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2015/03/31

耳嚢 巻之十 白胡瓜の事

 白胡瓜の事

 

 しろき木瓜(きうり)、香のものに致(いたし)、或ひはもみ瓜にして喰(しよく)すれば水病に奇妙の由。然るに白ききうりはあまり作り候ものなき故、甚(はなはだ)もとめがたし。予水病のとき、漸(やうやく)求めて用ひ候事あり。然るに或人曰(いはく)、神奈川邊其外隨分拵へ候所有(ある)由。一體(いつたい)もみうり、香の物にして和らかにて、作にもある由。神奈川邊にては、專ら右を稱し申し候得共(さふらえども)、江戸問(とん)やへ出しては、赤き瓜ほどに不望(のぞまざる)ゆゑ、手前にのみに拵(こしらへ)候由、人のかたりぬ。さもあるべき事也。

 

□やぶちゃん注

○前項連関:「水病」=むくみの治療薬として直連関。ウリ目ウリ科キュウリ Cucumis sativus の博物誌。現在の漢方医学でも真っ先にむくみへの効能が記されてある。

・「白胡瓜」岩波の長谷川氏注に、寺島良安の「和漢三才図会」の巻『百に、胡瓜のうち五月に種を蒔き霜時になる白色で丈の短いものがある。これをいうか』とある。ウィキの「キュウリ」には、「馬込半白胡瓜(まごめはんしろきゅうり)」「高井戸節成胡瓜(たかいどふしなりきゅうり)」「加賀太胡瓜(かがふときゅうり)」「聖護院胡瓜(しょうごいんきゅうり)」「毛馬胡瓜(けまきゅうり)」等の白色タイプの胡瓜が載る。以上のなかには明治以降の改良品種が多く含まれるが、それはも総てそれ以前に各地で江戸期から伝統野菜としてあった品種を交配改良したものであるから、ここでいう「白胡瓜」の候補として強ち的外れとは思われないので掲げておくこととする。個人的には幾つかの改良過程の記載を見るに、根岸の言っているのは「馬込半白胡瓜」系の改良種であるように思われる。

 以下、長谷川氏の指摘された「和漢三才図会」の「胡瓜」の項(「卷之百 七」)を全文電子化しておく(本文テクストの底本は一九九八年刊大空社版CD-ROM「和漢三才図会」を用いた。表示法は私の手掛けた「和漢三才図会」水族部の電子テクストのそれに準じた。画像は平凡社東洋文庫版「和漢三才図会 18」(一九九一年刊)のものを用い、原典の白文(原典の一行字数に合致させて改行)及びそこに打たれてある訓点を参考にして私が書き下しものを示した「瓜」は原本では五画目がないが訂した。「青」などの一部の正字でない表字は原文のママである。訓読では大幅に読みと送り仮名を増やしてあるが、読み難くなるだけなので特に指示していない。後に私のオリジナルな注を附しておいた)。

   *

Kiuri

きうり

胡瓜

フウ クワア

 

黄瓜(ハアンクハア)〔唐音〕

 和名曾波宇里

  俗云黄瓜(キウリ)

 

本綱漢張騫使西域得種故名胡瓜隋朝避諱改爲黄瓜

正二月下種三月生苗引蔓葉如冬瓜葉亦有毛四五月

開黄花結瓜圍二三寸長者至尺許青色上有痱※如疣

[やぶちゃん字注:※=(やまいだれ)+中に「畾」。]

子至老則黄赤色其子與菜瓜子同

一種五月種者霜時結瓜白色而短並生熟可食兼蔬蓏

 之用糟醬不及菜瓜

胡瓜〔甘寒有小毒〕清熱水道然不可多食小兒忌食滑中生

 疳蟲不可多用醋〔多食發瘧病及び瘡疥脚氣虛腫百病天行病後不可食之〕

△按胡瓜形似海鼠而圓青帶白色老則黄赤色生和醋

 或鱠中入用甚脆勝於越瓜不宜煮食不爲上饌但謂

 不可多用醋則可斟酌耳

祇園神禁入胡瓜於社地土生人忌食之八幡之鳥肉御

 靈之鮎春日之鹿食則爲被崇理不可推之類亦不少

 蓋祇園社棟神輿以瓜〔音瓜〕之紋爲飾瓜以爲胡瓜切片

 形而忌之乎愚之甚者也瓜紋乃木瓜〔果木之名〕之花形而

 織田信長公幟文也信長再興當社用其紋爲後記耳

 

○やぶちゃんの書き下し文

きうり

胡瓜

フウ クワア

 

