奈良へと、涼しい旅をした。路は、気持のいい森や美しい景色の間を通っている。すでに数多い奈良の魅力に関する記述に、何物かを加えることは、私の力では及びもつかぬことである。この場所のある記憶は、永遠に残るのであろう――静かな道路、深い蔭影、村の街路を長閑に歩き廻る森の鹿、住民もまた老幼を問わず同様に悪気が無い。ラスキンはどこかで、今や調馴した獣を野獣化することに努力しつつある人間が、同様の努力を以て野獣を調馴することに努めるような時代の来らんことを希望するといっている。事実、日本の野生の鳥類や哺乳動物は、多くの場合我国の家禽や家畜よりも、余程人に馴れている。

[やぶちゃん注:磯野先生の「モースその日その日 ある御雇教師と近代日本」では、この京阪・奈良の旅については以下の様に纏められてある(注記記号は省略した。以前に注した通り、神戸着は六月七日とされる)。

   《引用開始》

モースは神戸でも数日間ドレッジしたのち、大阪京都方面の旅に出発した。神戸から京都までの鉄道は明治十年二月に全通していた(神戸-大阪間は七年五月)から、もちろんモース一行もそれを利用しただろう。ただ、いつ神戸を出発したのかは不明。その後大阪、京都、奈良をまわり、ついでふたたび京都と大阪に戻ったらしいが、足取りの詳細はわからない。そのうち京都では、清水、五条坂、栗田などの製陶所を訪問、陶器づくりの実際を見学するとともに、多数の陶器を購入した。道八、吉左衛門、永楽、六兵衛、亀亭などの陶工とも会って、陶器についての知識を仕入れている。また、奈良では、偶然正倉院の年一回の虫干しに出会い、居合わせた役人の一人が顔見知りだったので、許可を得て倉の中まで入り、古い陶器の写生をしている。正倉院の内部にまで立ち入った数少ない外国人の一人だろう。

   《引用終了》

正倉院のシークエンスは次の段落に描かれる。……つーか! 私の周囲には正倉院の中に入った人って、いないんですけど! 磯野先生!

「深い蔭影」原文“the deep shadows”。まさに新緑の幽邃な木蔭の謂いである。

「ラスキンはどこかで、今や調馴した獣を野獣化することに努力しつつある人間が、同様の努力を以て野獣を調馴することに努めるような時代の来らんことを希望するといっている。」原文“Ruskin has somewhere said that he hoped the time would come when man would make as much effort to make wild animals tame as he now does to make tame animals wild;”。「ラスキン」は十九世紀イギリス・ヴィクトリア朝時代を代表する美術評論家ジョン・ラスキン(John Ruskin 一八一九年~一九〇〇年)。以下の出典は未詳。識者の御教授を乞う。「調馴」あまり聴かない熟語であるが、「ちょうじゅん」と読ませて、人に馴れさせること、人に馴れることの謂い。]

 

 奈良は日本の古代の首都であった。神聖な旧古の精神がいまだにこの地に漂っている。人は壮厳な古社寺の研究に数週間を費し得る。高い柱の上にのっている驚く可き古い木造の倉庫は、千年前、当時の皇帝の所有物を保存するために建てられた。これは確かに日本の駕異の一つである。この建物の中には、事実皇帝が所有した所の家庭用晶や道具類、即ち最も簡単な髪針(ヘアピン)から、ある物は黄金を象嵌した最も精巧な楽器に至る迄、及び台所道具、装飾品、絵画、書籍、陶器、家具、衣琴武器、歩杖、硯、墨、扇――つまり宮殿の内容全部が保存してある。この蒐集が如何に驚嘆すべき性質のものであるかを真に理解する為には、アルフレッド王に属した家庭用品を納めた同様な倉庫が、英国にあるとしたら……ということを想像すべきである。一年に一回、政府の役人がこの倉庫の唯一の入口を開き、内容が湿気その他の影響によって害されていることを確めるための検査を行う。幸運にも私は、この年一回の検査の時奈良に居合わせた。そして役人の一人を知っていたので、彼等と共に建物の内部に入ることと、古い陶器を写生することとを許可された。厳かな役人達の恭々しい態度には興味を覚えた。すべて白い手袋をはめ、低い調子で口を利いた【*】。

 

* 数年後日本の政府は、これ等の宝物を、それ等の多くの美しい絵と共に説叙した本を出版した。

 

[やぶちゃん注:「アルフレッド王」(Alfred the Great 八四九年~八九九年)はイングランド七王国のウェセックス王。兄エゼルレッド王の死後、王位を継承、アングロ・サクソン時代最大の王と称せられ、イギリス史に於いて「大王」と称される君主(事蹟は参照したウィキの「アルフレッド大王」を)。原文は“King Alfred”である。

「説叙した本」不詳。識者の御教授を乞う。]

 

 奈良から京都へ至る人力車の探は、この上もなく気持がよかった。道路は、茂った森林の間をぬけては魅力に富んだ開濶地に出、最も純粋な日本式生活が随所に見られた。この国の美を心行くまで味う方法として、人力車に乗って行くに如くものはない。人力車に乗ることは、まるで安楽椅子によっかかっているようで、速度は恰度身体に風が当たる程度であるが、而も目的地に向って進行しつつあることを理解させるに充分な丈の速さを持っている。ある場所で我々は河を越したが、深い砂地の堤を下りる代りに、平原の一般的高さよりも遠か高所にある河を越す可く、ゆるい傾斜を登るのであった。河は文字通り、尾根を縦走している! 何世紀にわたって河は、山から押流された岩層を掘り出す代りに、両岸に堤を積み上げ積み上げすることに依て、その流路に制限されて来た結果、河床は周囲よりもきわ立って高くなり、まるで鉄道の築堤みたいになっている。路の両側には、徒渉場にさしかかろうという場所に、深い縦溝を掘った石柱があり、大水の時には水が道路を洗い流すのを防ぐ可く、これ等の溝に板をはめ込む。

[やぶちゃん注:人力車の「通」ともいうべきこのやや自慢げな叙述は、来日以来のモースと人力車の付き合いを知っていると、微笑ましくなってくる。

「開濶地」人工的に広く開いた開墾地。]

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