黄瓜(ハアンクハア)〔唐音。〕

 和名は曾波宇里(そばうり)。

  俗に云ふ、黄瓜(きうり)

 

「本綱」に、『漢の張騫(ちやうけん)、西域に使ひして得たる種なる故に胡瓜(こくわ)と名づく。隋朝に諱(いみな)を避け、改めて黄瓜(くわうくわ)と爲す。正、二月、種を下し、三月、苗を生じ、蔓を引く。葉は冬瓜(とうくわ)の葉のごとく、亦、毛、有り。四、五月、黄花を開き、瓜(くわ)を結ぶこと、圍(ゐ)、二、三寸、長き者は尺許(ばか)りに至る。青色の上に痱※(いらぼ)有り、疣子(いぼ)のごとし。老するに至りては、則ち黄赤色。其の子(たね)、菜瓜(しろうり)の子(たね)と同じ。』と。

一種、五月に種(う)うる者は霜の時、瓜を結ぶ。白色にして短かし。並びに生・熟、食ふべし。蔬(そ)・蓏(ら)の用を兼(か)ぬ。糟(かすづけ)・醬(ひしほ)、菜瓜(しろうり)に及ばず。

[やぶちゃん字注:※=(やまいだれ)+中に「畾」。]

胡瓜〔甘、寒。小毒有り。〕熱を清し、水道を利す。然れども多く食ふべからず。小兒、食ふを忌む。中(ちう)を滑らかにし、疳の蟲を生(しやう)ず。不可多く醋を用ふべからず〔多く食へば、瘧病(おこり)を及び瘡疥(さうかい)を發す。脚氣(かつけ)・虛腫百病・天行病(はやりやまひ)の後、之を食ふべからず。〕。

△按ずるに、胡瓜、形、海鼠に似て圓く、青に白色を帶ぶ。老いなば則ち黄赤色。生にて醋に和し、或ひは鱠(なます)の中に入れ用ふ。甚だ脆くして越瓜(しろうり)に勝れり。煮食ふに宜からず。上饌と爲さず。但し、醋を多用すべからずと謂ふときんば、則ち斟酌(しんしやく)すべきのみ。

祇園の神、社地に胡瓜を入ることを禁ず。土生(うぶすな)の人、之れを食ふを忌む。八幡(やはた)の鳥肉、御靈の鮎(なまづ)、春日の鹿、食ふときは則ち爲めに崇(たゝ)り被(かふむ)る理(ことわり)の推すべらからざるの類ひも亦、少なからず。蓋し祇園の社、棟・神輿(みこし)に、瓜〔音、寡(くわ)。〕の紋を以つて飾りと爲し、瓜は胡瓜を切片(へ)ぎたる形と以爲(おもひ)て之を忌むか。愚の甚しき者なり。瓜の紋は乃ち、木瓜(もつくわ)の〔果木の名。〕花の形にて織田信長公の幟文(しるし)なり。信長、當社を再興して其の紋を用ゐて後記と爲せるのみ。

   *

●「本綱」李時珍の「本草綱目」。但し、この叙述は原文と対比すると、必ずしもその引用ではないのが、やや不審である。

●「張騫」(?~紀元前一一四年)前漢の旅行家で外交家。漢中(陝西省)生。武帝の初年に西域の月氏国(秦・漢代に中央アジアで活躍した民族でトルコ系・イラン系・チベット系などの諸説がある。初め、モンゴル高原西半を支配していたが、紀元前二世紀頃に匈奴に圧迫され、その主力(大月氏)はイリ地方からさらにアフガニスタン北部に移動、バクトリアをも支配した)への使者として紀元前一三九年頃に長安を出発、途中で匈奴に捕えられること十余年にして前一二六年に長安に帰還した。

●「隋朝に諱を避け」これは「本草綱目」の「胡荽」(胡瓜のこと)の「釈名」にある『藏器曰、「石勒諱胡。故並、汾人呼胡荽爲香荽。」。』によるものと思われるが、原典自体が意味がよく分からない。何故なら石勒(せきろく)は五胡十六国の後趙の始祖であって隋の王ではないこと、石勒の本名その他には「胡」の字は含まれないからである。しかも隋王朝の皇帝にもやはり名に「胡」の字を含む人物はいない。

●「痱※(いらぼ)」(※=「疒」+中に「畾」。)底本の字が掠れており読みの「ぼ(原典はカタカナ)」を含め自信がない。東洋文庫版現代語訳では『ぶつぶつ』と訳している。最も可能性があるのは「痱*」(*「疒」+中に「雷」)で、これは「廣漢和辭典」に、「廣韻」に「痱、痱*」(痱(ひ)は、痱*(ひらい)なりと出ており、その意味として『小さなはれもの。ぶつぶつ』とある。

●「熟」十分に熱を加えて煮ること。

●「蔬蓏」「蔬」は蔬菜、「蓏」は、地面に生(な)る果実(果物(くだもの))をいう(対して木に生る果物を「果」という)。

●「水道」排尿。

●「中」漢方でいう脾臓や胃(但し、現代医学のそれらとは異なる概念で同一ではない)。●「瘧病」一般には現在のマラリアとされる。

●「瘡疥」発疹。

●「虛腫百病」むくみを伴うあらゆる病態という謂いであろう。

●「海鼠に似て」言わずもがなであるが、棘皮動物門ナマコ綱 Holothuroidea のナマコ類は英語で sea cucumber (海の胡瓜)という。寺島先生、確信犯か?

●「謂ふときんば」原典では送り仮名は「トキハ」であるが、「ン」を補った。説くことを考えると。述べている事実からは。――基本的に酢を多く用いると弊があるという記載が既にあることを考えると、「斟酌」、酢の配合度合への種による個別の十分な比較検討による注意が、これだけは必須である。――という意である。

●「祇園」京都の八坂神社。

●「瓜は胡瓜を切片ぎたる形と以爲て之を忌むか」瓜の紋所は胡瓜を横に切り截った際の実の中の模様の形と同じと考えてこれを忌むのであろうか、の意。フレーザーの言う類感呪術的な発想であるが、寺島が指摘しているように、これはシミュラクラで実際には胡瓜とは関係がない(後注参照)。但し、現在でも祇園祭(七月一日~三十一日)の期間中は、胡瓜を食べない慣わしがあって、それはやはり、ここに示された通り、八坂神社の神紋と胡瓜を輪切りにした切り口の模様が似ているため、畏れ多く勿体ないこととされるよし京都関連のサイトに記されてある。

●「木瓜」これはバラ目バラ科サクラ亜科リンゴ連ボケ Chaenomeles speciosa をも意味するが、この花が実は実在する花としての織田家の家紋のモデルの一つともされるのである。

●「瓜の紋は乃ち、木瓜の〔果木の名。〕花の形にて織田信長公の幟文なり」織田信長の家紋は「五つ木瓜(もっこう)」「織田木瓜(おだもっこう)」と呼ばれ、その濫觴は、実は鳥の巣の様子を表したものとされ、子孫繁栄などのシンボルとも言われる。

   *

・「もみ瓜」胡瓜揉み。胡瓜を小口から薄く刻んで塩で揉み、三杯酢をかけた食べ物。

・「作にもある由」底本には「作」の右に『ママ』という原典注記。岩波のカリフォルニア大学バークレー校版は『甘みも有るよし』。バークレー校版で訳した。

・「右を稱し申し候得共」岩波のカリフォルニア大学バークレー校版は『右を稱し用候得共(もちゐさふらえども)』。これで採る。

・「赤き瓜」岩波のカリフォルニア大学バークレー校版は『靑き瓜』。これで採る。

・「手前にのみに」岩波のカリフォルニア大学バークレー校版は『手前遣(つか)ひのみに』で、長谷川氏はここに『自家用』と注しておられる。

 

■やぶちゃん現代語訳

 

 白胡瓜(しろきゅうり)の事

 

 白き木瓜、香の物に致し、或いは胡瓜揉みにして食すれば、これ、むくみに絶妙に効く由。

 しかるに、白き胡瓜というのは、あまり栽培していおらぬものであるから、はなはだ求め難い。

 私も持病のむくみが、これ、かなりひどかった折り、試しみんとせしが、なかなか見当たらず、やっとのことで買い求めて用いた記憶がある。

 しかるに、ある人の申すことには、神奈川辺りや、その外、江戸周縁の農村などに於いて、これ随分、植え育てておる所のある由。

 この白胡瓜、概ね、胡瓜揉みや香の物に調理なして、如何にも噛み応え優しく和らかにして、甘みさえもある由。

 神奈川辺りにては専ら、この白胡瓜を「胡瓜」と称し、日常の菜にも普通に用いておるとのことであったが、江戸の青果の問屋へ卸しても、知られた青き胡瓜ほどには江戸庶民の購買意欲をそそららしく、作っている農家及びその辺り一帯だけの、これ、いわば自家用・地物としてのみ、栽培されておる由をも人の語って御座った。

 まあ、こうした――そういった江戸と申す都会の妙な好まれ方を含むところの以上の話――ことも、これ、あることにては御座ろう。

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